岡本牧師と共に味わう讃美の力(第25回)「心を高く上げよう」Lift Up Your Hearts (Sursum Corda)~シンシナティ日本語教会主催

岡本牧師と共に味わう讃美の力(第25回)「心を高く上げよう」Lift Up Your Hearts (Sursum Corda)~シンシナティ日本語教会主催

自分たちの道を尋ね調べて、【主】のみもとに立ち返ろう。
自分たちの心を、両手とともに、天におられる神に向けて上げよう。日本聖書協会『口語訳聖書』哀歌 3章40-41節


■_まえおき
讃美歌第二編の最初に収録されたこの讃美歌は、私が初めて耳にしたとたん心を鷲掴みにされた讃美歌です。その理由は、私がクドクド説明を加えずとも皆さまで十二分に感じ取っていただけることでしょう。

日常会話で“Lift up your hearts!”と言うと「元気を出そう!」といった意味のようですが、この讃美歌のタイトル“Lift up your hearts!” 「なんじら心を高くあげよ!」は、より豊かで深い意味合いを持っています。
また、この“Lift up your hearts!”は、2世紀頃からローマ教会の聖餐式式文に採用されてきたラテン語の典礼句 “sursum corda”の英訳で、旧約聖書哀歌3章41節が出典のようです。
今日は、哀歌が書かれた歴史的背景や、教会の聖餐式との関わりについては割愛し、専ら日本語歌詞に沿って話を進めさせていただきます。

その哀歌3:40-41はこう歌います。

 _†_ (哀歌3:40-41)
3:40 自分たちの道を尋ね調べて、【主】のみもとに立ち返ろう。
3:41 自分たちの心を、両手とともに、天におられる神に向けて上げよう。
 _†_†_†_

この「神にむかって手をあげる」姿は、哀歌が書かれた紀元前6世紀頃の人々が神に祈るとき、両手を天に向かって挙げ、天を仰いで祈った姿だそうです。

私たちは、空を仰ぐ機会が少ないと思います。それ以上に、天の御国を仰ぐことは少ないのではないしょうか。
私たちも天を仰いで祈ってみませんか。その時どんな霊的恵みが私たちを包み込んでくれるか想像するだけでもワクワクしてきます。


■_一節
 ♫~ 1節 ~♫
   こころを高くあげよう
主のみ声にしたがい、
ただ主のみを見あげて、
こころを高くあげよう。
 ~♫

この讃美を受けて下さる主は、私たちをこう励まして下さります。

 _†_ (コロサイ3:1-3、引照聖句)
3:1 …あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。
3:2 上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。
3:3 あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。
 _†_†_†_

〈あなたがたはすでに死んでいて〉とは、「あなたは最早この世に縛られておらず解放され、天の御国に国籍を持っています」と言うことです。
〈あなたがたのいのち〉とは、「あなたがたのよみがえりのいのち」のことです。
〈キリストとともに神のうちに隠されている〉とは、「私たちは復活の主と一つにされているけれど、今は肉眼では確かめられません」ということです。

私たちの言葉や行いには、心の中にある“古い私たちの性質”が無意識のうちに現れてしまいます。しかし、《主のみ声にしたがい、ただ主のみを見あげ》 るうちに 〈キリストに似た者〉(Ⅰヨハネ3:2)へと徐々に変えられて、

 _†_ (コロサイ3:4)
3:4 あなたがたのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに栄光のうちに現れます。
 _†_†_†_


■_二節
 ♫~ 2節 ~♫
   霧のようなうれいも、
やみのような恐れも、
みなうしろに投げすて、
こころを高くあげよう。
 ~♫

この二節の歌詞に不思議な力を感じませんか、歌うだけで何か癒やされるような。
聖書にこうあります。

 _†_ (箴言17:22)
【新改訳2017】 17:22 喜んでいる心は健康を良くし、打ちひしがれた霊は骨を枯らす。
【口語訳】 17:22 心の楽しみは良い薬である、たましいの憂いは骨を枯らす。
 _†_†_†_

箴言の言葉は、多くの方々が「その通りだ」と頷いて下さる、ある種の人生訓・金言です。けれども、それだけではありません。この聖句は私たちが患(わずら)う“病気”に気付かせ、私たちを根本的解決へと招く神の言葉です。

神はこう言われます。

 _†_ (イザヤ44:2)
44:2 あなたを造り、あなたを母の胎内にいるときから形造り、あなたを助ける【主】はこう言う。恐れるな。…
 _†_†_†_

〈恐れるな〉とは、この世の日常茶飯事、たとえば病気になった事故に遭った、人間関係や事業がうまくいかない失敗した、災害や紛争、この様な地上の変転きわまりない出来事に「影響されなくていいんだよ!」ということです。
新約聖書マルコ5章、ルカ8章には、「恐れるな」と言われるお方が持っておられる力を現して下さった出来事が記されています。
イエスの元にヤイロと言う会堂司がやってきて、「瀕死の娘を助けるために直ぐ来て下さい」と頼みます。そこでイエスは直ちに向かおうとしますが、一つの出来事により足止めされます。その間、ヤイロは娘の死を怖れ気を揉んだことでしょう…。やがてヤイロの恐れは現実となり、「あなたの娘はなくなりました」との知らせが届きました。しかしイエスは、「恐れてはならない。ただ信じなさい」(マルコ5:36、ルカ8:50)とヤイロを励まされ、死んだことを知っていた人々がイエスをあざ笑う中、イエスは少女を癒やされたのです。イエスは御心に叶うことは何でも成し遂げられる神です。

また主は、この世の出来事ばかりでなく、人間の根源的な問題、罪についても〈恐れるな〉と言われます。

 _†_ (イザヤ44:22)
44:22 わたしは、あなたの背きを雲のように、あなたの罪をかすみのように消し去った。わたしに帰れ。わたしがあなたを贖ったからだ。」
 _†_†_†_

〈わたしがあなたを贖った〉との預言通り、神ご自身が十字架上で私たちを贖って下さりました。ですから、

 _†_ (ヘブル12:1-2)
12:1 …私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。
12:2 信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。
 _†_†_†_

以上ご紹介したような御言葉の数々が記憶に残っている私たちが、

 ♫~ 1節(再) ~♫
   こころを高くあげよう
主のみ声にしたがい、
ただ主のみを見あげて、
こころを高くあげよう。
 ~♫

と歌う時、聖霊の働きを受け、御言葉の記憶が無意識のうちに呼び覚まされ、私たちは慰められ励まされるのではないでしょうか。


■_三節
 ♫~ 3節 ~♫
 主から受けたすべてを、
ふたたび主にささげて、
きよきみ名をほめつつ、
こころを高くあげよう。
 ~♫

三節は、主からいただいた賜物を用いて主の御用(奉仕)にいそしむ喜びとさいわいを歌っていますが、老いの坂を上りつつある私は、ヨブ記1:21を思い浮かべます。
そのヨブ記1:21は、ヨブが「すべての持ち物」、すなわち彼に属するすべてのものを失った時の言葉です。

 _†_ (ヨブ1:21、新改訳2017)
1:21 そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。【主】は与え、【主】は取られる。【主】の御名はほむべきかな。」
 _†_†_†_

この言葉は、「裸で生れたのだから裸で死んでいくのも仕方がない」というあきらめではありません。リビングバイブルの訳をご紹介します。

 _†_ (ヨブ1:21、リビングバイブル)
1:21 神様に言いました。 「生まれた時、私は裸でした。 死ぬ時も、何一つ持って行けません。 私の持ち物は全部、神様が下さったものです。 ですから、神様はそれを取り上げる権利もお持ちです。 いつでも、どんな時でも、神様の御名がたたえられますように。」
 _†_†_†_

〈主が取られる〉ことと「主にささげる」ことは言葉こそ違いますが、主からお預かりした賜物を主にお渡しする点で本質的には同じです。皆さまはどう感じでしょうか。


■_四節
 ♫~ 4節 ~♫
   おわりの日がきたなら、
さばきの座を見あげて、
わがちからのかぎりに、
こころを高くあげよう。
 ~♫

この四節で歌われた望みの確かさを聖書は記します。聖書全66巻の最後の章、黙示録22章です。

 _†_ (黙示録22:1-4)
22:1 御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、
22:2 都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。
22:3 もはや、のろわれるものは何もない。神と子羊の御座が都の中にあり、神のしもべたちは神に仕え、
22:4 御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の御名が記されている。
 _†_†_†_

私たちが主の御顔を直接仰ぎ見るこの時を待ち望みながら歌います。

 ♫~ 4節(再) ~♫
   おわりの日がきたなら、
さばきの座を見あげて、
わがちからのかぎりに、
こころを高くあげよう。
 ~♫

使徒パウロは私たちを励まして、こう記しています。

 _†_ (ローマ8:23-24)
8:23 …御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。
8:24 私たちは、この望みとともに救われたのです。目に見える望みは望みではありません。目で見ているものを、だれが望むでしょうか。
8:25 私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます。
 _†_†_†_

 _†_ (黙示録22:20)
22:20 これらのことを証しする方が言われる。「しかり、わたしはすぐに来る。」
アーメン。主イエスよ、来てください。
 _†_†_†_

 ♫~ 1節(再) ~♫
   こころを高くあげよう
主のみ声にしたがい、
ただ主のみを見あげて、
こころを高くあげよう。
 ~♫


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