「朝と共に喜びが来る」

「朝と共に喜びが来る」

宮をささげるときにうたったダビデの歌
30:1 主よ、わたしはあなたをあがめます。あなたはわたしを引きあげ、敵がわたしの事によって喜ぶのを、ゆるされなかったからです。
30:2 わが神、主よ、わたしがあなたにむかって助けを叫び求めると、あなたはわたしをいやしてくださいました。
30:3 主よ、あなたはわたしの魂を陰府からひきあげ、墓に下る者のうちから、わたしを生き返らせてくださいました。
30:4 主の聖徒よ、主をほめうたい、その聖なるみ名に感謝せよ。
30:5 その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。
30:6 わたしは安らかな時に言った、「わたしは決して動かされることはない」と。
30:7 主よ、あなた恵みをもって、わたしをゆるがない山のように堅くされました。あなたがみ顔をかくされたので、わたしはおじ惑いました。
30:8 主よ、わたしはあなたに呼ばわりました。ひたすら主に請い願いました、
30:9 「わたしが墓に下るならば、わたしの死になんの益があるでしょうか。ちりはあなたをほめたたえるでしょうか。あなたのまことをのべ伝えるでしょうか。
30:10 主よ、聞いてください、わたしをあわれんでください。主よ、わたしの助けとなってください」と。
30:11 あなたはわたしのために、嘆きを踊りにかえ、荒布を解き、喜びをわたしの帯とされました。
30:12 これはわたしの魂があなたをほめたたえて、口をつぐむことのないためです。わが神、主よ、わたしはとこしえにあなたに感謝します。
日本聖書協会『口語訳聖書』詩編 30篇1~12節

説教 「朝と共に喜びが来る」

私たちの教会では、コロナ禍での緊急避難的な礼拝を凡そ二ヶ月間続けて参りましたが、再び会堂に一堂に集って礼拝を再会できることは感謝です。
その喜びの礼拝を迎えたこの日の御言葉は詩篇30篇です。この詩篇は、個人的にも国家的にも致命傷になりかねなかった危機から脱出・回復させて下さった神のくしき御業をあかしし、私たちをその神への信頼と感謝、そして献身へと招いています。
憶測ではありますが、主イエスは、詩篇30篇を御自身のことと自覚しながら愛吟されたことでしょう。

1.詩篇記者の結論とその理由 (1-5節)
神に寄り頼む生活は、それが真剣であればあるほど、そうではないこの世の生活と比べて愚かに思えることがあります。しかし詩篇記者は自分の信仰生活を振り返ってこう結論付けています。 

 30:1a 主よ、わたしはあなたをあがめます…

1節後半には、主は「わたしを引きあげ、敵がわたしの事によって喜ぶのを、ゆるされなかった」とあります。「引き上げる」は、井戸から水を汲み上げる動作を現し、「敵」は、“神に寄り頼む人々を憎み敵意を抱く存在”という幅広い意味を持ちます。つまり「主は私を、井戸から水を汲み上げるようにして私を憎む敵たちの手から救い出して下さった」と言っています。続けて2-3節では「助けを叫び求めると、いやしてくださった」、「わたしの魂を陰府からひきあげ」、「わたしを生き返らせてくださった」と列挙しています。詩篇記者は相当の困難に遭っていた様ですが、神の恵みが遙かに優っていたので、自分ひとりが神を誉め讃え感謝するだけでは事足りず「主に選ばれた者よ、主をほめうたい、主に感謝して歩もう!」と4節で呼びかけています。さらに5節では、  

 30:5 その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。

とあります。「神の怒り」、すなわち主から試煉がやって来ても、それは短い間だけだ。主の恵みは速やかで永遠だ、「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る」と神の恵み深さと真実さを証しています。父親が我が子を訓練する如く、神も私たちに御心のままに試煉を与え御国に相応しい者へと訓練されるからです。

2.詩篇記者の回顧 (6-10節)
詩篇記者は自身の信仰生活を回顧して語ります。まず6節から7節前半で、試煉が突然やって来る前の「安らかな時」「山のように堅くされている時」についてです。ところが7節後半に入ると様子が一変します。新共同訳聖書では「しかし」という言葉を補っている程です。  

 30:7b …あなたがみ顔をかくされたので、わたしはおじ惑いました。

突然試煉が詩篇記者にやって来たのです。その時から詩篇記者の悔い改めと、いのちを助けて下さいとの祈りが始まったのです。その祈りの内容が9-10節に記されています。

3.「いのちの限りあなたを誉め讃えたい」 (11-12節)
彼の祈りに、神が具体的にどう応えて下さったかは記されていません。ただ、如何なる時にも誰にも普遍的で変わることが無い真理が告白されています。  
 30:11 あなたはわたしのために、嘆きを踊りにかえ、荒布を解き、喜びをわたしの帯とされました。  
 30:12 これはわたしの魂があなたをほめたたえて、口をつぐむことのないためです。わが神、主よ、わたしはとこしえにあなたに感謝します。

神は、私が生きる限り主をほめ歌い感謝するようにと、新しいいのちを与えて下さった、と。

4.私たちの身近にいる証人(あかしびと)
使徒パウロも、主イエスも詩篇記者と同様の体験をしました。パウロも祈りが聴かれなかったこともありました。しかし「喜んで自分の弱さを誇」るようにされました(Ⅱコリント12:7以下)。主イエスは、ゴルゴタで「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。この時、昼の十二時だというのに「地上の全面が暗くなった」と聖書は伝えています(マタイ27:45-46)。この「夜」「暗さ」とは、神に信頼して生きる者だけが出合う「夜」です。しかし、主イエスはよみがえらされ栄光の内に天に昇られました。
また、近代有名人の筆頭は、「聴かれざる祈祷」を著された内村鑑三先生です。著書の一部を抜粋しますと、  「余は余の一人の娘の疾病の癒されんことを祈った。信者の祈禱の効力あることに関する聖書の言葉を繰りかえし読んで、余は余の消えんとする祈禱の熱心を励ました。余はまたいくたびと繰りかえして、ヤイロの娘の全治せし事に関する聖書の言葉を読んだ。余は『懼(おそ)るるなかれ、ただ信ぜよ、娘は癒ゆべし』とのイエスの言を、余に語られし言として受けた。余は医師の言に反して、余の祈禱によって余の娘はかならず癒さるることを信じた。…然るに鳴呼、ヤイロの娘は癒されたが、余の娘は癒されなかった。ヤイロの祈禱は聴かれたが、余の祈禱は聴かれなかった。」
しかし、内村先生は「聴かれざる祈祷」をこう結んでおられます。「余の懐疑の夜もまた短かった。朝はじきに来て、余は涙ながらに喜び歌うた」と。内村先生の懐疑の夜はいつまでも続かなかったのです。  

 30:5 その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。

詩篇記者が証しした神の御業、人の思いや想像を超えた神による勝利の朝が内村先生に訪れたのです。
詩篇記者と同様の体験をされた方は、私たちの身近にも大勢おられます。たとえこの世にあっては無名に近くとも、今も主を喜ぶ生活を続けておられることで、主から恵みを受けていることと主の真実さを証す証人として命の書に名を連ねておられます。

終わりに
説教を締め括るにあって、もう一度1節を見てみましょう。  
 30:1 主よ、わたしはあなたをあがめます。あなたはわたしを引きあげ、敵がわたしの事によって喜ぶのを、ゆるされなかったからです。

さきほど、この「敵」とは、“神に寄り頼む人々を憎み敵意を抱く存在”という幅広い意味があるとお話ししましたが、主イエスの御降誕についてこう記されています。 

 ルカ1:71 わたしたちを敵から、またすべてわたしたちを憎む者の手から、救い出すためである。

そして、終末に於ける主イエスの御業がこう書かれています。 

 Ⅰコリント15:26 最後の敵として滅ぼされるのが、死である。

この様に、「敵」の本性(ほんせい)はサタンであり死と滅びです。罪人は誰一人としてこの「敵」から逃れることは出来ません。しかし、主イエスの十字架上での贖いとよみがえりによって1節の御言葉が真実であり現実であることが明らかになりました。
主にあって愛する兄弟姉妹方、私たちは今日の御言葉にしっかりと立って一途に神を信じて生き抜こうではありませんか。たとえ、夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来るからです。

 

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