岡本先生と共に味わう讃美の力(20) ~ 讃美歌第二編26番 「小さなかごに花を入れ」(Little Deeds)~シンシナティ日本語教会
祭司長たちや律法学者たちは、イエスがなさったいろいろな驚くべきことを見て、また宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と叫んでいるのを見て腹を立て、イエスに言った。「子どもたちが何と言っているか、聞いていますか。」イエスは言われた。「聞いています。『幼子たち、乳飲み子たちの口を通して、あなたは誉れを打ち立てられました』とあるのを、あなたがたは読んだことがないのですか。」
日本聖書協会『口語訳聖書』マタイによる福音書 21章15-16節
今回取り上げる「小さなかごに花を入れ」 (Little Deeds)は、とても可憐な子ども(日曜学校)の歌で、神様は、たとえ小さくても優しいわざを用いて下さり、人生を明るくしてくださります、と歌っています。
♪伴奏のみ https://www.rcj.gr.jp/izumi/sanbi/sa2-026.html
♪ソプラノ独唱 https://www.youtube.com/watch?v=CZ6cV7ulvAY
この讃美歌について大塚野百合氏(*1)は、ご自身の著書(*2)の81頁で次の様に述懐しておられます。
~ ♪ 引用始まり ♪ ~
この歌と日野原重明先生
この歌について記事を書いた数日後の二〇一七年四月二二日(土)の朝日新聞の夕刊に日野原重明先生が「一〇五歳・私の証 あるがまま行く」という連載記事で「幼稚園の先生に教わった賛美歌」について書いておられるので、読んでみて驚きました。日野原先生が、神戸のランバス記念幼稚園で担任であった塩田小婦喜(こふき)先生から教わった「ちいさなかごに花を入れ」という賛美歌が今でも心に残っている、と書いてあるではありませんか。一〇〇年ぐらい前ですから、歌詞は「ちさきかごに もれる花」であったと思います。この歌がそのような昔から日本の子どもたちに愛されていたことを知って、とても嬉しくなりました。
~ ♪ 引用終わり ♪ ~
ところで私たちは、「子ども向け讃美歌は歌いやすく可愛らしいけども、成人礼拝には不向き」だとか、「大人と子どもは違う」といった様な潜在意識を持っていないでしょうか。
福音書に、この様な大人の思いを主イエスが諌めた出来事が書かれています。
① マルコ10:13-16
10:13 さて、イエスに触れていただこうと、人々が子どもたちを連れて来た。ところが弟子たちは彼らを叱った。
10:14 イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。
10:15 まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」
10:16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。
神は子どもを決して軽視されません。それどころか神は、“大人”が出来ないことを“子ども”を用いて御業を為されます。神はそのことを詩篇記者を通して語られました。
② 詩篇8編1-2節
8:1 【主】よ私たちの主よあなたの御名は全地にわたりなんと力に満ちていることでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。
8:2 幼子たち乳飲み子たちの口を通してあなたは御力を打ち立てられました。あなたに敵対する者に応えるため復讐する敵を鎮めるために。
2節の〈敵対する者〉〈復讐する敵〉とは、神に敵対し自分たちの利害を追求す人々を言いますが、この詩篇の言葉通りの出来事が福音書に記録されています。
③ マタイ 21:15-16
21:15 ところが祭司長たちや律法学者たちは、イエスがなさったいろいろな驚くべきことを見て、また宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と叫んでいるのを見て腹を立て、
21:16 イエスに言った。「子どもたちが何と言っているか、聞いていますか。」イエスは言われた。「聞いています。『幼子たち、乳飲み子たちの口を通して、あなたは誉れを打ち立てられました』とあるのを、あなたがたは読んだことがないのですか。」
この時、大人たちは祭司長たちや律法学者たちをはばかって口を閉じていたのです。なぜなら、イエスを神の子と認めるならユダヤ人社会から“村八分”に遭うので、大人たちはこれを恐れたのです。ところが、この様な緊張状態を突き破って子どもたちの讃美が湧き上がり、詩篇の預言が文字通り成就したのです。そして主イエスはご自身が神であることを明言されたのです。
子どもたちを用いて御業をなさる神の素晴らしさは、日本基督教団西神戸教会月報のショートメッセージ(*3)でも語られています。
~ ♪ 引用始まり ♪ ~
教会は、子どもの日・花の日礼拝で花を飾って、あるいは子どもを招いて礼拝する中で、多くのことを学びます。小さな花によって、慰められ、励まされ、力を受ける人がいます。私たちが、日々何気なく見過ごす中で花たちは、とても大切な役目を担っています。色とりどり、様々な形をもった花や花びらが、道端で一生懸命咲く姿に心魅せられる人がいます。私たちの気づかぬ人々の心がそこにあります。神は、その心と私たちが出会うことを、いつも求めておられるのではないでしょうか。
〈中略〉
私たちに与えられている、どんなに小さい物も神が用いてくださる時、豊かなものと変えられるのです。
〈中略〉
子どもは、大人の気づかぬささいな事・物・音などを教えてくれます。花や子どもや「あいさつ」という小さな者(物)・事の中に、神の宝がたくさん隠されているのです。時として、大人のどんな言葉や行いによっても慰められない心が、子どもの飾りのない率直な心からの笑顔や言葉で慰められる事があります。大人にはない、すばらしい輝きがそこにあるのです。
~ ♪ 引用終わり ♪ ~
私たちは “小さなもの” を見て「それが何になるか」と呟くことがあります。かつて弟子たちもそうでした。しかしひとたび神が用いられると何が起こるか、如実の証が四つの福音書全てに記録されています。「五つのパンと二匹の魚」の奇跡です。なかでもヨハネ福音書は少年の持ち物だったことを明記しています。
④ ヨハネ6:5-11
6:5 イエスは目を上げて、大勢の群衆がご自分の方に来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人たちに食べさせようか。」
6:6 イエスがこう言われたのは、ピリポを試すためであり、ご自分が何をしようとしているのかを、知っておられた。
6:7 ピリポはイエスに答えた。「一人ひとりが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」
6:8 弟子の一人、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。
6:9 「ここに、大麦のパン五つと、魚二匹を持っている少年がいます。でも、こんなに大勢の人々では、それが何になるでしょう。」
6:10 イエスは言われた。「人々を座らせなさい。」その場所には草がたくさんあったので、男たちは座った。その数はおよそ五千人であった。
6:11 そうして、イエスはパンを取り、感謝の祈りをささげてから、座っている人たちに分け与えられた。魚も同じようにして、彼らが望むだけ与えられた。
主イエスが地上での御生涯を終えられ天に戻られた、再び主イエスがこの世界に来て下さる時に至るまで、神は子どもたちの口に讃美を授け、小さな業を用いてご自身の善き御業を続けられます。そして、私たち大人が忘れかけていた「神の素晴らしさ」にハッと気づかせ、私たちの口にも新しい讃美を授けて下さります。
■備考■
*1 大塚野百合
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E9%87%8E%E7%99%BE%E5%90%88
*2 大塚野百合 『子どもの賛美歌ものがたり-イエスさまいるってほんとかな』、教文館、2018/8/25
*3 日本基督教団 西神戸教会月報2001年6月号
https://www.nishikobe-kyokai.or.jp/monthlyreport200106.htm