教会学校の子どもたちにも良く知られたザアカイは、突然主イエスの訪問を受けた人々の一人です。ザアカイは主イエスと一緒にどんなひとときを過ごしたのかは聖書に書かれていませんが、彼の喜び様は並大抵でなかったことは生き生きと描写されています。
牧師である私も家内と連れだって、ご高齢やご病気ゆえに自力での礼拝出席が叶わなくなった教会員の方々を訪問します。先日、O兄がお世話になっている施設を訪問した時のことです。信仰生活65年を経て、今では見守り介護が必要なO兄は、とても快適なリビングに置かれたマッサージチェアに座ってうとうとされてました。車椅子に移乗しテーブルを囲み、たどたどしい会話を始めたのですが時々居眠りされるんです。真横にいた私も、その居心地良さに、ついつられて居眠りしてしまいました。しばらくして私が目を覚ますと、私より先に目を覚ましたO兄がニコニコして私を見ておられるんです。
後になって、ふと気づきました。訪問に出掛ける自分は、それ程意識はせずとも、私が相手の方に寄り添うんだ、自分の訪問が多少なりとも相手の方の慰めや励ましになれば、と“結果”を期待していた。しかし、今回は、O兄が私に寄り添って下さっていたんだ、寄り添っているつもりの人が、いつの間にか寄り添われる人になっていた...と感じたのです。
聖書に描写されたイエス・キリストの“訪問”には、気負を全く感じません。あの取税人ザアカイに対しても「人間はこうあるべきだ、そうなれない者は救われない」と迫ることも無かったようです。ただ罪深い人間から片時も離れずに寄り添ってくださり、その結果、その人は変えられていきました。
今回のO兄訪問は、主イエスが長年寄り添って下さっている方と一緒にいる時ならではの不思議で素晴らしい体験となり、大切な事を教えられました。
