■ 友
京都水族館「京の海」大水槽の前にたたずむ修学旅行生。(2024年10月24日撮影) 彼女たちの友情が卒業後も末永く続くことを心から願わずにはおられません。
この日京都水族館には、幼稚園から高校生までの団体さんがウン十組も来ていて、それはそれは賑やか。どの水槽の前も黒山の人だかり、子供たちの歓声が湧き上がってとても楽しかったです。ところがちょうどこの時、ほんの一時、「京の海」大水槽の前が三人だけになったのです。彼女たちの友情が卒業後も末永く続くことを心から願わずにはおられません。
友を詠んだ素晴らしい句が万葉集にあります。
~ https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/friend1.html から引用 ~
吾が背子と二人し居れば山高み里には月は照らずともよし
聖武朝の学者官人として活躍した高丘河内(たかおかのこうち)の作です。おそらく友人との宴で詠んだものと思われますが、「親愛なる貴男と二人いるので、山の高き故に遮られて月影がこの里に照らないとしても、かまいはしない」といった意。親しい友人と酒を酌み交わしながら、長い夜を語り合う。そんな時は月の光も恋しくはない…こういった感情を友情と呼ばずして、何を友情と呼ぶのでしょうか。
~ 引用終わり ~
このように詠める友がいたらなあ…とつくづく思いますが、聖書は「あなたにも、キリスト者冥利に尽きる友がいるよ!」と気付かせてくれます。
箴言17:17 友はどんなときにも愛するもの。兄弟は苦難を分け合うために生まれる。
箴言27:17 鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれる。
伝道の書4:9-12 二人は一人よりもまさっている。二人の労苦には、良い報いがあるからだ。/どちらかが倒れるときには、一人がその仲間を起こす。倒れても起こしてくれる者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。/また、二人が一緒に寝ると温かくなる。一人ではどうして温かくなるだろうか。/一人なら打ち負かされても、二人なら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。
そして、
ヨハネ15:12、14「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。…わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。」 (新改訳2017)
神は人間とは別格の存在ですが、主イエスはわたしたちを「友」と呼ばれます。この主イエスとの交わりに招かれ、心を喜びで満たされた人は、隣人を友として受け入れ、互いに愛しあえるようになります。そのようにして下さります。