私たち人間も同じです。 私たちはある種の“束縛”を受けてこそ、安全かつ伸び伸びと自由でいられます。その“束縛”とは、
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」 (ヨハネ14:6)との主イエスに聴従することです。
聖書に聴く信仰生活は間違いなく一定の “束縛” を受けます。しかしそれは、創造主であり正義であり愛である神様の知恵の内に保護されること、罪や誘惑・破滅から守られることです。
聖書にこうあります。
「私はあなたの仰せの道を走ります。あなたが私の心を広くしてくださるからです」 (詩篇119:32)。この「心を広くする」とは度量の広がりではなく、ストレスから解放されて真の自由を喜ぶことです。だから 「幸いなことよ全き道を行く人々【主】のみおしえに歩む人々。幸いなことよ主のさとしを守り心を尽くして主を求める人々」(詩篇119:1-2)
あなたが、もしこのような“道”を未だご存じでなければ、「キリスト教番組案内」でネット検索し、ここから開けていく道を前進して下さい。
[撮影メモ] 常磐線(旧線)広野-末続間、1967年5月28日撮影
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