岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第45回) 讃美歌491番「きよき朝よ」 Welcome, delightful morn ~シンシナティ日本語教会主催
万軍の【主】よ、あなたの住まいはなんと慕わしいことでしょう。
私のたましいは【主】の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も身も生ける神に喜びの歌を歌います。日本聖書協会『口語訳聖書』詩編 84編1-2節
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■ まえおき
今回の讃美歌Welcome, delightful mornは、御言葉をパラフレーズして安息日礼拝の至福を歌っています。
しかし実は私、N姉からリクエストを戴いた時、首をかしげてしまったのです。讃美歌491番の歌詞は正直今ひとつ。讃美歌関連書籍では見向きもされず、Web上の動画・資料も極めて少ないので、人気薄な讃美歌の印象を受けました。リクエストの動機がさっぱり分かりませんでした。
しかし、英語歌詞を精査するうちに目から鱗が落ちました。この歌詞を初めて出版したジョン・ドーベルの序文とおりの素晴らしい讃美歌です。
■英語歌詞と聖書
♬ 原歌詞一節
Welcome, delightful morn,
Thou day of sacred rest!
I hail thy kind return;
Lord, make these moments blest:
From the low train of mortal toys,
I soar to reach immortal joys,
I soar to reach immortal joys.
歌詞2行目「sacred rest(神聖な休息)」とは安息日(あんそくび)のことです。歌詞4行目では、
I hail thy kind return;
Lord, make these moments blest:
〈these moments〉と複数形を用いることで、安息日が巡り来ることが表現されてます。
「わたしは去って行くが、あなたがたのところに戻って来る」(ヨハネ14:28)と言われ、
_†_ ① マタイ11:28 _†_
すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
と約束された主イエスが、毎週安息日の主(ルカ6:5)でいて下さっています。
歌詞5行目、
From the low train of mortal toys,
I soar to reach immortal joys,
〈toys〉には「軽んじたり、いい加減に扱ったりする物事」との意味があります。ですからここでは、
おもちゃの如く軽んじられ壊れ落ち込んだ私が、永遠の喜びへと舞い上がります!
「死すべきmortal」な自分が、「不死、永遠immortal」へと飛翔させられます。
_†_ ② イザヤ40:31 _†_
…【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。
この御言葉に与れる安息日を「Welcome, delightful morn、ようこそ、喜びの朝よ、安息日よ!」と歌わずにはおれません。
♬ 原歌詞二節
続いて2節では礼拝の喜びが詩篇記者の言葉を借りて歌われます。
To spend one sacred day
Where God and saints abide
Affords diviner joy
Than thousand days beside;
I love it more where God resorts,
To keep the door than shine in courts.
To keep the door than shine in courts.
この歌詞は詩篇84篇、
_†_ ③ 詩 84:1,2,10 _†_
万軍の【主】よ、あなたの住まいはなんと慕わしいことでしょう。
私のたましいは【主】の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も身も生ける神に喜びの歌を歌います。
...
まことにあなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりは私の神の家の門口に立ちたいのです。
この様に、原歌詞二節は詩篇84編のパラフレーズ(言い替え)です。詩篇記者はこう証ししています。「聖所で過す一日は、他のところで漠然と、あるいは忙しさに取り紛れて過す千日よりも、はるかに充実している。また、不信仰者と共に「悪の天幕」に住まわって繁栄しても、それは過ぎ去る喜びでしかないから、むしろ神の家の門口に立つ門番になって主を誉め讃えて生きるほうがはるかに幸福だ!」と。
これこそ、天上の聖所を映し出す地上の教会に集い、五感と心が神の臨在そのものに向けられた会衆一人ひとりの歓喜です。
♬ 原歌詞三節
Now may the King descend,
And fill His throne with grace;
Thy scepter, Lord, extend,
While saints address Thy face;
Let sinners feel Thy quickening word,
And learn to know and fear the Lord,
And learn to know and fear the Lord.
「Thy scepter, Lord, extend、主よ、笏を差し伸べてください」。
この歌詞から脳裏に浮かんで来る聖書箇所はエステル記です。
_†_ ④ エステル4:11、5:2 _†_
「王の家臣たちも王の諸州の民も、だれでも知っているように、召されないのに奥の中庭に入って王のところに行く者は、男でも女でも死刑に処せられるという法令があります。ただし、王がその人に金の笏を差し伸ばせば、その人は生きながらえます。…」
王が、中庭に立っている王妃エステルを見たとき、彼女は王の好意を得た。王は手にしている金の笏をエステルに差し伸ばした。エステルは近寄って、その笏の先に触れた。
scepterは「笏」とも「杖」とも訳される王権を象徴する持ち物です。古代ペルシャでは、エステル記にある通り王の前に召されずして現れた者は死刑に処され、王が笏を差し伸べた場合だけ生きながらえました。
王妃エステルは民族滅亡の危機に瀕してペルシャ王の玉座に大胆にも進み出で、その笏の触れて生きながらえ、かつ、王に窮状を訴えて民族を救うことが出来ました。
ここで
Thy scepter, Lord, extend, While saints address Thy face;
Let sinners feel Thy quickening word,
に関して三つのことをお話したいと思います。
(1)まず一つ目は〈Thy scepter〉と〈Thy quickening word〉が(feel)により対になっていることです。
エステルが金の笏に手で触れ(feelし)、自分が受け入れられ生き伸びられる安堵を感じた(feelした)事と、
罪人(つみびと)が主の生ける御言葉を聞いて、物に直接触れた触感以上に深く感動・共感(feel)して主を知り畏れることを学ばせて下さい、との願いが重ねられ歌われます。触感以上の深い感動・共感(feel)が聖書にこう書かれています。
_†_ ⑤ 使徒17:27 _†_
…もし人が手探りで求める(KJV:feel after)ことがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。
人間の王が地上で人を生かす権威をもつなら、安息日の主イエスは私たちに何をして下さることでしょう!
また、私たち牧師は、この主の御業に与る栄誉と責任とを与えられていることを思うと身が引き締まります。
(2)二つ目は、「主が笏を差し伸べる相手〈 saints〉(聖人ではなく聖徒)」と、「御言葉をfeelする人々〈sinners〉」は対極的な二つの集団ではなく同じ人々です。笏に触れる「聖徒」は、主の言葉に聞いてキリストを信じ罪を赦される「罪人」のことです。イエスへの信仰により義と認められ聖徒としての資格を与えられると聖書が教える通りのことをここでさりげなく歌ってます。
(3)三つ目は、
王権を象徴する〈笏〉と〈生ける御言葉〉により、旧約聖書で預言されたメシヤであるイエス・キリストを指し示しています。その根拠は次の二つの預言的聖句です。
(3-1) ヤコブが生涯の終わりに臨んた時、こう語りました。
_†_ ⑥ 創世記49:10 _†_
「王権はユダを離れず、王笏はその足の間を離れない。ついには彼がシロに来て、諸国の民は彼に従う。」
〈王権〉は羊飼いの杖を表す語で、〈シロ〉は一般にメシヤの称号とされることから、ユダ族から将来メシアが現れ、その権威が永続することを預言的に示しています。
(3-2) また、約束の地に向かって荒野を旅するイスラエルの民を、預言者バラムはこう祝福しました。
_†_ ⑦ 民数記24:16-17 _†_
神の御告げを聞く者、いと高き方の知識を知る者、全能者の幻を見る者、ひれ伏し、目の開かれた者の告げたことば。
私には彼が見える。しかし今のことではない。私は彼を見つめる。しかし近くのことではない。ヤコブから一つの星が進み出る。イスラエルから一本の杖(※笏)が起こり、モアブのこめかみを、すべてのセツの子らの脳天を打ち砕く。
この讃美歌にはイエス・キリストという言葉は出てきませんが、ここでも「安息日の主」(マタイ12:8)であるイエス・キリストを指し示しています。
♬ 原歌詞四節
Descend, celestial Dove,
With all Thy quickening powers;
Disclose a Savior's love,
And bless the sacred hours;
Then shall my soul new life obtain,
Nor Sabbaths be enjoyed in vain,
Nor Sabbaths be enjoyed in vain.
この歌詞から思い起こされる聖書の情景はここです。
_†_ ⑧ マタイ3:16-17 _†_
イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると見よ、天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。
そして、見よ、天から声があり、こう告げた。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」
このお方について、こう書かれています。
_†_ ⑨ Ⅰコリント15:45 _†_
...「最初の人アダムは生きるものとなった。」しかし、最後のアダムはいのちを与える御霊(KJV:quickening spirit)となりました。
そして、
_†_ ⑩ ロ-マ8:11 _†_
イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。
KJV8:11
But if the Spirit of him that raised up Jesus from the dead dwell in you, he that raised up Christ from the dead shall also quicken your mortal bodies by his Spirit that dwelleth in you.
このように、主イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けた時の如く、この安息日礼拝においても、聖霊なる神が私たちに下ってください。そして、
Disclose a Savior's love,
And bless the sacred hours;
Then shall my soul new life obtain,
Nor Sabbaths be enjoyed in vain.
と安息日の主イエスを誉め讃えています。
■結び
週ごとに繰り返される安息日礼拝〈thy kind return〉が空しく繰り返されることは決してありませ。.やがてこの日を迎えるからです。
_†_ ⑪ Ⅰコリント15:52-55 _†_
終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。
そして、この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、このように記されたみことばが実現します。「死は勝利に呑み込まれた。」
「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」
神の時が来たら私たちはこの約束に与ります。この望みに繋がる安息日の恵みに、これからも皆様とご一緒に与って参りましょう。![]()
