岡本先生と共に味わう讃美の力(18) 「主よみもとに 近づかん」 Nearer, my God, to Thee (讃美歌320番)

岡本先生と共に味わう讃美の力(18) 「主よみもとに 近づかん」 Nearer, my God, to Thee (讃美歌320番)

創世記28:10 ヤコブはベエル・シェバを出て、ハランへと向かった。
28:11 彼はある場所にたどり着き、そこで一夜を明かすことにした。ちょうど日が沈んだからである。彼はその場所で石を取って枕にし、その場所で横になった。
28:12 すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。
28:13 そして、見よ、【主】がその上に立って、こう言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、【主】である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。
28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西へ、東へ、北へ、南へと広がり、地のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される。
28:15 見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
〈以下、掲載を省略〉
(創世記28:10-22、新改訳2017)
日本聖書協会『口語訳聖書』創世記 28章10-22節


■ はじめに 「主よみもとに近づかん」
この讃美歌「主よみもとに近づかん)」は、1997年に公開され日本でも大ヒットした映画「タイタニック」でも演奏されました。沈みゆく船上で、乗客たちを落ち着かせようと演奏を続けていた弦楽四重奏団が、自分たちの死をも覚悟しつつ最後に演奏し、死を目前にした人を、神への信頼、天国への希望へと導く内容でした。

この讃美歌の歌詞には、「死によって神の御許に近づく」とのイメージがあるからでしょうか、テレビアニメ『フランダースの犬』の他、資料1の[登場する作品]の項でご紹介した如く広く用いられています。
また、あるキリスト教式葬儀社のHPでは、葬儀で良く歌われる讃美歌五曲のうちの一曲として紹介されています。

しかし、この讃美歌には、困難の中にあって前途の不安、孤独を抱える人々や命の危機に瀕した人々を慰め励まし、将来に向かって奮い立たせる力があります。「あなたの主である私は、貴方を私との交わりに与らせ、必ず御国に導き入れる。過去と現実に囚われること無く安んじて貴方の人生を進んで行きなさい」と。

今回は、この讃美歌が持つ力を味わいつつ、歌詞を生み出す元となった聖書箇所(創世記28章10-22節)の中心的メッセージに聞き、救いの喜びを分かち合いましょう。


■1.讃美歌誕生の歴史的背景
讃美歌の誕生、1841年 資料1参照
作詞者はセアラ・フラワー・アダムズ(1805-48)というユニテリアン派の女性賛美歌作者です。
ある日彼女が牧師から、「旧約聖書創世記28章10~22節の説教との関連で良い讃美歌が欲しいのだが…」と依頼を受けたことから、5節からなる不朽の名作が生まれたそうです。


■2.「神との出会い」 創世記28章10-15節
ヤコブは、兄エサウを出し抜いて相続権を奪い取ったことから兄に命を狙われたため、両親から離れて故郷を去り、親族が住む遠い場所へと旅立ちました。そこから28:10は始まります。

創世記28:10-22
28:10 ヤコブはベエル・シェバを出て、ハランへと向かった。
28:11 彼はある場所にたどり着き、そこで一夜を明かすことにした。ちょうど日が沈んだからである。彼はその場所で石を取って枕にし、その場所で横になった。
28:12 すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。
28:13 そして、見よ、【主】がその上に立って、こう言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、【主】である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。
28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西へ、東へ、北へ、南へと広がり、地のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される。
28:15 見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」

ヤコブは、恐らく深い後悔と自責の念、孤独感に苛まれ、将来の不安で押しつぶされそうになっていたことでしょう。そのヤコブが疲れ果てて荒野で石を枕に眠っていた時、神のほうからヤコブに近付き,アブラハム,イサクに与えられた約束を彼に引き継がせること(13-14)、神ご自身が彼と共にあり、彼を守り無事にこの地に連れ戻す、約束を成し遂げる(15)ことを夢の中で約束されました。

(1) 歌詞2節、「放浪」
「放浪」、「故郷を離れる」ということは、聖書に於ける救いの「一つの型」(モチーフ)となっています。
人間の一般的傾向ですが、一つの場所に住み着いて「自分の城」を築き、そこでアイデンティティー(自己認識、自分の価値)を求めようとします。 ですので、そこを離れて旅に出ることは、自分の生活、習慣、財産、住居、地位、特権のすべてを放棄することを意味します。
しかし、これらのものから離れて初めて、人は永遠の神を求めるようになるんです。創世記12章のアブラハム(アブラム)の旅立ちや、ルカ15章の「放蕩息子の譬え話」は、そのことを教える代表的な聖書箇所ですが、今日の創世記28章の物語もその一つです。

(2) 歌詞3節、「天への階段(はしご)」 (創世記28:12)
28:12 すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。

この〈はしご〉に関する箇所の翻訳はとっても重要です。ヘブライ語では〈地に向けて〉という言葉が使われていることに大切な意味があるのです。
この〈はしご〉は、地から天に向けたものではなく、天から地に向けられたもの、すなわち人からの接近ではなく神からの接近を強調しているのです。しかし、新改訳2017や口語訳聖書では〈地に立てられていた〉となっています。(参考:資料3の引用聖句①)、

孤独と将来の不安とで押しつぶされそうになっていたであろうヤコブに,神は夢を通してご自分のほうから近付いて来られた事、それが創世記28:10-22の中心的メッセージのひとつです。私たちにも御言葉と聖霊によって近づいて慰め励まして下さります。

主イエスは創世記28:12を引用してこう言われました。
② ヨハネ1:51
…「まことに、まことに、あなたがたに言います。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります。」

まさに、この創世記28:12は、天から下って人となられた救い主イエスを指し示していたと言えます。
ですから私たちは、御使いたちの上り下りから何か具体的な場面を想像するのではなく、むしろイエスにより〈天が開け〉ていること、主イエスこそ救いを私たちに与えて下さる方であることに思いを馳せるべきです。

(3) 歌詞3節、「天使が手招きする」 (創世記28:12)
私たちがこの世から御国へと召される時、 「天使が手招きする」かどうかは判りません。ただ確かなことは

③ ヨハネ14:3
わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。

主イエスご自身が迎えに来て下さることです。
創世記28:10-22の中心的メッセージの二つ目は、「主イエスこそ、天から地に向けて打ち立てられた〈はしご〉であり、その先の天は私たちに開かれているということです。


■3.「ヤコブの礼拝」 創世記28章16-22節
孤独と将来の不安とで押しつぶされそうになっていたであろうヤコブに,神は夢を通してご自分のほうから近付き、アブラハム、イサクとの契約をアブラハムの子孫である彼に引き継がせ、神ご自身が彼と共にあり彼を守り、無事に〈この地〉に連れ戻すことを夢の中で約束されました。
そのヤコブの応答は16節以下に書かれています。

28:16 ヤコブは眠りから覚めて、言った。「まことに【主】はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」
28:17 彼は恐れて言った。「この場所は、なんと恐れ多いところだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」
28:18 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを立てて石の柱とし、柱の頭に油を注いだ。
28:19 そしてその場所の名をベテルと呼んだ。その町の名は、もともとはルズであった。
28:20 ヤコブは誓願を立てた。「神が私とともにおられて、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る衣を下さり、
28:21 無事に父の家に帰らせてくださるなら、【主】は私の神となり、
28:22 石の柱として立てたこの石は神の家となります。私は、すべてあなたが私に下さる物の十分の一を必ずあなたに献げます。」

歌詞4節、(創世記28:17, 22)に出てくる「神の家」について新約聖書はこう教えます。

④ Ⅰテモテ3:15
…神の家とは、真理の柱と土台である、生ける神の教会のことです。

「神の家」とは、神が臨在する所、神にお会いする場所、すなわち礼拝の場所のことです。
ヤコブは〈ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ〉(17節)、この場所は神の家だ、神への礼拝の場所だと知って、そこに彼の証として石の柱を立てたのです。

ヤコブはこの後波瀾万丈の人生を送りますが、主の約束通り、祝福を受けて人生を終え、約束の地に葬られました。(創世記50章)
私たちも順風満帆とは言えぬ人生を送るかも知れませんが、教会を「神の家」、礼拝の場所として与えられ、神の約束は守られ天の御国へと招き入れられます。


■ 4.「主よ、御許に近づかん」  歌詞1~5節、
さて、私たちは、どの様にして〈神の御許に近づく〉のでしょう? 

この讃美歌では、そこは漠然としています。が、主イエスはハッキリ言われました。

⑤ ヨハネ14:6
…「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。

なぜ、主イエスを通してでなければならないのでしょう。それは、神と人との間には「罪」という人の力では越えられない障害があるので、それを越えて神に近づくには「執り成し」が必要だからです。
この事は私たちがVIPと会ったり超有名店に入るには紹介が要るのとある意味で似ています。

人が神の御許に近づくために旧約の時代は、人間祭司が動物の犠牲を捧げて執り成しが為されました。が、これは完全な祭司イエスが来て下さることの「予型」でした。クリスマスにイエス様が天から遣わされ、ご自身を全き贖罪の犠牲として十字架上で捧げ、永久に完全な執り成しを果たして下さりました。このことにより私たちが神の御許に近づけることがヘブル書に記されています。

⑥ ヘブル7:19
──律法は何も全うしなかったのです──もう一方では、もっとすぐれた希望が導き入れられました。これによって私たちは神に近づくのです。


■5.結び
旧約聖書も新約聖書も、一貫して人々を神との交わり・救いへと招いています。人をご自身に近付かせることこそ神の目標であり役目です。神は、私たちが神ご自身に近づく道を救い主イエスによって開いて下さったのです。

⑦ ヘブル7:25
…イエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。

神がヤコブの夢を通して示された約束は、信仰により霊的なアブラハムの子孫とせられた私たちのものでもあります。

今日は讃美歌の歌詞と共に、創世記28章10-22節から学びました。
(1)ヤコブが、後悔と孤独、将来の不安とで押しつぶされそうになっていた時,神は夢を通してご自分のほうから近付いて来て下さりました。同様に、神は私たちに、御言葉と聖霊によって、近づいて来て下さっています。
(2)主イエスこそ、天から地に向けて打ち立てられた〈はしご〉であり、その先の天は私たちに開かれています。
(3)主イエスは私たちを父なる神に取り成して下さっているので、私たちは「主よ、御許に近づかん」と高らかに賛美できるのです。

主イエスを、神の御子、救い主、私の友と信じる私たちはなんとさいわいなことでしょう。

祈りましょう

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