讃美歌100番 「生けるものすべて」 (Let all mortal flesh keep silent)
岡本牧師先生による讃美歌の学びも4回目となりました。穏やかな岡本先生の語られる言葉に何故こんなに宇宙的な広さと果てしない、終わりのない時を感じる事が出来るのか… いつも驚きと豊かさに満たされた時間です。
岡本牧師先生による讃美歌の学びも4回目となりました。穏やかな岡本先生の語られる言葉に何故こんなに宇宙的な広さと果てしない、終わりのない時を感じる事が出来るのか… いつも驚きと豊かさに満たされた時間です。クリスマスに歌われる讃美歌「生けるものすべて」が聖餐式の為の讃美歌で、聖餐の意味とキリストがこの世に生まれてきてくださった意味をかみしめた時間でした。「最後に語ってくださった“小さな群れよ、恐れるな”のメッセージが今私たちに語られている事をチャレンジとして示された」と、後にM姉妹と感想を分かち合いました。
https://www.jesusgivesyourest.com/message/detail.php?id=279
以前イタリアを旅した時、ローマのアッピア街道にあるサン・セバスチャン聖堂のカタコンベ(地下墓地)を訪ねました。もともとは古代ローマの地下墓地でしたが、初期のキリスト教徒が迫害を逃れて信仰を守り続けて隠れ住んだ場所です。全長12キロメートルにもわたる迷路のような大きな地下墓地は、冷気が漂い、灯りの乏しかった古代ではほとんど真っ暗闇であったのではないかと思われます。通路の両脇は2段、3段の棚のようになった墓所に所々に白骨化した遺体が横たわり、ツアーガイドに従って歩く最中にも初代クリスチャンの恐怖と緊張が身を持って感じられ、礼拝所の広間に出た時は少しだけ気持ちがほっとしたのを覚えています。カタコンベへの入場はガイドツァーのみが許可されていて個人では許可されていません。1人で暗い迷路のような通路を歩けばすぐに迷ってしまい、危険な事は確かです。カタコンベの中の礼拝堂は今は何もない空間で、勿論地下なので天井が高い訳でも格別に広い訳でもありませんが、何か果てしなく高く広く感じる不思議な場所でした。その場所を思い返し、そこでこの讃美歌「生けるものすべて」がギリシア語で歌われていたと思うと心が震え、また引き締まるような思いです。その暗い礼拝堂で信仰者が守った聖餐式で歌われた讃美歌は本当に「沈黙と畏れとおののき」と(M.M姉妹訳より)「み光が下られ暗きものがかき消されていく」(Y.M姉妹訳より)ものであったに違いありません。
4世紀に入り、コンスタンティウスⅠ世の時代にローマ帝国の弾圧が終わり、キリスト教に好意的だった皇帝自身も312年にキリスト教者になり、313年にキリスト教は公認されます。コンスタンティウスⅠ世は、政治的、軍事的に混乱していたローマの内政を立て直す事に偉大な功績を残した皇帝ですが、それと共にキリスト教の分裂、異端との闘いの状況を解決しようとしてニカイア公会議を開催します。そこで異端の論議がなされてキリスト教の正当な信仰がニカイア信条として公表されます。
それに至るまで、迫害にあっても尚広大な地域に宣教がなされ、初期のキリスト教会はギリシアはもとより小アジア、アフリカ、ヨーロッパ等々広域に広がっていました。そのため、各々の地域の民族の音楽的な要素も同時に取り入れられていったと考えられます。
初期のキリスト教会のどの地域、どのグループにおいて聖歌がどのように歌われていたのかを知る過去の資料はほとんどないため、確実な検証は現在ほぼ不可能に近いというのが現在の研究の状況ですが、聖務日課と、聖餐式が手掛かりになると言えるかもしれません。聖餐式において詩篇や聖書箇所を朗読する、唱える際に声を挙げて朗唱した上で聖体拝領の儀式に移るという形を取るようになった可能性が高いと思われます。それが、各地域の言語で朗唱され、韻文によって形が整えられ、旋律化していったのではないかと考えられます。地域による言語や民族の違いがあり、礼拝の仕方も様々であったにせよ「最初期の教会のいずれもが、旧約聖書の言葉を唱え、主イエスの言葉と行いを伝承し、神をほめたたえることでは共通していたと考えて良いだろう。」と金澤正剛氏は著書で述べています。
讃美歌「生けるものすべて」の旋律は「教会旋法(グレゴリオ旋法とも言う)」の中の、「ドリア旋法」から出来ています。
6世紀末、教皇グレゴリウスⅠ世が、教会公認の礼拝に用いる音楽の統一を示す事で、ローマの典礼において使われる聖歌をローマ聖歌または教皇の名にちなんで「グレゴリオ聖歌」と呼ぶようになりました。そこで使われる聖歌の分類の為に整理された音楽の理論を「グレゴリオ旋法」または「教会旋法」と言います。
詳しいことは省きますがそれは長調と短調とは全く違った音の秩序で出来ていました。「ドリア旋法」はその中で「第1旋法」または「Reの旋法」とも言われ、「レミファソラシドレ」(#も♭も無い)から出来ています。現代の音階の「ニ短調」と似ています。
「生けるものすべて」は「教会旋法」より古い時代にあった讃美歌ですが、教会旋法の成立以前の古代ギリシアにあった「ギリシア旋法」の影響があるのではないかと考えています。ギリシア旋法は「教会旋法とは全く似て非なるものである」というのが通論となっていますが、私は共通点や影響が全くないとは言えないと思っています。キリスト教初期の2世紀間はローマ帝国の隆盛期であり、領土拡大によって多くの文化がヘレニズム社会からもたらされたからです。それが異端の教えなどの混乱の原因ともなりましたが、古代人のよき文化を受け継いだ面もあった事でしょう。ことに、この讃美歌に関してはギリシア語で歌われていた事とその成立の背後に、ギリシアの音楽の影響を感じます。
やがてニカイア会議、前述のグレゴリウスⅠ世の聖歌の統一運動などを経てキリスト教の正しい礼拝のあり方が公に示され、統一のとれたキリスト教の典礼が整ってきます。
一方で、教会の外部においてはトラバドゥール(フランス南部)、トルヴェール(フランス北部)と呼ばれる世俗の音楽の愛好家の貴族達が現れます。彼らは詩人であり演奏者でもあり、その詩の内容は宗教的なもの、世俗的なもの、様々なものがありました。それらの歌にも教会旋法が使われているものがあり、「生けるものすべて」と同じくドリア旋法で作曲されています。教会音楽としても世俗音楽としても、この第1旋法(ドリア旋法)は、親しみやすいものであったと思われます。この旋法を使う事によって、伝道の歌が民衆に広まり易かったかもしれません。讃美歌「生けるものすべて」も彼らの音楽に影響され、より親しまれる印象的な旋律に洗練されていったのかもしれないと考えます。
さらに付け加えますとこの讃美歌の歌詞はカトリック教会の伝統的なミサ通常文の「サンクトゥス」と重なっています。
SANCTUS
Sanctus,sanctus,sanctus
Dominus,Deus,Sabaoth
Pleni sunt caeli et terra Gloria tua
Hosanna in ecelsis
Benedictus qui venit in nomine Domini
Hosanna in ecelsis
サンクトゥス
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな
聖なるかな、万軍の神なる主は
(預言者イザヤの前に天使ケルビムとセラフィムが現れて歌う「イザヤ書」6:3)
天も地もあなたの栄光に満ちています
いと高き所にホサナ
ほむべきかな
いと高き所に ホサナ
「生けるものすべて」、この讃美歌は古代の旋法、グレゴリウス聖歌、トルヴェールの音楽などの様々な要素を取り入れ長い間、今日まで歌い継がれてきたのです。
カタコンベに隠れ住んで守った信仰、様々な文化を吸収し、淘汰しながら歌い継がれてきた古く尊い讃美歌、この事から、私はどうしても長崎県地方の「隠れキリシタン」の事を思わずにはいられません。江戸幕府からの激しい迫害を受け、地下墓地にこそ住まなかったものの、平戸市や島部などに隠れ住んで主イエスキリストを讃え続けた信仰者達…彼らもまた、大きな恐怖の中で、神様への賛美と希望に生きてきたに違いありません。「隠れキリシタン」に伝わる彼らの聖歌「おらしょ」は、ザビエルが伝えた信仰を持ち続けて、聖歌を日本風の旋律、或は仏教の読経風な節を最後に加えた歌い廻しで見事に覆い、讃美しています。「おらしょ」とはラテン語の祈祷文オラシオ(oratio)が語源となっています。そしてその中には驚くほどグレゴリオ聖歌の旋律に酷似したものがあります。経文を唱えているように手を前に合わせてラテン語の祈祷文を唱える…「ドミノ、サクリ」など、時代を経て変化したとは言えはっきりとグレゴリオ聖歌の真の部分は残っているのです。
その点で「生けるものすべて」は、時と空間を超えて日本の「おらしょ」と共通のキリストへの深く尊い賛美と言えるのではないかと思うのです。
(T.N)
参考文献
「西洋音楽史」 ドナルド・グラウト
「ミサ曲・ラテン語・教会音楽ハンドブック」 三ケ尻正
「キリスト教と音楽」 金澤正剛
「キリスト教音楽の歴史 初代教会からバッハまで」 金澤正剛