「あなたの慰めはわが魂を喜ばせます」

「あなたの慰めはわが魂を喜ばせます」

94:12 主よ、あなたによって懲らされる人、あなたのおきてを教えられる人はさいわいです。
94:13 あなたはその人を災の日からのがれさせ、悪しき者のために穴が掘られるまで/その人に平安を与えられます。
94:14 主はその民を捨てず、その嗣業を見捨てられないからです。
94:15 さばきは正義に帰り、すべて心の正しい者はそれに従うでしょう。
94:16 だれがわたしのために立ちあがって、悪しき者を責めるだろうか。だれがわたしのために立って、不義を行う者を責めるだろうか。
94:17 もしも主がわたしを助けられなかったならば、わが魂はとくに音なき所に住んだであろう。
94:18 しかし「わたしの足がすべる」と思ったとき、主よ、あなたのいつくしみは/わたしをささえられました。
94:19 わたしのうちに思い煩いの満ちるとき、あなたの慰めはわが魂を喜ばせます。
日本聖書協会『口語訳聖書』詩編 94篇12~19節

詩篇の魅力の一つに、詩篇記者の霊的体験の一部始終が、生生しく詩的に表現されていることにあります。その多くは、誰もが遭遇するような人生の危機体験です。その時の詩篇記者がどんな状態だったか、そこからどうやって再起できたか、神を讃美するまでに至ったか、それらが告白されています。
今日の詩篇では、驚かれるかもしれませんが、記者の敵に対する復讐心がむき出しになっています。主イエスは「敵をも愛せよ」と教えておられることを思うと奇異にさえ感じます。しかし注意して読み進めると、自分が復讐を遂げることではなく、神が復讐して下さることを訴えています。憎い敵に自分の手で報いたいのが人情でしょう。しかし詩篇記者は、葛藤し動揺しながらも神に向き合い祈るうちに、「わたしのうちに思い煩いの満ちるとき、あなたの慰めはわが魂を喜ばせます。」( 詩94:19)との喜びに至ったのです。

1.復讐の訴え
まず、詩篇記者が置かれていた状況をお話ししましょう。
 94:1 あだを報いられる神、主よ、あだを報いられる神よ、光を放ってください。
 94:2 地をさばかれる者よ、立って 高ぶる者にその受くべき罰をお与えください。
 94:3 主よ、悪しき者はいつまで、悪しき者はいつまで勝ち誇るでしょうか。

「光を放ってください」は、「はっきりと姿を現わして下さい」との訴えです。


2.復讐を訴える背景
復讐心が燃え上がった事情をこの時の詩篇は記しませんが、預言者エレミヤが復讐を祈り求めた時の事情についてはこう書かれています。
エレミヤ11:19-20 しかしわたしは、ほふられに行く、おとなしい小羊のようで、彼らがわたしを害しようと、計りごとをめぐらしているのを知らなかった。彼らは言う、「さあ、木とその実を共に滅ぼそう。生ける者の地から彼を絶って、その名を人に忘れさせよう」。/正しいさばきをし、人の心と思いを探られる万軍の主よ、わたしは自分の訴えをあなたにお任せしました。あなたが彼らにあだをかえされるのを 見させてください。

彼は、腐敗・堕落した祭司たちを非難し悔い改めを迫りました。ところが驚いたことに、その祭司たちが住むエレミヤの故郷の人々は、エレミヤを厄介者と見なし暗殺を目論んだのです。

3.「復讐」に違和感を感じる人々もいる
この様な敵への報復の祈りは、敵をも愛せよとの教えに親しむ方々には奇異に感じるのでしょう。そのためか、カトリックで朝夕の祈りに使う詩編訳「教会の祈り」では、報復をごく穏やかに訳しています。
 カトリック詩編訳「教会の祈り」 94:1 裁きを現す神、ヤーウェ、光り輝いてください。
 新共同訳聖書 詩篇94:1 主よ、報復の神として 報復の神として顕現し

原文に忠実なのは新共同訳聖書です。人が思い描く「信仰深さ」で御言葉を覆うことは、本音で真剣に神と向き合う信仰者の祈りを封じたり、偽善的な祈りの助長に繋がりかねません。


4.聖書は復讐を肯定するか?
復讐心は、程度の差こそあれ、生身の人間が持つ偽らざる本音ではないでしょうか。こんな言葉が聖書に記されてます。
 創世記4:23-24 レメクはその妻たちに言った、 「…わたしは受ける傷のために、人を殺し、 受ける打ち傷のために、わたしは若者を殺す。/カインのための復讐が七倍ならば、 レメクのための復讐は七十七倍」。

これでは泥沼の報復合戦が際限無く続くことは、人類の歴史、教会の歴史から明らかです。だからと言って「信仰者が神に復讐を祈り願うなど、もってのほかだ」と決めつけてしまうのも乱暴です。聖書は復讐についてどう教えているか、御言葉に聞くべきです。パウロは、申命記32:35を引用しています。
 ローマ12:19 愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。

復讐を願って良いのですが、その憎悪の矛先を相手に向けるのではなく、その思いを神に御前に携え行き、本音の祈りを通して神と膝詰め談判すべきこと、これが今日の詩篇のメッセージです。


5.祈りの力の源
しかし、祈ると言ってもそう簡単な事ではありません。その原動力が必要です。確かに相手への怒り憎しみが原動力になり得ますが、神が義なるお方であることの信頼こそ祈りの原動力です。では、「義なる神」とはどの様なお方でしょうか。

●王として「報復、復讐」の権能を持つお方
そもそも「報復、復讐」とは、人間社会で真っ当な法的手続きが行われないか、あるいはそれが破綻したような時に、正義を行う、あるいは正義を回復する行為です。私たちの主でいて下さる神は、万物を創造し支配しておられます。それゆえ、神は物事の秩序を回復し自分の権威を守る権利と責任を持つ王でもあられます。ですから、神による「報復、復讐」とは義なる神の権能であって、神の定めた正義が人間社会で行われず破綻したような所に正義を回復する行為です。
 へブル10:30 「復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と言われ、また「主はその民をさばかれる」と言われたかたを、わたしたちは知っている。

新約の時代にあっては、神の御子イエス・キリストが「報復、復讐」の権能を持っておられ、主イエスは既にエルサレムを裁き、この世をも終わりの日に最終的に裁かれます。


6.神は祈る者を訓練される
 94:12 主よ、あなたによって懲らされる人、あなたのおきてを教えられる人はさいわいです。

12節で詩人は自分自身と同様に、「神によって懲らされる人」、「神のおきて教えられる人」はさいわいだと言っています。神は、御言葉に聞き祈る人を懲らす、つまり訓練されます。その訓練とは、神の「おきて」すなわち御心を教えることで、親が子を躾けるのと同様です。神に訓練される人は、神の奥義と人生のより深い意味と忍耐とを学び取り、「神の御前に富む人」へと成長するのでさいわいです。


7.神に訓練された者の新たな確信
 94:13 あなたはその人を災の日からのがれさせ、悪しき者のために穴が掘られるまで その人に平安を与えられます。
 94:14 主はその民を捨てず、その嗣業を見捨てられないからです。
 94:15 さばきは正義に帰り、すべて心の正しい者はそれに従うでしょう。

霊的訓練を受けた詩篇記者の心の中からは、悪人への怒りに代わって、主の恵みと慰めへの期待が溢れてきてます。そして詩篇記者の口からは、神に対する全幅の信頼が溢れ出ます。
 94:16 だれがわたしのために立ちあがって、悪しき者を責めるだろうか。だれがわたしのために立って、不義を行う者を責めるだろうか。
それは他ならぬ義なる神、あなたですと。


8.「神の訓練」を受けた者の喜び
 94:17 もしも主がわたしを助けられなかったならば、わが魂はとくに音なき所に住んだであろう。
 94:18 しかし「わたしの足がすべる」と思ったとき、主よ、あなたのいつくしみは わたしをささえられました。
 94:19 わたしのうちに思い煩いの満ちるとき、あなたの慰めはわが魂を喜ばせます。

もし、神の救いがなかったら、私の魂は滅びの世界に墜ちていた。だが、私の人生が崩壊の危機に瀕した時、いつくしみ深い神は私を支えて下さった、と神を誉め讃えています。
19節は、J.S.バッハのカンタータ第21番の第二曲の合唱でも歌われています。


結び ~詩篇を通してイエスを仰ぎ見る
94:1 あだを報いられる神、主よ、あだを報いられる神よ、光を放ってください。

「光を放ってください」とは、はっきりと姿を現わして下さいとの訴えです。既に神はイエスによって答えて下さりました。
 ヨハネ8:12 …「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。

主イエスは、罪の支配と滅びから人を救うために働かれたが故に、罪の支配に留まる人々から攻撃されました。
 ルカ6:22-23 人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。/その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。

主イエスは地上の御生涯の間、病をいやし悪霊から解放し死人をよみがえらせ、神殿を清め、御自身墓からよみがえられました。ウエストミンスター小教理問答 問26「キリストは、どのようにして王の職務を果たされるか」にある通りで、主イエスはこの世界の王であり、罪の支配に勝利しておられることを証しされました。
 ヨハネ16:33 これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。

この主イエス・キリスト主イエスが私たちの王であり、救い主であり、友でいてくださることこそ、私たちの慰め、また喜びです。
 ローマ12:19 愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
 94:19 わたしのうちに思い煩いの満ちるとき、あなたの慰めはわが魂を喜ばせます。

旧約時代の信仰者たち、主イエスと弟子たち、初代教会の殉教者たち、彼らの生き様・死に様は、この御言葉が真実であることを雄弁に語っています。彼らは、この世の悪の力に負けて葬り去られたのではありません。彼らは、憎しみと暴力による復讐を叫ぶことこそしませんでしたが、この世界の王であるお方、彼らの主でいて下さる神の報復に委ねて祈りました。そして、後々のあらゆる状況下におかれる信仰者たちへの“証人”となっていったのです。

■この日の信仰告白
ウェストミンスター小教理問答 問21、23、26
http://www.rcj-net.org/resources/WCF/text/index.htm
■この日の讃美歌
 22番「めさめよ、わがたま あさ日にともない」
 344番「とらえたまえ、わが身を」
 523番「身に負いえぬ悲しみは」 
※歌詞とメロディーは下記をご覧下さい。
https://www.rcj.gr.jp/izumi/sanbi/sanbisen.htm

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