「“永遠”を求める思い(3)」
73:1 神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵みふかい。
73:2 しかし、わたしは、わたしの足がつまずくばかり、わたしの歩みがすべるばかりであった。
73:3 これはわたしが、悪しき者の栄えるのを見て、その高ぶる者をねたんだからである。
73:21 わたしの魂が痛み、わたしの心が刺されたとき、
73:22 わたしは愚かで悟りがなく、あなたに対しては獣のようであった。
73:23 けれどもわたしは常にあなたと共にあり、あなたはわたしの右の手を保たれる。
73:24 あなたはさとしをもってわたしを導き、その後わたしを受けて栄光にあずからせられる。
73:25 わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。
73:26 わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。
73:27 見よ、あなたに遠い者は滅びる。あなたは、あなたにそむく者を滅ぼされる。
73:28 しかし神に近くあることはわたしに良いことである。わたしは主なる神をわが避け所として、あなたのもろもろのみわざを宣べ伝えるであろう。
日本聖書協会『口語訳聖書』詩編 73篇1-3、21-28節
この詩篇は、悪しき人々が栄える世にあって、正しく生きようと苦悩する人々に勇気と希望を与えてくれます。
73:1 神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵みふかい。
これは宗教的理想でも哲学的思考の産物でもありません。詩篇記者自身が、善悪を弁える人なら誰もがぶち当たる試練に勝利した末の結論です。また、私たちの信仰告白です。
1.先週までのおさらい ~この結論に至った経緯
(1)この詩人は、神の言葉と、自分が観察した世の現実とにギャップを感じました。聖書の言葉と私たちの感情との間に隔たりを感じることは当時に限ったことではありません。3~12節に見事に描写された「悪しき者が栄える」世にあって、詩篇記者の神への信頼は激しく動揺し、自己崩壊の危機に陥ったのです。「悪しき人々は、諸事万端思い通りになり栄えるのをいいことに、ますます高慢になり、平然と神を侮っても裁きを受けず栄えるばかり。世の人々は彼らに迎合し、世の中は荒む一方ではないか!」と。
(2)記者はそれでも敬虔な日々を努めました。しかし自己憐憫と挫折感に日々苛(さいな)まれたのです。(13,14節)。そうこうするうちに彼は、自分の苦悩を洗いざらいぶちまけようとの衝動に駆られます。しかし、同信の仲間や後の世代の人々を躓かせてしまうことに気付き、踏みとどまりました。その後も、自分を立て直そうと励んだものの、苦悩は深まり疲労困憊していったのです(15,16節)。
(3)どれ程の時間が経過したかは判りませんが、彼は聖所、今日の教会に行ったのです。そこで神と、信仰の友との交わりを持てた時、彼の信仰は回復され、この世の現実を霊的に洞察できるようになりました。
(4)霊的洞察を経て彼が悟ったことの第一は、神は悪しき者を必ず滅ぼされることでした。永遠という神の時間の物差しによれば、彼らの繁栄は一夜の夢の如く儚(はかな)いのです(18~20節)。これと似た思想が平家物語では「奢(おご)れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」と言われてます。先週までに以上のことをお話ししました。
2.霊的洞察の第二、悔い改め (21-22節)
さて21節から、詩篇記者が霊的洞察により悟った二番目の事柄へと進んで参ります。
73:21 わたしの魂が痛み、わたしの心が刺されたとき、
73:22 わたしは愚かで悟りがなく、あなたに対しては獣のようであった。
詩篇記者は自分を獣に譬えていますが、獣とはこういう人のことです。
ユダ1:10 …この人々は自分が知りもしないことをそしり、また、分別のない動物のように、ただ本能的な知識にあやまられて、自らの滅亡を招いている。
ですから、21-22節で詩篇記者が言っていることはこう言うことです。「わたしの魂、わたしの心は、悪しき人々の罪や傲慢に対しては敏感だった。だが、自分の嫉妬心や間違った世界観には鈍感だった。愚かにも自分の理性や知識に頼って世の中を解釈しようと努めた。だが、間違った結論と自らの滅亡を招いていた」と。21-22節は、紛れもない悔い改めの告白です。有効召命がもたらす恵みです。
先ほどご一緒に音読したウェストミンスター小教理 問31(*1)に、「有効召命とは、神の御霊のわざであって、それによって御霊は、私たちに自分の罪と悲惨を自覚させ…」とありました。詩篇記者も私たちと同様、有効召命、「堅忍不抜の信仰への招き」に与っていたのです。
*1 https://www.jesus-web.org/westminster/west_031.htm
この後、23節以下で「有効召命がもたらす恵み」が証しされますが、一つ留意して頂きたいことがあります。旧約の時代には、三位一体(*2)、すなわち「神には父なる神、子なる神、聖霊なる神の三つの位格(人格)があること、三つの人格に優劣はなく、力と栄光において等しい神である」ことの啓示はハッキリしてません。ですから、詩篇記者は「神」「主」とだけ言っています。一方私たちは「三位一体」に加えて「二性一人格」(*3)をも啓示されてますので、「イエス・キリスト」を「神」と同義で使うことを念頭に置いて下さい。
*2 https://www.jesus-web.org/westminster/west_006.htm
*3 https://www.jesus-web.org/westminster/west_021.htm
3.霊的洞察の第三、 聖徒の堅忍 (23-27節)
詩篇記者が悟ったことの三番目です。
73:23 けれどもわたしは常にあなたと共にあり、あなたはわたしの右の手を保たれる。
詩篇記者は、自分の罪と悲惨を思い知らされた時にも、神の不変の愛を確信しています。
「右の手」とは、その人の力強さ、尊さの象徴です。イザヤ書にはこうあります。
イザヤ41:13 あなたの神、主なるわたしは/あなたの右の手をとってあなたに言う、「恐れてはならない、わたしはあなたを助ける」。
従って、この詩篇記者は「まことの神が、私の力強さ、尊さの源になって下さった!」と神を誉め讃えています。
神を侮る人々の足が滑りやすい場所に置かれていることとの対比の鮮やかさが見事です。
73:24 あなたはさとしをもってわたしを導き、その後わたしを受けて栄光にあずからせられる。
ここでは、信仰者は、あの世での幸福のためにこの世の幸福を犠牲にする訳でないことが明言されます。この世で人間として最上の幸福を味わうのです。その幸福は、肉体の死を越えて天国まで続き、御国で完成されます。悪しき人々の繁栄は依然として続き、問題は未解決のままです。しかし、神の言葉の確かさによって本当の安心感の中で心を休めることを見出した記者の言葉には、不信仰や疑問のかけらもありません。
73:25 わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。
(1)神の愛が記者の魂の奥深くにまで届いて、この世の空しさから解放され、生きることの喜びを見出してます。人は、この世の有限の愛では満ち足りることができないほどに深い魂を持つ存在です。
(2)詩篇記者は、「あなたを」、神ご自身を慕うと言っています。彼が信仰に立ち帰る以前は、神の報いや神のみわざを求めていました。ところが今や記者の慕い方は、
詩篇 42:1-2 神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。/わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を見ることができるだろうか。
こう「神ご自身」を慕っています。主イエスも言われました。
ヨハネ17:3 永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。有効召命の恵みに与る記者は、霊的な最高水準にまで高められます。
使徒パウロもそうでした。
ピリピ3:8 わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている…
ピリピ4:12-13 わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。 /わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。
自分の思いと神の報いを追い求めることを止めて神ご自身を慕う時、この様な言葉が自然体で出て来ます。心の底から、「天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません」(25節)と言える人はさいわいだなあと、つくづく思います。詩篇記者は、この世の現実を踏まえながら「永遠を求める思い」を告白します。
73:26 わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。
その確かさの根拠は、神と自分との結びつきが最後まで保たれる事に置いています。
ローマ8:39 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。
これが「聖徒の堅忍」(*4)です。神が信じる者に信仰を守り通す力を与え、主イエスご自身も私たちの救い主であり続けて下さるからです。
*4 https://www.jesus-web.org/westminster/west_036.htm
4.霊的洞察の第四、新しい決意 (27-28節)
最後に27-28節です。詩篇記者は「有効召命」に与っていたとお話ししましたが、事実彼も「意志を新たに」され、自覚的・意識的な決心へと導かれ、こう記しています。
73:27 見よ、あなたに遠い者は滅びる。あなたは、あなたにそむく者を滅ぼされる。
73:28 しかし神に近くあることはわたしに良いことである。わたしは主なる神をわが避け所として、あなたのもろもろのみわざを宣べ伝えるであろう。
私たちにとって「神に近くあること」とは、もちろん主イエスと繋がっていることです。
ヨハネ15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
むすび
この詩篇73篇は、忘れがちな大切なことを思い起こさせてくれます。
(1)詩篇記者は、世の中を観察して結論を得ようと努めましたが、神の言葉から離れた人間理性と知性に頼っていた間は、信仰を放り出す寸前にまで追い詰められたのです。しかし、彼が神との交わりに与り御言葉の真理を悟らされたことから、喜びと希望にあふれた礼拝者へと変えられました。
(2)主イエス・キリストは度々「真理」という言葉を使われました。この言葉には「まやかしではない現実」という意味もあります。つまり、聖書と主イエスを通してのみ、私たちは何が本当の現実であり、真理なのかを理解出来るのです。私たちは、御言葉を読む時に、霊的な洞察を経て御心を悟らせて頂く必要があります。キリストの十字架、福音の目的、神の家族に属していることなど、頭で理解していることを、日々の生活の中で聖書から諭される必要があります。そして、信仰によってそれらを行動に移すことを神は喜ばれます。
(3)「神が私たちにもっと早く御心を悟らせて下さればいいのに」と思うことがあります。しかし、たとえ今は先を見通せずとも、信仰の確信を自ら放棄してはなりません。たとえ私たちの信仰が激しく揺さぶられたとしても、常に私たちの手を離さない主が共におられます。
主イエス・キリストは、神の代理人ではなく神ご自身です。私たちの罪の贖いを成し遂げて下さいました。この神が私たちの父、主イエスが私たちの友でいて下さいます。
73:1 神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵みふかい。
アーメン。
■この日の讃美歌・信仰告白
1番「神のちからを とこよにたたえん」
519番「わがきみイエスよ うき世のふなじ」
309番「つみのなわめ 解きにし神よ」
ウェストミンスター小教理問答 問31,32,36
https://www.jesus-web.org/westminster
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