「わが魂よ、汝の平安に帰れ」

「わが魂よ、汝の平安に帰れ」

116:1 わたしは主を愛する。主はわが声と、わが願いとを聞かれたからである。
116:2 主はわたしに耳を傾けられたので、わたしは生きるかぎり主を呼びまつるであろう。
116:3 死の綱がわたしを取り巻き、陰府の苦しみがわたしを捕えた。わたしは悩みと悲しみにあった。
116:4 その時わたしは主のみ名を呼んだ。「主よ、どうぞわたしをお救いください」と。
116:5 主は恵みふかく、正しくいらせられ、われらの神はあわれみに富まれる。
116:6 主は無学な者を守られる。わたしが低くされたとき、主はわたしを救われた。
116:7 わが魂よ、おまえの平安に帰るがよい。主は豊かにおまえをあしらわれたからである。
116:8 あなたはわたしの魂を死から、わたしの目を涙から、わたしの足をつまずきから助け出されました。
116:9 わたしは生ける者の地で、主のみ前に歩みます。
116:10 「わたしは大いに悩んだ」と言った時にもなお信じた。
116:11 わたしは驚きあわてたときに言った、「すべての人は当にならぬ者である」と。
116:12 わたしに賜わったもろもろの恵みについて、どうして主に報いることができようか。
116:13 わたしは救の杯をあげて、主のみ名を呼ぶ。
日本聖書協会『口語訳聖書』詩編 116篇1~13節

今日の116篇は、神が祈りに応えて下さり“死の縄目”から救われたことの喜び感謝の詩篇です。今回は引用箇所が非常に多いですが、この詩篇と新約聖書との緊密な繋がりを読み取って頂ければと思います。


1.詩篇全般の背景
詩篇の美しさと霊的魅力を味わうことを目的として、まず最初に詩篇が書かれた時代背景と詩篇記者たちの信仰について手短にお話しします。

(1)神と契約を結んだ民、イスラエル詩篇記者たちは当時の「神の民として選ばれたイスラエル人」を念頭に置いています。その彼らの人生観の根底には、「契約」ありました。その「契約」とは、神がモーセに出エジプトの途上シナイ山で提示した契約のことです。そこでは、まず神との契約関係に置かれる人々の特権が提示されました。
 出エジプト19:5 それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。

続いて、義務と責任です。
 出エジプト19:6 あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう…

契約に入れられる民の義務・責任とは、「祭司」の務めを果たすことでした。すなわち
①神の掟を守り、全世界に主の存在と恵みと力を示すこと
②神と罪人との和解をとりなすこと
でした。そのうえで彼らへの報い、すなわち祝福と災いも明示されました。申命記に詳述されてますが、今日は割愛します。この様な特権と義務を喜んで受け入れた“神の民”が神を寿ぐ歌、それが詩篇です。

(2)詩篇と私たちとの関わり
このように詩篇は、
①“神の民”である同胞の信仰を鼓舞する歌です。
②そして、永久に変わず存在する唯一真の神の恵みと力を証しして、全世界の人々を神のもとに招く賛歌でもあります。

(3)詩篇は主イエスの言葉でもある
詩篇が神を寿ぐ賛歌であるなら、時至って人間世界に遣わされた(受肉された)神の御子イエス・キリストが、この詩篇で歌われていても良いはずです。事実福音書には、主イエスが詩篇の言葉を自分の言葉、また祈りの言葉とされたことが、私が調べただけでも22箇所あります。福音書記者が主イエスに関連して詩篇を引用したのは7箇所あります。ですから、この詩篇の「わたし」は受肉前の御子イエスであり、「主」「あなた」は三位一体における父なる神であると読むことが出来ます。事実イエスはこう祈られました。
 ルカ10:21 そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。…

先ほど、ウェストミンスター小教理問答問6と問21でも、イエスは三位一体の第二位格(第6問):父と子の関係にあること、二性一人格(第21問):イエスは神であり人間であることの信仰を告白した通りです。この様な予備知識を確認して今日の詩篇へと進んで参りましょう。


2.信仰の告白
 116:1 わたしは主を愛する。主はわが声と、わが願いとを聞かれたからである。
 116:2 主はわたしに耳を傾けられたので、わたしは生きるかぎり主を呼びまつるであろう。

詩篇116篇は、他に例を見ないような愛の告白で始まり、「主」「あなた」が合計26回繰り返され、「わたし」「わが」は合計29回も繰り返されています。これほど強固な愛の絆は、
 申命記7:9 それゆえあなたは知らなければならない。あなたの神、主は神にましまし、真実の神にましまして、彼を愛し、その命令を守る者には、契約を守り、恵みを施して千代に及び、

と記されている神の愛への信頼に基づいています。このことは詩篇記者ばかりか主イエスも同様でした。
 ヘブル5:7 キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。


3.救いの御業の体験
 116:3 死の綱がわたしを取り巻き、陰府の苦しみがわたしを捕えた。わたしは悩みと悲しみにあった。
 116:4 その時わたしは主のみ名を呼んだ。「主よ、どうぞわたしをお救いください」と。
 116:5 主は恵みふかく、正しくいらせられ、われらの神はあわれみに富まれる。
 116:6 主は無学な者を守られる。わたしが低くされたとき、主はわたしを救われた。

詩篇記者自身やイスラエルの民族が、かつて存亡の危機に瀕したことが回顧されています。どの様な出来事か知りたいところですが、具体的に書かれていないことには理由があります。この詩篇に記された神の救いは、普遍的な真理であって、私たちの人生に於いても然りだからです。十字架の死とよみがえり・昇天に至る主イエスの公生涯も、このことを確証しています。
魂が御言葉を聞ける幸い主イエスはこう言われました。
 ヨハネ14:27 わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。

言葉には人を死に追いやる力もあれば、人をいのちを与える力もあります。
 116:7 わが魂よ、おまえの平安に帰るがよい。主は豊かにおまえをあしらわれたからである。

この様な御言葉を聞いて慰め励まされる人は幸せです。福音書に、ゲッセマネで主イエスが祈られた時の様子がこう記されています。
 ルカ22:43-44 そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。/イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。

父なる神が御使を遣わして「言葉」を与え、主イエスを励まされたのです。
この詩篇記者も、自分の主でいて下さる神を、三重に積み重ねて誉め讃えています。
 116:8 あなたはわたしの魂を死から、わたしの目を涙から、わたしの足をつまずきから助け出されました。

①「魂を死から助け出された」。新約の時代に生きる私たちは、何のことか具体的に判ります。神は、救い主イエス・キリストの十字架によって罪を赦して下さったこと。そしてよみがえられたイエスを信じる私たちは、信仰により死の縄目から解放され、永遠の命を与えられていることです。
②「目を涙から助け出された」。私たちの人生には悲しみ苦しみ、思い悩みも涙も満ちています。しかし、
 黙示録21:4 神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」
③「足をつまずきから助け出された」とあります。私たちは人生を前進していかねばなりません。しかし道は険しい坂もあれば、暗黒の谷底の道、石ころの様な躓きだらけの道も通らねばなりません。しかし、
 詩篇56:13 あなたはわたしの魂を死から救い、わたしの足を守って倒れることなく、いのちの光のうちで神の前に わたしを歩ませられたからです。


4.信仰に生きる決意と感謝
9節以下は、救いを味わった詩篇記者の、信仰を貫き通す決意と具体的行動の表明ですが、同時に主イエスの御生涯の前触れとも読めます。
 116:9 わたしは生ける者の地で、主のみ前に歩みます。
 116:10 「わたしは大いに悩んだ」と言った時にもなお信じた。
 116:11 わたしは驚きあわてたときに言った、「すべての人は当にならぬ者である」と。

御自分の民、同胞に囲まれ、弟子たちと共に生活された主イエスの決意と苦悩が伝わってきます。14節以下では、
 116:14 わたしはすべての民の前で、主にわが誓いをつぐなおう。
 116:18 わたしはすべての民の前で/主にわが誓いをつぐないます。
 116:19 エルサレムよ、あなたの中で、主の家の大庭の中で、これをつぐないます。主をほめたたえよ。

主にわが誓いをつぐなおう、主に私の誓いを果たそうとの言葉は、
 ルカ19:10 人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」

主イエスに於いて神の現実となりました。続く15節では、
 116:15 主の聖徒の死はそのみ前において尊い。

「主の聖徒の死」の尊さがこう言われます。
 ヘブル9:15 …それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、召された者たちが、約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。

主イエスが聖餐式を定め、主イエス・キリストの死と復活により、罪の贖いと救いの御業が成し遂げられた時、「過ぎ越し」は「聖餐式」へと形を変えました。それに伴い、旧約時代は過ぎ越しの食事で歌われたこの詩篇116篇、
 116:13 わたしは救の杯をあげて、主のみ名を呼ぶ。
 116:17 わたしは感謝のいけにえをあなたにささげて、主のみ名を呼びます。

は、聖餐式で歌われるようになりました。パウロはこう言いました。
 Ⅰコリント10:16 わたしたちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血にあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだにあずかることではないか。


5.結び
ウェストミンスター小教理問答問27で、「キリストの低い状態とは…この世の悲惨と神の怒りと十字架ののろいの死とを忍ばれたこと…」とご一緒に斉読しましたが、
 ヘブル4:15 この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。

その主イエスは今日も私たちを招いておられます。
 116:7 わが魂よ、おまえの平安に帰るがよい。主は豊かにおまえをあしらわれたからである。

私たちは、こう応答しましょう
 116:1 わたしは主を愛する。主はわが声と、わが願いとを聞かれたからである。

■この日の信仰告白
ウェストミンスター小教理問答 問6、21、27
https://www.jesus-web.org/westminster/
■この日の讃美歌
 66番「聖なる聖なる 聖なるかな」
 121番「馬槽のなかに うぶごえあげ」
 526番「主よ、わが主よ、あいの主よ」
https://www.rcj.gr.jp/izumi/sanbi/sanbisen.htm


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