「わたしは山にむかって目をあげる」
わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。 わが助けは、天と地を造られた主から来る。 (詩篇121編1-2節、口語訳聖書)
わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。
わが助けは、天と地を造られた主から来る。
(詩篇121編1-2節、口語訳聖書)
詩篇121編は、旧約聖書の時代エルサレム巡礼に出立する旅人の確信に満ちた喜びと見送る人々の励ましを歌い交した歌であり、また巡礼の道中信仰者の群れが互いに励ましあった神讃美です。
そして現代では、天の御国を目指すキリスト者の信仰告白と主イエス・キリストによる信仰者への励ましが歌い交わされ、またキリスト者の群れが互いに励ましあい神を誉め讃える賛美であり、讃美歌301番によっても広く親しまれています。
2022年4月18日から、「もしかすると人生最後か」と言うくらいの意気込みで、上高地を一番の目的地とした結婚後初の“特大級”単身旅行をしてきました。
ところで、上高地がなぜ一番の目的地かと言いますと、理由は二つです。
一つは、学生時代最後の自転車旅行での最高の想い出の場所だからです。
約半世紀前の1973年8月22日に上高地に入山し、
小梨平キャンプ場にテントを張り三泊しました。
そして今回、
始めて入山した時には、半世紀も経て同じ場所に立とうとは夢にも思わなかっただけに、健康を支えられチャンスが与えられて今回それが実現したことは大変な主の恵みです。
もう一つの理由は、人生の大先輩・信仰の友であり、ご葬儀(2019年11月22日、満106歳)を司式させていただいたK.M氏が愛してやまなかったところだからです。
K.M氏は、大正2年(1913年8月22日)のお生まれで、奥様の受洗から二ヶ月後、私の前任牧師より受洗され(2003年6月8日、満89歳)、天の御国に国籍を得て永遠の命に生き始められた方です。
K.M氏との交わりでは、
○上高地でのキャンプや山岳登山の体験
○戦時中、主計(軍隊で会計・給与などを取り扱う経理)を務められたこと、太平洋で三度も船を沈められた時に向かって来た魚雷の航跡が見え、海に投げ出され生死の狭間を漂い自身の死も覚悟したこと
○90歳台で六甲山を縦走され、人生の最後に石鎚山に登られたこと
などをお聞きしました。山には必ずと言って良いほど祠や神社があるにも関わらず、天地万物の創造主がK.M氏に臨んで下さり、救い主イエス・キリストへの信仰へと導いて下さったのです。
また、今でもハッキリと記憶に焼き付いている言葉があります。
「大事にしなければならないことは、 Disciple (キリストの弟子の一人)と Punctuality (時間と約束の厳守、几帳面さ)、この二つだ!」
当時新米牧師の私に向けられた叱咤激励の言葉でしたが、今思い返せば、終わりに至るまで主に忠実であったK.M氏御自身の生き様でもあり、ホーム入所後も訪問の度、救われている喜びを奥様と一緒に話して下さりました。
この様な訳で、上高地の情景を前にすると、半世紀ほど前の自転車旅行での感激とK.M氏を想い出し、主を誉め讃えずにはおられないのです。
再度上高地を訪問出来る時には、ここに家内と一緒に座って、聖書を朗読し讃美歌も歌いたいと願っています。
~ 讃美歌301番 「山辺に向かいて」 ~
1.
山べにむかいてわれ 目をあぐ、
助けはいずかたより きたるか
あめつちのみかみより
たすけぞわれにきたる。
2.
み神はなれのあしを つよくす、
み守りあれば汝(なれ)は うごかじ。
みたみをば守るもの
まどろみねむりまさじ。
3.
み神はあだをふせぐ たてなり、
汝(な)が身をつねに守る かげなり。
よるは月、ひるは日も
なれをばそこなうまじ
4.
み神はわざわいをも さけしめ
疲れしたましいをも やすます。
いずるおり、いるおりも、
たえせず汝(なれ)を守らん。
https://www.rcj.gr.jp/izumi/sanbi/sa301.html より転載
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