「主の慈しみはとこしえに」

「主の慈しみはとこしえに」

136:1 主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:2 もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:3 もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:4 ただひとり大いなるくすしきみわざを/なされる者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:5 知恵をもって天を造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:6 地を水の上に敷かれた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:7 大いなる光を造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:8 昼をつかさどらすために日を造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:9 夜をつかさどらすために月と、もろもろの星とを造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
日本聖書協会『口語訳聖書』詩編 136篇1~9節

1.相反する二種類の信仰の存在
信仰には二種類あると言われます。ひとつは、人間が神の恵みを引き出そうとする信仰、なんとかして神から恵みを得ようとする信仰です。日本古来のお百度参りや水垢離(みずごり、神仏に祈願するため、冷水を浴びて体のけがれを除き、身心を清浄にすること)などがそうです。
これと真逆なのが聖書に立脚したキリスト教信仰です。先に神が私たちに恵みの業をして下さり、私たちはその神を喜び感謝するのです。その典型がクリスマスを記念する礼拝であり祝会です。

2.主に感謝せよ
(1)自分たちが今あるのは、神のいつくしみが“先祖”に注がれたおかげ
今日の詩篇136篇にはユニークな特徴があります。全節で「そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」(ヘブル語では三単語)が繰り返されています。これこそ詩篇136篇の中心的テーマです。そこで、まず「いつくしみ」という言葉の意味を確認しましょう。
慈悲やあわれみというように感情的・抒情的に理解されがちな言葉ですが、聖書の「いつくしみ」は契約用語です。神が人類と結ばれた「救いの契約」への、神御自身の忠誠と不変の愛を表す言葉です。

 136:1 主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

「主に感謝せよ」とあります。何を感謝するのか、ひと言で言えば「今、自分がこの世に存在している事」です。「ご先祖様に感謝しなさい」と教えられますが、確かにその通りだと思います。両親を含めて10代遡ると先祖の単純合計は2,046人にもなるそうです。そのうち誰か一人でも欠けたら自分は存在しなかったわけですから。でも具体的に誰々にどう感謝するかは曖昧です。
聖書は「主に感謝せよ」と、この詩篇の最初の読者(旧約聖書のイスラエルの民)たちの先祖がどの様に守られたかを思い起こさせています。
 5-9節、人間が生きられる世界を、神が創造して下さったこと。
 10-16節、自分たちの先祖を奴隷の立場と宿命から、神が救出して下さったこと。
 17-22節、導き入れられた“約束の地”に“先祖”が住み続けられるよう、神が周囲の強大な敵を打ち破って下さったこと。
そして23節と24節、
 136:23-24 われらが卑しかった時に われらをみこころにとめられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。/われらのあだからわれらを 助け出された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

ここでは、バビロンに捕囚として連れ去られた屈辱の日々も神は“先祖”を見捨てなかったと歌っています。

(2)自分たちが今を生きられるのは、神の日々の養いのおかげ
“先祖”に関わる神の御業を回顧した後、今を生きる自分たちの生活へと目が向けられます。
 136:25 すべての肉なる者に食物を与えられる者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

24節までの過去を回想した感謝から一転して、食前の祈りに似た感謝に変わります。唐突感がありますが、「肉なる者」の意味を知れば納得できます。
 詩篇78:39 神は心に留めておられた。彼らが肉にすぎないことを。吹けば戻らない風であることを。

「肉なる者」とは、有限な束の間の存在のことです。過去の“先祖”がどの様であっても、今を生きる私たちは日々の養いも受けて命をつないでいる。それゆえ、神の「いつくしみはとこしえに絶えることがない」と歌うのです。

3.主に感謝せよ ~私たちの感謝
次に現代に生きる私たちも、神のいつくしみを覚えるなら感謝に満ちあふれることを新約聖書に聞いてまいりましょう。
(1)救い主が遣わされた
今月はクリスマスを迎えますが、必ず読まれる聖書箇所があります。
 ルカ1:30 すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。

「あなたは神から恵みを受けた」の「恵み」は、詩篇136篇の「いつくしみ」と同じ言葉です。先ほどお話ししましたが、この言葉は、救いの契約を守る神の忠実さと愛を現す言葉です。ですから、
 ルカ1:48 この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、

マリヤは自身の懐妊を感謝しているだけではありません。卑しい(※「取るに足りない」の意味)自分を救いの契約を果たす器として用いて下さった神を誉め讃えています。
 136:23 われらが卑しかった時に われらをみこころにとめられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
 ルカ1:48のマリヤの言葉は、詩篇136:23の感謝への招きへの応答でもあります。

(2)“敵”からの救い
神が遣わして下さったイエス・キリストは、十字架上で私たちの罪の贖いを成し遂げて下さりました。
 ローマ5:8 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。

ですから、救い主イエス・キリストのお生まれを記念するこの日、私たちも神を誉め讃えます。
 136:23 われらが卑しかった時に/われらをみこころにとめられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

さらに主イエスは、
 ヘブル 10:12-14 しかるに、キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、/それから、敵をその足台とするときまで、待っておられる。/彼は一つのささげ物によって、きよめられた者たちを永遠に全うされたのである。
この“敵”とは、罪と死の支配です。ですから、
136:24 われらのあだからわれらを/助け出された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
と私たちも神を誉め讃えます。

(3)日々の養い
主イエスは
 マタイ6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。

と祈りを教えて下さり、続けてこう言われました。
 マタイ6:31-32 ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。

ですから、私たちも食事の度に、
 136:25 すべての肉なる者に食物を与えられる者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

と感謝せずにはいられないのです。

(4)あらゆる恩寵を覚えて
先ほど「肉なる者」とは「吹けば戻らない風」(詩篇78:39)とお話ししましたが、
 ヤコブ4:14 あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。

この様な弱い存在である私たちのすべての必要を満たして下さる神のいつくしみを覚えて、
 136:26 天の神に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

と私たちも神を誉め讃えるのです。

神に感謝しよう
過去の出来事を記した聖書に聞くのは、過去の物語を楽しむためではありません。聖書が私たちに語り聞かせるのは、過去の“終わってしまった”物語ではなく、終わりの日まで変わることが無い“生き生きとした命みなぎる”神の御業です。だからこそ、私たちが聖書に向き合うとき、古くからの言葉が生まれ変わった新しい言葉のように私たちの心に響いてきます。しかも、「新しい言葉」は未来への希望も与えてくれます。ひとたび来て下さった救い主は必ず再び来て下さる。その時、悪が勝利をおさめているかの如きこの世を正しく裁き、イエスに聞き従うキリスト者に報いて下さります。
 136:26 天の神に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

この褒め歌を心に刻んで、今年もクリスマスを迎える備えをしましょう。

■この日の信仰告白
 ウェストミンスター小教理問答 問1~4
■この日の讃美歌
 3番「あめつちの御神をば」
 73番「くすしきかみ、たえなる主よ」
 525番「めぐみふかき 主のほか」

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