主イエスはこう言われました、「 わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。すなわち、モーセの律法と預言書と詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する」。詩篇は私についての預言でもあると主イエスは言われたのです。事実、イエス・キリストご自身、詩篇を愛し、詩篇はそのご生涯の一部とまでなっていました。あの十字架のお苦しみの中で、口をついて出たおことば「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」も詩篇31篇5節でした。主イエスは、詩篇の中にご自分が生き生きと描かれていることをはっきり証しされました。
詩篇は、多くの人々に座右の書として愛し慕われ続けていますが、ラジオ伝道師として良き働きをされた羽鳥明先生が言われました。「詩篇にはキーワードがいくつかあります。その中心的なものをあげると、『神を信頼せよ』、『神のいつくしみ』、『正しい者・悪しき者』です」。
この三つの言葉は、福音書に記されている主イエス・キリストの生き様、奇跡の御業、御言葉にを為して下さった御生涯そのものであり、この三つの言葉は聖書全体を通して掲示されている神の御性質でもあります。
ですから、新約聖書の光をあてて私たちが詩篇を読むならば、主イエスは「わたしはここにいる」との御声を聞き、御姿を拝することが出来ます。
さらに、私たちが詩篇に私たちの日常の生活、私たちの魂の悩み、問題の現実を重ねて読む時、私たちは永久に変わることが無い神のいつくしみを知り、いつでもどこでもこの神に拠り頼み、イエスの御足の跡を辿(たど)り行くことのさいわいを味わいます。
