「“永遠”を求める思い (1)」

「“永遠”を求める思い (1)」

アサフの歌
73:1 神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵みふかい。
73:2 しかし、わたしは、わたしの足がつまずくばかり、わたしの歩みがすべるばかりであった。
73:3 これはわたしが、悪しき者の栄えるのを見て、その高ぶる者をねたんだからである。
73:4 彼らには苦しみがなく、その身はすこやかで、つやがあり、
73:5 ほかの人々のように悩むことがなく、ほかの人々のように打たれることはない。
73:6 それゆえ高慢は彼らの首飾となり、暴力は衣のように彼らをおおっている。
73:7 彼らは肥え太って、その目はとびいで、その心は愚かな思いに満ちあふれている。
73:8 彼らはあざけり、悪意をもって語り、高ぶって、しえたげを語る。
73:9 彼らはその口を天にさからって置き、その舌は地をあるきまわる。
73:10 それゆえ民は心を変えて彼らをほめたたえ、彼らのうちにあやまちを認めない。
73:11 彼らは言う、「神はどうして知り得ようか、いと高き者に知識があろうか」と。
73:12 見よ、これらは悪しき者であるのに、常に安らかで、その富が増し加わる。
73:13 まことに、わたしはいたずらに心をきよめ、罪を犯すことなく手を洗った。
73:14 わたしはひねもす打たれ、朝ごとに懲らしめをうけた。
73:15 もしわたしが「このような事を語ろう」と言ったなら、わたしはあなたの子らの代を誤らせたであろう。
73:16 しかし、わたしがこれを知ろうと思いめぐらしたとき、これはわたしにめんどうな仕事のように思われた。
73:17 わたしが神の聖所に行って、彼らの最後を悟り得たまではそうであった。
日本聖書協会『口語訳聖書』詩編 73篇1-17節

詩篇73篇は時代と民族を越えて多くの人々に愛されてきた詩篇です。なぜなら、この詩篇を読んでいると、自然と共感が湧いて来て、自分自身が詩篇記者に重なってきて慰められ、そして励まされるからでしょう。
この詩篇の記者は、自分の実体験で得た結論を冒頭の1節に記し、2節以降では一連の経緯を正直に生々しく、しかも美しい詩的表現を用いて記しています。今日から三回にわたり、詩篇73篇の御言葉に聞いてまいりましょう。


1.本来あるべき信仰の状態
 73:1 神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵みふかい。

「まことに」という言葉で、「神の恵み深さを疑う余地は無い」との詩篇記者の体験が結論付けられています。そして2節からは、詩人の実体験です。


2.この世の現実
ある時詩篇記者は、繁栄して一見平和な世の中の現実に気づいたのです。
 73:2 しかし、わたしは、わたしの足がつまずくばかり、わたしの歩みがすべるばかりであった。

「足がつまずき、歩みがすべるばかり」とは、砂利混じりの砂地をよろけながら歩く姿を連想されますが、自分の人生が破綻しそうの状態です。
詩篇記者にいったい何が起こったのか?! そのことがリアルに描写されます。
 73:3 これはわたしが、悪しき者の栄えるのを見て、その高ぶる者をねたんだからである。
 73:4 彼らには苦しみがなく、その身はすこやかで、つやがあり、
 73:5 ほかの人々のように悩むことがなく、ほかの人々のように打たれることはない。

悪しき人々は繁栄し順風満帆、彼らは無病息災で健康長寿、勢力も盤石だ、と。さらに凄い詩的表現が続きます。
 73:6 それゆえ高慢は彼らの首飾となり、暴力は衣のように彼らをおおっている。
 73:7 彼らは肥え太って、その目はとびいで、その心は愚かな思いに満ちあふれている。

彼らは、装飾品を身に付け飾るが如く高慢さで自分を誇示し、暴虐が彼らの身だしなみになっている。彼らは豊かな食生活で油ぎり、彼らの目からは罪意識も良心も麻痺した心がむき出しになっている。

 73:8 彼らはあざけり、悪意をもって語り、高ぶって、しえたげを語る。
 73:9 彼らはその口を天にさからって置き、その舌は地をあるきまわる。

恥じらうどころか平気で“天に唾(つば)”する様が見事に表現されています。これだけでも、何をか言わんやですが、もっと荒れすさんだ惨憺たる状況が言われます。


3.途方に暮れる詩人
 73:10 それゆえ民は心を変えて彼らをほめたたえ、彼らのうちにあやまちを認めない。
 73:11 彼らは言う、「神はどうして知り得ようか、いと高き者に知識があろうか」と。
 73:12 見よ、これらは悪しき者であるのに、常に安らかで、その富が増し加わる。

悪しき人々が繁栄する有様を見て世間の人々は彼らに迎合し、彼らは神を平然と侮るが益々栄える、なんと言うことか! 詩篇記者はこのような有様を怪しみ、栄える彼らを妬み、神の正義はどうなってるのか、と信仰は激しく動揺したのです。
ヨブも試練に遭った時(ヨブ21章7-16)、神の正義、すなわち因果応報の法則に反した現実に疑問を投げかけました。
「『神が何者なので神に従わねばならないのか。神に祈って、どんな利益があるのか』と言うような者たちが、なぜ生きながらえ、年をとっても、なお力を増すのか。子孫に恵まれ、家は平和で、家畜はよく肥え、子供たちは楽しそうに戯れる。彼らは幸せのうちに寿命を全うし、安らかに眠る」。どこに神の正義があるのか」。
ヨブの疑問もこの詩篇記者の疑問も、あらゆる時代を通じて、いわゆる世の成功者に対して人が抱いてきた疑問を見事に描写してます。そのうえこれは、今日も真実です。

余談になるかも知れませんが、2020年2月27日に、文藝春秋社から内田 樹(たつる)著「サル化する世界」が出版され、同社のWeb上にインタビュー記事が掲載されました。
https://bunshun.jp/articles/-/35353
内田氏による「『サル化』が急速に進む社会をどう生きるか?」との非常に興味深い命題に対して、今から3000年近くも前に、神は聖書を通して問題提起をし、究極的解決の道を示しておられたことは新鮮な驚きです。


4.途方にくれると、そこに誘惑が来た
 73:15 もしわたしが「このような事を語ろう」と言ったなら、わたしはあなたの子らの代を誤らせたであろう。

この詩篇を書いたとされるアサフは、ダビデ王に仕え、ダビデの書いた詩に曲を付けたイスラエルの歴史上屈指の讃美指導者として名をとどめています。彼のように神を信じ、神に仕える立場にいる人でも「神の正義を疑い、心の中で悩み苦しんだ」、「神の言葉が信じられないと感じ、疑いの大波に揺さぶられた」のです。そして、彼は、疑念をそのままぶちまけようとの誘惑を受けたのです。しかし、彼のような立場の者がそうしたら大変な躓きが起こることを察して信仰に踏みとどまりました。

悪魔のささやき
人間とは理性的な動物とも言われますが、感情で納得する生き物でもあります。信仰者は誰でも、聖書の約束から余りにも乖離した現実を見る時、御言葉を怪しみ、繁栄する悪しき人々を妬んだりもするのです。そういう感情に、一瞬の隙に悪魔はささやきかけます。「神を認めない生き方の方が、人生の中で有利ではないか。」
この悪魔のささやきは一応筋が通っていて反論は難しいです。これこそ、誘惑の特徴です。この記者が経験したのも、まさしくそれでした。詩篇記者は、なんとかして信仰を立て直し、自分の信念への合理的説明を見出そうと努めたのです。 
 73:16 しかし、わたしがこれを知ろうと思いめぐらしたとき、これはわたしにめんどうな仕事のように思われた。

けれども、こき使われた奴隷のように疲労困憊しただけだった、と。
詩篇記者が言っているのは、途方にくれることも神に対して疑問を持つことも罪ではない、恥と思う必要も無いことです。彼の中心的メッセージは、この世の現実に途方にくれ誘惑され神に疑問を持った時、どうするかです。パウロはこう教えています。
 エペソ6:16 その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう

この世の現実を見て途方にくれ、怪しみ疑い始め信仰の盾を外しかけると、すかさずサタンは誘惑という「悪しき者の放つ火の矢」を打ち込んで来るのです。
記者は神の聖所に行った。ここに詩篇記者が知らせたかった中心点があります。
 エペソ6:13 それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。

主イエス・キリストご自身も荒野で試みを受けました。悪魔はさまざまな思いを主の心に入れましたが、主は御言葉という「神の武具」により勝利されました(マタイ4章)。


5.勝利への道程
詩人は、神の武具を身につけるべく「神の聖所に行った」(73:17a)のです。「聖所」とは旧約時代にあってはエルサレム神殿、新約の時代は教会です。「聖所」とは、神の言葉が正しく語られ聞かれ、祈りと信仰の交わりによって励まし合える場所です。この詩篇記者は、まことの「聖所」に行ったのです。自分の中にある疑いを隠すこと無く、神に取り扱われて問題を処理できる場所があったのです。詩人は詩篇の読者一人ひとりに語ります、あなたも同じようにすれば良い、と。
そして、詩人は「彼ら(悪しき人々)の最後を悟り得た」(73:17b)のです。彼は本当に幸いでした。「造物主による創造」という想像を絶するほどの過去と、「救い主による救済」という、私たちの感覚を遙かに超えた神のご計画の中にいることを彼は思い起こし、御言葉を霊的に洞察出来たのです。義なる神は必ず報いることを。イザヤはこう言ってます。
 イザヤ55:8 わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると 主は言われる

同じ真理をパウロも語っています。
 Ⅰコリント10:13 あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。

そして詩篇記者は言った。 
 73:1 神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵みふかい。

パウロもこう言った。
 Ⅱコリント4:8 わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。

これは私たちにも真理です。


6.教会へおいでよ
 73:17 わたしが神の聖所に行って、彼らの最後を悟り得たまではそうであった。

「神の聖所」とは旧約時代にあってはエルサレム神殿でした。現代の私たちにとっての究極的な「聖所」とは、
 黙示録21:22 …全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。

御言葉が正しく語られ、聴かれ、主イエス・キリストと出会い、信仰に生きる喜怒哀楽を本音で語り合える教会が、新約の時代にあっては「神の聖所」です。
話題を呼んでいるポスターがあります。
 https://www.news24.jp/articles/2019/03/15/07421841.html
自殺対策の相談窓口を紹介するポスターですが、「だめになりそうなときは きっと ここにおいでよ」とあります。素晴らしい言葉です。私たちの教会も「だめになりそうなときは きっと ここにおいでよ あなたの救い主と出会えるから」、そのような場でありたいです。


■この日の讃美歌・信仰告白
9番「ちからの主を ほめたたえまつれ」
239番「さまようひとびと たちかえりて」
280番「わが身ののぞみは ただ主にかかれり」
ウェストミンスター小教理問答 問1-4
https://www.jesus-web.org/westminster


 

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