岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第27回) 「キリストにはかえられません」I'd rather have Jesus~シンシナティ日本語教会主催

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第27回) 「キリストにはかえられません」I'd rather have Jesus~シンシナティ日本語教会主催

73:25 あなたのほかに天では私にだれがいるでしょう。地では私はだれをも望みません。
73:26 この身も心も尽き果てるでしょう。しかし神は私の心の岩とこしえに私が受ける割り当ての地。
73:27 見よあなたから遠く離れている者は滅びます。あなたに背き不実を行う者をあなたはみな滅ぼされます。
73:28 しかし私にとって神のみそばにいることが幸せです。私は【神】である主を私の避け所としあなたのすべてのみわざを語り告げます。
(詩篇73:25-28、新改訳2017)
日本聖書協会『口語訳聖書』詩編 73章25-28節



■_はじめに
この讃美歌をテーマとして与えられて最初に思ったことを、二つ。
(1)わあ、懐かしい。学生時代の想い出、鮮やかに記憶に残っている最も古い讃美歌
(2)とても困惑したんですね。と言いますのは、「あなた(岡本)は、心の底から正直に、歌えますか」と試問されているようで。

「で、実際のところはどうなの?」と突っ込みが入りそうですが、それは後ほどお話致します。


■_♫~ 1節(英語1-2行目) ~♫
1.キリストにはかえられません
  世のたからもまた富も
~♫

日本語歌詞に対応する英語(原語)歌詞は、

_♫~ 1節(英語1-3行目) ~♫
I'd rather have Jesus than silver or gold;
I'd rather be His than have riches untold;
I'd rather have Jesus than houses or lands;
私は金銀よりもイエスを選びます。
多くの富よりも主のものとなることを望みます。
家や土地よりもイエスを選びます。
 ~♫

この歌詞は、作詞者ミラー夫人の、アルコール中毒から解放された父の証、
 「私はこの世の金や銀、お金で買えるすべての家や土地よりも、イエス様が欲しいです」
そのものです。
ここには、イエス様が話して下さった〈高価な真珠を見つけた商人〉の譬え話、

 _†_ (① マタイ13:45-46)
13:45 天の御国はまた、良い真珠を探している商人のようなものです。
13:46 高価な真珠を一つ見つけた商人は、行って、持っていた物すべてを売り払い、それを買います。
 _†_†_†_

「この譬え話の様に、父は〈高価な真珠〉を見つけたのです!」との喜びが込められています。


■_♫~ 1節(3-4行目) ~♫
このおかたがわたしに
代わって死んだゆえです
~♫

に対応する英語(原語)歌詞を見ますと、

_♫~ 1節(英語4行目) ~♫
 I'd rather be led by His nail-pierced hand
主の釘跡のあるみ手によって導かれたいのです。
 ~♫

この歌詞から直ぐに思い出すのは、あの「疑り深いトマス」の聖書箇所です。

 _†_ (② ヨハネ20:24-29) ~朗読は20:27b-28のみ
20:24 十二弟子の一人で、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
20:25 そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言った。
20:26 八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。
20:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
20:28 トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」
20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」
 _†_†_†_

これは私の勝手な想像ですが、
(1)かつてミラー夫人は、「アル中の父が救われることなどあり得るのだろうか」と疑ったことがあり、その事を恥じて、「信じます、私の主、私の神よ」と、トマスと自分とを重ねた。
(2)そして、「手に釘の傷跡があるお方、十字架上で私を贖い死んで蘇られたお方、このお方に導かれて行きたい!」と、イエスを神であると明確に告白した。
のではないかと、私は思っていますが、皆さまは如何でしょうか?


■_♫~ 繰り返し ~♫
  世の楽しみよ、去れ
  世のほまれよ、行け
  キリストにはかえられません
  世の何ものも
 ~♫

対応する英語(原語)歌詞は、

_♫~ 繰り返し(英語) ~♫
Than to be the king of a vast domain
Or be held in sin's dread sway;
I'd rather have Jesus than anything
This world affords today.
広い領土を持つ王になるよりも、
罪の恐るべき支配の下にあるよりも、
この世が与える何物よりも、
私はイエスを選びます。
 ~♫

この歌詞は、荒野でサタンの誘惑を受けた時の、毅然としたイエス様の言葉を思い起こさせます。

 _†_ (③ マタイ4:8-10)
4:8 悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、
4:9 こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」
4:10 そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」
 _†_†_†_

ところで、ミラー夫人は英語2行目で「罪の恐るべき支配の下にあるよりも」と歌ってます。
直接的には、ミラー夫人の父親マーティンが救われる前の状態、妻の財布から酒代を盗んでまでして酒浸りになっていたことを回顧してのことでしょう。
聖書には、〈be held in sin's dread sway、罪の恐るべき支配の下にある〉と同様の表現は枚挙にいとまがありませんが、ごくシンプルな例を一つあげます。

 _†_ (④ Ⅱテモテ3:6)
【NIV】3:6 They are the kind who worm their way into homes and gain control over weak-willed women, who are loaded down with sins and are swayed by all kinds of evil desires,
【新改訳2017】3:6 彼らの中には、家々に入り込み、愚かな女たちをたぶらかしている者たちがいます。その女たちは様々な欲望に引き回されて罪に罪を重ね、
 _†_†_†_

ここでは、現代社会を蝕み巣くっている“不倫”が言われています。


■_♫~ 2節 ~♫
2.キリストにはかえられません
  有名な人になることも
  人のほめることばも
  この心をひきません
 ~♫

対応する英語(原語)歌詞は、

_♫~ 2節(英語) ~♫
I'd rather have Jesus than men's applause;
I'd rather be faithful to His dear cause;
I'd rather have Jesus than worldwide fame;
I'd rather be true to His holy name
私は人々の喝采よりもイエスを選びます。
主のみ業に励むことを望みます。
世界的な名声よりもイエスを選びます。
私は主の聖なるみ名に忠実であることを望みます。
 ~♫

この歌詞は1925年、個人の証を元にしてミラー夫人により作られましたが、『イエス様がこの世に来て下さったことの究極の目的と、宣べ伝えられた福音が結実した姿』 が歌われています。
ですので、それから14年後、詩にメロディーを付けた作曲者シェーに起きた神の御業を預言しているかのようです。配付資料1は讃美歌の略解ですが、読み方によっては神の御業『歴史秘話』です。

ミラー夫人の父親のアル中 ⇒ 家族の試錬 ⇒ ミラー夫人と母親の信仰 ⇒ 父親の救いと証し ⇒ 歌詞の誕生 ⇒ 国境を越えシェーの母親に伝わり ⇒ シェーの母親の祈りとなり ⇒ シェーの人生の選択 ⇒ 大音楽伝道者が誕生 ⇒ 多くの人々が救いへと導かれ ⇒ 中田羽後氏の名訳 ⇒ 日本での福音伝道 ⇒ 今日、ここに居られる方々に

しかし、作曲者シェーの一世一代の選択を嘲笑った人もいたことは想像に難くありません。
確かに、私たちが生きていく上で大切な物は沢山あり、『世の宝も富も』 神さまからの祝福です。それのみを追いかけないなら、神さまから与えられる富も宝も名誉も喜んで受けて良いでしょう。二者択一を迫られぬ時は両立もできるでしょう。
けれども私たちの人生では、主イエスから「神と富とに兼ね仕えることは出来ない」とのチェレンジを受ける時が必ずあります。

 _†_ (⑤ マタイ6:24)
マタイ6:24 だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。
 _†_†_†_

私にもありましたし、将来牧師になろうとする私との結婚を選択する時の家内も同様でした。きっとこれからもあることでしょう。

使徒パウロはこう言っています。

 _†_ (⑥ ピリピ3:5-11) ~朗読は3:7-8のみ
3:5 私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法についてはパリサイ人、
3:6 その熱心については教会を迫害したほどであり、律法による義については非難されるところがない者でした。
3:7 しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。
3:8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。それは、私がキ
リストを得て、
3:9 キリストにある者と認められるようになるためです。私は律法による自分の義ではなく、キリストを信じることによる義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義を持つのです。
3:10 私は、キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にもあずかって、キリストの死と同じ状態になり、
3:11 何とかして死者の中からの復活に達したいのです。
 _†_†_†_

パウロと同じ信仰に立った選択を、アブラハムも、モーセも、詩篇記者たち、旧約預言者たち、そして御子イエス・キリストご自身もされました。こう聖書に書かれています。

 _†_ (⑦ ヘブル12:1)
12:1 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。
 _†_†_†_


■_♫~ 3節 ~♫
3.キリストにはかえられません
  いかにうつくしいものも
  このおかたでこころの
  満たされているいまは
 ~♫

「このおかたで こころの 満たされているいま」 これは主の御業、主の賜物です。主は約束して下さりました。

 _†_ (⑧ ヨハネ4:13-14)
4:13 …「この水を飲む人はみな、また渇きます。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
 _†_†_†_

 _†_ (⑨ ヨハネ14:27)
14:27 わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。
 _†_†_†_

〈わたしは、世が与えるのと同じようには与えません〉と主は言われましたが、この世とはとどこがどう違うのでしょうか、その一例として、

 _†_ (⑩ Ⅰペテロ1:24-25)
1:24 「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
1:25 しかし、主のことばは永遠に立つ」とあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。(イザヤ書 40章6~8節の引用)
 _†_†_†_

このことを原語歌詞3節は歌っています。

_♫~ 3節(英語) ~♫
He's fairer than lilies of rarest bloom;
He's sweeter than honey from out the comb;
He's all that my hungering spirit needs;
I'd rather have Jesus and let Him lead
イエスの麗しさは、珍しい百合花にまさっています。
主は、蜂の巣のしたたりよりも甘美です。
主こそ私の飢えた心が必要とするすべてです。
私はイエスを選び、主に導かれたいのです。
~♫

イエスは、〈飢えた心が必要とするすべて〉を満たして下さります。
逆説的に言えば、どんなに富や力を持ち名声を博する人も、イエスが心を満たして下さる迄は決して満足できず、心は飢え渇き続けるのですね。

詩篇記者はこう証しています。

 _†_ (⑪ 詩篇16:2)
16:2 私は【主】に申し上げます。「あなたこそ私の主。私の幸いはあなたのほかにはありません。」
 _†_†_†_

 _†_ (⑫ 詩篇73:25-26)
73:25 あなたのほかに天では私にだれがいるでしょう。地では私はだれをも望みません。
73:26 この身も心も尽き果てるでしょう。しかし神は私の心の岩とこしえに私が受ける割り当ての地。
 _†_†_†_


■_むすび
この讃美歌の英語歌詞3節最終行は、

_♫~ 3節(英語)最終行 ~♫
I'd rather have Jesus and let Him lead
私はイエスを選び、主に導かれたいのです。
~♫

輝く未来を望み見る現在進行形で締めくくられています。
このことは、私たちにとってこのうえない慰め、励ましです。
と言いますのは、この讃美歌は、私たちにとって、ある時は感謝の歌、勝利の歌となるからです。

しかし、そればかりではありません。私たちが弱り果てて倒れても、再起する時の悔い改めの歌になるからです。その時には、「タリタ、クム。訳すと、少女よ、あなたに言う。起きなさい」(マルコ5:41)と少女の手を取って立ち上がらせて下さった主イエスが、今度は釘跡のあるみ手で私たちを立ち上がらせ導いて下さるからです。

これが、今回の冒頭で申し上げた、「あなた(岡本)は、心の底から正直に、歌えますか」との問いに対する偽らざる答えです。

イエスの御声が聞こえてきます。⑬ ヨハネ10:27-29の〈彼ら〉を[あなた]に置き換えてお読みします。

 _†_ (⑬ ヨハネ10:27-29)
10:27 わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、[あなた]はわたしについて来ます。
10:28 わたしは[あなた]に永遠のいのちを与えます。[あなた]は永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも[あなた]をわたしの手から奪い去りはしません。
10:29 わたしの父がわたしに与えてくださった者は、すべてにまさって大切です。だれも[あなた]を、父の手から奪い去ることはできません。
 _†_†_†_

そしてイエスは言われます。

 _†_ (⑭ マタイ28:20)
28:20 …見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
 _†_†_†_

アーメン


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