いのちの種物語
「いのちの種物語」と題して、大賀蓮とその果托の写真と共に、紀貫之によるとされる古今和歌集仮名序、そして新約聖書の中心的メッセージのひとつ「種といのち」の譬えを取り上げました。
■大賀蓮の果托(花期を終えて花びらが無くなった状態の花托)に種が実っています。
1951年に千葉県検見川遺跡地下6mの泥炭層から発掘され2000年以上の眠りから覚めた一粒の種から美しい花が咲き出で、
その後千葉市の市花に制定され、今や友好親善と平和のシンボルとして日本国内はもとより世界へ根分けされています。
https://ameblo.jp/hirohiro163-70/entry-12615063740.html
■「種とやまとうた」について、紀貫之によるとされる古今和歌集仮名序の冒頭、こうあります。
『やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。…』
「和歌というものは、人の心を種とし、様々な言の葉となる」と、植物の生育に比喩したとても映像的で美しい一文です。和歌は、四季の風情や人を想う心を、雅(みやび)に、時には儚(はかな)く、私たちの心に呼び覚ましてくれます。
■「種といのち」の譬えは、新約聖書の中心的メッセージのひとつです。
「この譬はこういう意味である。種は神の言(ことば)である。」 (ルカ8:11)
「この言(ことば)に命があった。そしてこの命は人の光であった。」 (ヨハネ1:4 )
「神の言」「この言」とは、聖書に記されている言葉のことで、信じた人々に新生がもたらされます。
「あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。」 (Ⅰペテロ1:23)
そして、「よみがえりのいのち」の確かさが、蒔かれた種から花咲き結実することに譬えられます
「…あなたのまくものは、死ななければ、生かされないではないか。また、あなたのまくのは、やがて成るべきからだをまくのではない。麦であっても、ほかの種であっても、ただの種粒にすぎない。ところが、神はみこころのままに、これにからだを与え、その一つ一つの種にそれぞれのからだをお与えになる。」 (Ⅰコリント15:36-38)
ここでは、肉体の死は新しい命への必然的過程であること、今の肉体と復活後の新しい体との相違と連続性、神の力の素晴らしさが教えられています。
私たちはイエス・キリストへの信仰によって、大賀蓮をも遥かに凌駕する「いのち」を頂き、また頂いています。
文末になりましたが、収穫直前に果托が林立するタイミングを丁寧にアドバイスして下さった、島田島活性化プロジェクトの小川浩幸氏に心よりお礼申し上げます。
https://kodaihasu.org/
【メモ】
写真1, 4 鳴門市島田島にて2023-8-26撮影
写真2, 3 加東市平池公園にて2022-7-7撮影
【参考資料】
https://www.city.chiba.jp/toshi/koenryokuchi/kanri/chuo-mihama/documents/guide10-oogahasu.pdf