「神を仰ごう」

「神を仰ごう」

聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌
19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
19:2 この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。
19:3 話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
19:4 その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。
19:5 日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。
19:6 それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。その暖まりをこうむらないものはない。
19:7 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。
19:8 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。
19:9 主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。
19:10 これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。
19:11 あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。これらを守れば、大いなる報いがある。
19:12 だれが自分のあやまちを知ることができましようか。どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください。
19:13 また、あなたのしもべを引きとめて、故意の罪を犯させず、これに支配されることのないようにしてください。そうすれば、わたしはあやまちのない者となって、大いなるとがを免れることができるでしょう。
19:14 わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いが/あなたの前に喜ばれますように。
日本聖書協会『口語訳聖書』詩編 19篇1-14節

この詩篇19篇は、多くの人に愛読されています。『ナルニア国物語』を著したC.S.ルイスは、この詩篇を「詩篇全体の中で最も優れた詩であり、世界に残された多くの詩の中で最も優秀な詩の一つ」と言っています。
ところで、キリスト教では「啓示」という言葉をよく使います。啓示とは、「神がどの様なお方であるかという人間の力では到達できない真理を人間に開示すること」です。この詩篇は、神は二つの手段で啓示されていると讃えています。
(1)「自然を通して」(1-6節)
(2)「聖書を通して」(7-11節)
「自然を通して」の啓示と「聖書を通して」の啓示の二つは互いに補足し合います。自然は聖書のことばによって正しく理解され、聖書のことばは自然によって具体的に説明されるのです。


1.自然を通しての啓示」(1-6節)
 19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。

昼は、太陽の光が照り注ぎ温もりが私たちを包みます。夜空には無数の星と月光が輝きます。「御手のわざによって創られた生命のないものが人の心を引きつける程素晴らしいならば、それらを創られた神はどんなに素晴らしいお方であることか!」と歌い、
 19:2 この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。

啓示は毎日一瞬たりとも途切れることが無いと続けています。3節以降の「日」は太陽のことです。太陽が精力的に活動する人間に例えられています。
 19:3 話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
 19:4 その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。
 19:5 日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。
 19:6 それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。その暖まりをこうむらないものはない。

「天のはてからはてにまで」。つまり、自然界を通して明かされる神の啓示から誰一人漏れないのです。これは当然です。世界中の人が神の被造物の中に存在しているからです。
また、「その暖まりをこうむらないものはない」と言う表現も素敵です。たとえ耳や目が不自由でも太陽が発する温もりは感じられます。人間誰でも、自然を通して神の素晴らしさを感じ取れます。
主イエスはこう言われました。
 マタイ6:26 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
 マタイ6:30 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。

私たちが自然の美しさを目の当たりにして、「これは私たちの神様の作品ですよ」と子どもや孫たちに話せると良いですね。


2.律法(旧約聖書)による啓示(7-11節)
自然は神の創造のみわざの偉大さを具体的に現し、人間に神の存在を伝えます。しかし、自然だけでは不十分です。人によって感じ方受け取り方は千差万別です。そこで神は文字による解説、すなわち聖書をご自分が選んだ民に与えたのです。その聖書には、神の民を特別に選び特別な契約を結ばれた主の期待と祝福が明文化されているのです。その聖書、神の御言葉の素晴らしさが誉め讃えられます。
 19:7 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。
 19:8 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。
 19:9 主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。

ここでは、「おきて」、「あかし」、「さとし」、「戒め」、「さばき」との言葉によって、聖書の本質が表現されています。神御自身が選ばれた民が、彼らの創造主を喜び、その方が彼らに特別な啓示を与えてくださったことを覚えて主を礼拝し、またその言葉に従って歩めるよう、特別な啓示としての(旧約)聖書を民に与えて下さったのです。
聖書の素晴らしさが誉め讃えられます。
 19:7 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。

主の言葉は、魂を「生きかえらせ」とありますが、素晴らしい意味を持っています。「元の状態に戻す」という意味です。これと同じ表現が詩篇23:3に登場します。
 詩篇23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。

主イエスは、御自身についてこんなことを話して下さってます。
 ルカ15:4 「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。

主イエスこそ、私たちの「魂を生きかえらせ」て下さるお方、私たちを「元の状態に戻」して下さるお方です。

続いて、神の民に与えられた聖書の“値打ち”について言われます。
 19:10 これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。
 19:11 あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。これらを守れば、大いなる報いがある。

しかし、御言葉を与えられた民みんながその価値を認めて「あなたのしもべ」に相応しい生活をしていたわけではありませんでした。神の創られた自然界に毎日囲まれていても創造主に思いを馳せず、神から与えられた具体的な啓示(御言葉)が手元にあってもそれに聞かないのであれば、御言葉を知らない人たちよりも悪い状態に陥ります。その彼らは、神自ら遣わして下さった主イエスにも反抗し十字架に掛けました。
 マタイ16:1-3 パリサイ人とサドカイ人とが近寄ってきて、イエスを試み、天からのしるしを見せてもらいたいと言った。/イエスは彼らに言われた、「あなたがたは夕方になると、『空がまっかだから、晴だ』と言い、/また明け方には『空が曇ってまっかだから、きょうは荒れだ』と言う。あなたがたは空の模様を見分けることを知りながら、時のしるしを見分けることができないのか。

この譬えの意味はこうです。西に地中海が広がるパレスチナでは、西の夕空が「まっか」であると、雲やかすみが西の海に吹き払われたわけで、あすは「晴」になる前兆でした。逆に、朝の東の空が「まっか」であると、雲が東のアラビア砂漠にただよっていて「荒れ」になる前兆でした。同じ「まっか」な空でも、それを西にみるか東にみるか、朝みるか夕方みるかによって、まったく違う性質のしるしと見分けるのが、ユダヤ人の常識でした。ところが彼らはイエスの奇跡、真理についての説き明かしを見聞きしても、異教的魔術・偽メシャ運動の騒ぎ・政治的闘争との違いを見抜けず、天からのしるしを見分けられなかったのです。絶対に心を動かされまいと、最初から固く心の戸を閉ざしている頑固さ、それが霊的盲目というものです。この霊的盲目は、科学と迷信に染まった現代人にも見られるものです。
パウロは詩篇19:4等を引用して説教しました。
 ローマ10:17-21 したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。/しかしわたしは言う、彼らには聞えなかったのであろうか。否、むしろ「その声は全地にひびきわたり、その言葉は世界のはてにまで及んだ」。/なお、わたしは言う、イスラエルは知らなかったのであろうか。まずモーセは言っている、「わたしはあなたがたに、国民でない者に対してねたみを起させ、無知な国民に対して、怒りをいだかせるであろう」。/イザヤも大胆に言っている、「わたしは、わたしを求めない者たちに見いだされ、わたしを尋ねない者に、自分を現した」。/そして、イスラエルについては、「わたしは服従せずに反抗する民に、終日わたしの手をさし伸べていた」と言っている。

パウロは当時のユダヤ人を相手に説教しました。「キリストの言葉を聞くことから信仰は始まる。あなたがたはキリストの言葉が聞えなかったから信じなかったのか?否、そうではない。神の言葉は全地に響き渡り地の果てまで届いている」、「国民でない者、無知な国民、すなわちユダヤ人以外の人々が妬んで怒るほど解りやすく語られたのだ」、「神は、神を求めようとしない人ですら悟れるようにご自分を現された」、「それでもなお不従順で反抗する民に、神は忍耐して手を差し伸べて下さった」と。この言葉は、今も神の言葉として私たちに迫ってきています。


3.むすび
19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。

この詩人のように、私たちも大空を仰ぎましょう。神のみ手の業に思いを巡らし、御言葉に聞きましょう。

■この日の信仰告白
ウェストミンスター小教理問答 問89、90
■この日の讃美歌
 6番「われら主をたたえまし」
 76番「ほめまつれ御神をば」
 355番「主を仰ぎ見れば 古きわれは」

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