猛暑が始まってます。本格的酷暑を控え、今月は避暑がてら「暑」の言葉遊びをしてみましょう。
まず、聖書における「暑」という言葉の用例を調べました。なじみ深い聖句を数点ご紹介します。
「地のある限り、種まきの時も、刈入れの時も、“暑さ”寒さも、夏冬も、昼も夜もやむことはないであろう。」(創世記8:22)
この暑さも、私たちの神様の天地創造と御支配によるわけです。とは言え、ヨナ書4:7-8にはこう書かれています。
ところが神は翌日の夜明けに虫を備えて、そのとうごまをかませられたので、それは枯れた。やがて太陽が出たとき、神が“暑い”東風を備え、また太陽がヨナの頭を照したので、ヨナは弱りはて、死ぬことを願って言った、「生きるよりも死ぬ方がわたしにはましだ。」(ヨナ書4:7~8)
と記されたヨナの気持ちに私たちも共感出来ます。
聖書の最終巻、ヨハネの黙示録には、
「彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎“暑”も、彼らを侵すことはない。」 (黙示録7:16)
とあります。
この黙示録7:16を引照聖句とする讃美歌(1954年)を探してみると三曲ありました。
・48番「しずけきゆうべの」
・217番「あまつましみず」
・239番「さまようひとびと」
この讃美歌217番と言えば、ヨハネ4章「イエスとサマリアの女」の物語を背景にして作詞されたことでも知られています。
「イエスは女に答えて言われた、『この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう』。女はイエスに言った、『主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい』。」(ヨハネ4:13~15)
私たちは様々な炎暑に悩まされます。けれども、私たちは、「御子イエス・キリストを通して御言葉を戴いている」、「炎暑は私たちを侵すこと無く、私の父なる神がこの渇きを癒やして下さる。」このことを覚える時、ほっと憩うことができますね。