「目の毒」
「目の毒」とは、見ると害になるもの、見ないほうがよいもの、それを見ると欲しくなり誘惑に負けそうになることを言いますね。ダイエット中のケーキならまだしも...
「目の毒」とは、見ると害になるもの、見ないほうがよいもの、それを見ると欲しくなり誘惑に負けそうになることを言いますね。ダイエット中のケーキならまだしも、アル中治療中・禁煙中のちょっと一杯・一服は深刻な結果を招きます。
この画像をご覧になって如何でしょうか。
視覚を通して来る誘惑を体験した者でなければ言えないような表現が聖書にあります。
「ぶどう酒が赤いとき、杯の中で輝くとき、滑らかにこぼれるとき、それを見てはならない。」 (箴言23:31 、新改訳2017)
聖書はこう続けます。
「 後になると、これが蛇のようにかみつき、まむしのように刺す。」 (箴言23:32、新改訳2017)
聖書は、誘惑がしばしば命(いのち)に関わる事に気づかせ、誘惑に勝って自分の命を守る術(すべ)を教えてくれます。
誘惑の恐ろしさの最たる出来事は、皆さまご存じのこれです。
「そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。」 (創世記3:6 、新改訳2017)
また、誘惑はごく身近に潜んでいて、ある時突然襲いかかり、あっという間に人を絡め捕る力を持っています。
「ある夕暮れ時、ダビデが床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、一人の女が、からだを洗っているのが屋上から見えた。その女は非常に美しかった。」 (Ⅱサムエル11:2、新改訳2017)
では、誘惑に勝って自分の命を守る術(すべ)を聖書はどう教えているでしょうか。旧約聖書では、
「イスラエルの子らに告げて、彼らが代々にわたり、衣服の裾の四隅に房を作り、その隅の房に青いひもを付けるように言え。/その房はあなたがたのためであって、あなたがたがそれを見て、【主】のすべての命令を思い起こしてそれを行うためであり、淫らなことをする自分の心と目の欲にしたがって、さまよい歩くことのないようにするためである。」 (民数記15:38-39、新改訳2017)
神の民としての自覚を失わないための工夫として、〈衣服の裾の四隅〉に独特な〈房(ふさ)〉を付けるよう戒めを与えられていました。それを見るたびに神の民は、自分が神に属するものであることを自覚し、〈淫らなこと〉を避けたのです。
また、主イエスは荒野で誘惑の根源サタンと戦われたことを通して、御言葉に拠れば誘惑に勝利できることを示して下さりました(ルカ4章)。
そしてパウロは、一歩踏み込んで具体的に、
「悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい...」(エペソ6:11以下)
こう勧めています。
ところで、万が一誘惑に負けて苦境に陥るようなことがあっても絶望してはなりません。確かな希望が未だ有ります。悔い改めを通して救いの手が神から差し伸べられます。ダビデがそのことの証人であり、主イエスの十字架がその証拠です。
皆さまのお手元の聖書を開き、御言葉に聞くことで誘惑に勝利していただきたいです。