
今回は、まず資料1から、讃美歌150番の日本語歌詞で意味が判りにくいところを簡単に説明致します。なお、資料2の「原歌詞の生い立ち」は今回説明を省かせていただきます。
次に、資料3【改訂1】を手引きとして使い、「ハレルヤ」と呼ばわる声を聖書に探求してまいります。
その後、資料1に戻り、 聖書・原歌詞との関係で讃美歌150番を振り返り、最後に短く奨励させていただきます。なお日本語訳聖書は新改訳2017を使っています。
■ 1.讃美歌150番の意味が判りにくい箇所の説明
~資料1によります
[1節]
あくまのしばし ほこりしかちは 今しももろく ついえけるかな ハレルヤ
【意味】 「悪魔が少しの間 自慢した勝利は 今、もろくも 敗北となり駄目になった」
ゲッセマネで主イエスを捕らえ、正義を捻じ曲げ、十字架に付けた人々の怒号歓声と、墓からイエスがいなくなったことを知った人々の慌てふためきようが思い浮かんできます。
[3節]
めぐみとさかえ みいつにみてる イェスの御顔ぞ げにうるわしき ハレルヤ
【意味】 「みいつ」とは「自然の成り行きとして人を畏れさせ従わせる神の力・勢い」
[4節]
ひとやのなかに つながれおりし アダムの子らは 解きはなたれぬ ハレルヤ
【意味】 「人牢の中に繋がれていた人間は 拘束を解かれて自由にされた」
■ 2.「ハレルヤ」と呼ばわる声を訪ねて
~資料3【改訂1】によります。
■ 3.聖書・原歌詞との関係で讃美歌150番を振り返る
~再び資料1を参照します。
[1節]
あくまのしばし(少しの間) ほこりしかちは
今しももろく ついえけるかな ハレルヤ
黙示録19章、主イエスの完全勝利と救いの完成を、見事なまでの簡明さで歌いあげています。
[2節]
かがやきのぼる あさ日のごとく
よみにうちかち 主はいきたもう ハレルヤ
英語歌詞にはありませんが、
詩篇112:4 直ぐな人たちのために光は闇の中に輝き昇る。主は情け深くあわれみ深く正しくあられる。
を「ハレルヤ」と歌っています。
[3節]
めぐみとさかえ みいつ(神の威光)にみてる
イェスの御顔ぞ げにうるわしき ハレルヤ
詩篇で「ハレルヤ」とたたえられた神の御性質と御業と
主イエスの御生涯(における奇跡)と宣教 ..
を総括して
「めぐみとさかえ みいつ(神の威光)にみてる イェスの御顔ぞ げにうるわしき」
と主イエスを「ハレルヤ」
[4節、5節]
ひとや(人牢)のなかに つながれおりし
アダムの子らは 解きはなたれぬ ハレルヤ
世界のたみよ あまつつかいに
こえをあわせて よろこびうたえ ハレルヤ
4、5節では、
・死の支配からの解放と、「ハレルヤ」コーラスへの招き
・先ほどお話したことの繰り返しになりますが、詩篇117編と、また原歌詞の6節 「Now He bids us tell abroad」、「広いところへ出て行って御言葉を述べ伝えよ」、が歌われます。
私たちの宣教は、私たちの家族や友人をサタンの支配から解放する神の御業でもあります。
■ 4.結びの奨励
使徒パウロは
コロサイ3:1 あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい
とすすめてます。「よみがえらされたのなら」は「よみがえらされたのだから」(口語訳)と訳す方が誤解が無いでしょう。
しかし、私たちは「よみがえらされた」などと言われてもピンとこないのでは。主イエスが再臨して下さるその日までは(肉体の)死は厳然として私たちを支配していますので。
でも、御言葉は真実です。
聖書は「あなたがたはよみがえらされた」と宣言しています。
聖書は、わざわざ「よみがえらされた」と、所謂“過去形”(アオリスト)と受け身で語ることに注意が必要です。
よみがえりというのは、私の体に何か変化が起きたからではありません。
私たちは、あなたは、信仰によって主イエスに繋がれ新しいいのちに生きる者と既にされており、キリストのよみがえりの出来事が私にも起こるようにされています。
聖書が証する主イエスのよみがえりの事実は、私たちを目に見える現実や自分の経験・知識から解放します。
主イエスをこの世に遣わし、あなたに新しいいのちを与えてくださった神を仰ぎ、
私たちも高らかに「ハレルヤ!」と賛美しましょう。
