讃美歌358番 「こころみの世にあれど」(Be Thou My Vision)
アメリカ時間11月18日(日本時間では11月19日)の「岡本先生と共に味わう賛美の力」の時間は、讃美歌「Be Thou My Vision こころみの世にあれど」の歌詞の源の聖書箇所の解き明かしのメッセージでした。
前回も大変充実した満たされた時間でしたが、それにも増して讃美動画も、岡本先生の解き明かしもパワーアップして、1時間という時間が日常の1時間とは全く違う濃密なものとなりました。
始まりのYokoさんの讃美動画は美しい声とピアノとオカリナ(大谷選手を越える3刀流!)を使いこなして、この讃美歌の元となったアイルランドの民謡を感じさせる素晴らしい讃美動画です。(※本動画は限定公開につき、URLは非公開です)
そして岡本先生の歌詞の源の聖書箇所の解き明かしのメッセージは、お祈りから始まった先生の穏やかな語り口にもかかわらず、語られる内容は次第にみ言葉の矢を次々に射かけられているような、迫力あるものになっていきました。
⇒ https://www.jesusgivesyourest.com/message/detail.php?id=277
今回の解き明かしはどの部分がトピックということではなく、全てがトピックでしたので、その周辺のいくつかの事を加えてこのエッセイを書かせていただこうと思います。
岡本先生は英語の歌詞の1行目と最後の20行目に Be my Vision という言葉が用いられていて、Vision という言葉があたかも額縁のようにこの讃美歌を形成していると話されました。Visionという言葉は、肉眼では見えないもの、霊的な葛藤に夢や幻想的なイメージを与えて啓示を与える、という説明をしてくださいましたが、この歌詞の作者は6世紀後半に生まれたダラン・フォルゲイル(560~640)というアイルランドの詩人であり、後に聖人となった人で、実は視力を失っていた人なのです。ダランはアイルランド語で盲人の意味のあだ名で、本名はエオチャイルド、勉強をし過ぎて視力を失ったと伝えられています。その彼が初めに Vision という言葉を用いて詩を始めていることに深い感銘を受けずにはいられません。
また詩人は何度も Thou my...と繰り返して天の父と自分との目に見えない絆を求め、深めていったのでしょう。知恵、真実、誠実、という目に見えない偉大なものを謳い上げ、そして9行目では、「汝は我が盾、戦の剣」という具体的なイメージも描かれています。彼の中ではこれらのものこそが彼の見えない目には、本当に見えるものとして与えられていたのではないかと思います。
最後の第20行に再び「Still be my Vision」と繰り返されます。ダランには神様への道すじが、はっきりと見えていたのでしょうか。
ダランは彼の代表作を書いた後で視力を取り戻したと言われています。彼は後に海賊によって殺害されましたが、11世紀初頭にアイルランドの聖人とされました。
ダランの詩はもともと修道院で伝道に使われていましたが、後にアイルランド民謡の旋律で歌われるようになりました。ダランの時代のアイルランドのキリスト教は伝道に大きな勢力と献身を捧げていました。伝道の為に町に出た伝道師たちがこの歌を親しみやすい民謡の旋律に載せて歌うことで、当時の識字率が低かった民衆に広まりやすかった事と思われます。そしてこの曲もまた、前回のエッセイに書かせていただいた、世界の至る所に、時を超えて存在する5音音階、音階の第4音、第7音を抜いたペンタトニックスケールを主として書かれています。各連の3節目に3つだけ、第7音が用いられていますが、これはおそらく1912年にエリーノル・H・ハルによって英語に訳された歌詞がつけられた時に加えられた音と推測されます。(その初めの2つは装飾的な十字架音型の中で用いられています。)
また、この曲は現代の5線紙で表す記譜法に改めた時に♭3つの変ホ長調の調子記号に当てはめて書かれています。つまり変ホ長調の音階を基礎としてその第4音、第7音を除いた5音音階、ペンタトニックスケールで書かれている事になります。(楽譜参照)
音楽には24の調がありますが、それぞれ固有の性格を持っています。この変ホ長調の性格は「英雄的な」「栄光を表す」「煌めく調」などとされ、ベートーヴェンの「英雄交響曲を始め数々の名曲がこの調で書かれています。勿論ダランの時代のアイルランドには今のような短調や長調の概念はありませんでしたが、アイルランドの人々が長い苦しい歴史の中で強いキリスト教信仰を持ち続けている事を考えますと、元は民謡であったこの曲の旋律が神の栄光を表す変ホ長調で書き記されたことは、必然であったと考えます。
岡本先生の聖句の解き明かしの最後の行になる第20行目、元になった聖句のヨハネ福音書の16章33節の「しかし勇気を出しなさい。私はすでに世に勝ちました。」という神の勝利と栄光が、栄光を表す調で書かれ、この讃美歌全体に強く輝いているように思えます。 (T.N)