月報 2016年6月号 「食べられるって、しあわせ」
さあ、朝の食事をしなさい 日本聖書協会『口語訳聖書』ヨハネによる福音書 21章12節
イエス様は言われました。
「何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずら…うな」(マタイ6:25)
「人はパンだけで生きるものではない」(マタイ4:4)
これだけを聞くと、聖書は食べることに否定的というか消極的な印象を受けます。ですが、福音書が私たちに伝えるイエス様は、実に色んな人たちと様々な機会に食事を共にされています。
また、旧約聖書も食べることから始まっています。
「これはあなたがたの食物となる」(創世記1:29)
の他に、2章16節や9章3節などにも同様の神の言葉が記されています。食べることは、旧約・新約両聖書でも信仰生活に関わることなのです。それはどんなかかわりでしょうか。
先日、NHKテレビ「プロフェッショナル仕事の流儀 ~食べる喜びを、あきらめない」と題した放送で、看護師・小山珠美(こやまたまみ)さんの取り組みが紹介されました。
「脳卒中や肺炎を患ったことをきっかけに、医師から『食べることをあきらめるように』と指示される高齢者が少なくない。食べものが気管を通じて肺に入り込むと、それが命取りになることさえあるからだ。そうした摂食えん下障害を抱える人たちの食べる力を回復させるエキスパートが小山さん。これまで担当した患者およそ二千人のうち9割が再び食べることができるようになり、食べることを通じて大勢の人たちが見違えるように元気になった。口からの食事は、視覚・嗅覚・味覚を刺激し、脳の働きを活性化し、感染症予防や免疫力向上にも繋がる。そして何より、食べることは生きる喜びへとつながる。だからこそ小山さんは、口から食べることにこだわり続けてきた。」
(
http://www.nhk.or.jp/professional/2016/0516/index.html
の要約)
最近は、食事を一人で簡単に済ませる人が増えている様です。お隣の韓国では家族を「食口」と書くそうです。一緒に食べるからだそうです。食事をするということは、心を通わせるきっかけになります。ですから、イエス様は、「自分の食べ物のことで思い煩うな」とは言われましたが、一緒に食事することの素晴らしさを身をもって教えて下さったのです。
先月22日の「いずみ会」では、兄姉方が一つの食卓を囲みました。そして、普段は心の中にしまい込んでいる事を自然体で話せ、そこから共感が生まれ慰め励ましを共有していく。そのような、主に祝福された素晴らしいひとときでした。感謝です。
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