岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第37回)讃美歌118番「くしき星よ」Brightest and Best of the Sons of the Morning ~シンシナティ日本語教会主催

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第37回)讃美歌118番「くしき星よ」Brightest and Best of the Sons of the Morning ~シンシナティ日本語教会主催

2:1 イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」
2:3 これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。
2:4 王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
2:5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。
2:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。』」
2:7 そこでヘロデは博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について詳しく聞いた。
2:8 そして、「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから」と言って、彼らをベツレヘムに送り出した。
2:9 博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。
2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
2:11 それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
日本聖書協会『口語訳聖書』マタイによる福音書 2章1-11節



■ まえおき
讃美歌118番の歌い出し「くしきほしよ やみのよに ...」 を聞くと、マタイによる福音書2章の「東の国から博士たちがやって来た出来事」を思い出します。ところが、原歌詞一行目の直訳は 「朝の息子たちの中で最も明るく、最も優れた方よ」となっていて、何を言っているのかさっぱり分かりません。


■1. 一節
実は、原歌詞一行目は旧約聖書の、

 _†_ ② ヨブ38:4, 7 _†_
38:4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。分かっているなら、告げてみよ。(中略)
38:7 明けの星々がともに喜び歌い、神の子たちがみな喜び叫んだときに。
 _†_†_†_

が元になっています。このヨブ記38章は、天地万物の創造を、
・実際に地の基とその大きさを定め堅固に据えた当人のみが書き記し得る生き生きとした描写を用いて、
・擬人法により 「この業(わざ)には、明けの星々も、神の子たちも参与することはなかった。彼らはた だその主のみわざを喜びたたえただけである。また、そのみわざは、そのような賛美に値するものであった」と記しています。
作詞者ヒーバーは、このヨブ記38章を瞑想して 「この天地万物を創造されたお方が顕現された!」と歌い出し、そこに旧新約聖書全66巻で最後の章の御言葉、「わたしイエスは…輝く明けの明星である」(黙示録22:16)を組み合わせて、

 ♪~
「私たちを覆う闇を去らせ、私たちを助けてください。」
 ~♪

と呼ばわります。ここに、ヒーバーの牧師また詩人としての真骨頂を見ることが出来ます。
また、この讃美歌は、讃美歌(1954年版)では」「降誕」に分類されてますが、原歌詞は教会暦の顕現日1月6日(Epiphany、公現日とも言い、キリストが神の子として公に現れて下さったことの記念日)の為に書かれたことも理解出来ます。

 ♪~
「私たちの幼い救い主の元へと導いてください。」
 ~♪

こう歌うことで、私たちはマタイ2章の世界へと導き入れられます。

 _†_ マタイ2:1 _†_
2:1 イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
 _†_†_†_

この「博士」は、「マジック(英)」の語源であるギリシア語「マゴス」で、魔術師占星術師のことです。古代世界では悪い意味はなく、むしろ人生よろず相談的な知恵や先見の明などを持つ賢者のことで、天文学とも結びついていました。
「東の方」とは、当時のアッスリヤ・バビロン・ペルシャです。博士たちは現在のイラン北西部の地からエルサレムまで、直線距離で1000キロ程ある道のりを旅をしてきたわけです。物語としては美しいですが並大抵ではありません。アブラハムがハランを出発した時(創世記12章、ヘブル11:8 )、また、リベカがイサクの妻となるべく故郷を離れた時(創世記24章)と同様、博士たちも信仰によってはるばると旅してきたに違いありません。

それにしても、どうして特定の星を見てそう思ったのでしょう。一般的には「星占いによった」と説明され納得もされますが、私は違うと思います。と言いますのは、聖書は神の救いの御業、啓示の進展を記す書物です。ですから旧約聖書のどこかに預言されていたはずです。

それは次の聖句、モーセに率いられて奴隷の地エジプトを脱出し、荒野を約束の地に向かって旅する神の民に与えられた紀元前13世紀頃の預言でしょう。

 _†_ ③ 民数記24:17 _†_
私には彼が見える。しかし今のことではない。私は彼を見つめる。しかし近くのことではない。ヤコブから一つの星が進み出る。…
 _†_†_†_

この旧約預言は、まず、紀元前11世紀のダビデ王国樹立により予型論的に成就しました。しかし、紀元前6世紀にこの王国は神への不信仰と罪故に滅ぼされ、ユダヤの主たる人々は「東の国」バビロンに捕え移されました(バビロン捕囚)。こうして東の国で 「ユダヤ人の王」(マタイ2:2)の預言が伝承・保存されたのでしょう。
そして旧約時代が終焉し新約の時代が到来した時、万物の創造主なる神ご自身の顕れを、神は東方の博士たちに啓示したのです。これがマタイによる福音書二章のメッセージであり、この讃美歌「Brightest and best of the sons of the morning」が歌うことです 。

原歌詞一節に戻りましょう。

 ♪~ 
この上なく輝かしき明けの明星よ、
私たちを覆う闇を去らせ、私たちを助けてください。
地平線を晴れ渡らせ飾る東の星よ、
私たちの幼い救い主の元へと導いてください。
 ~♪

「東の星」に導かれてエルサレムに到着した博士たちはヘロデ王に拝謁します。

 _†_ マタイ2:2-6 _†_
2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」
2:3 これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。
2:4 王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
2:5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。
2:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。』」
 _†_†_†_

この時博士たちは、自分たちが知らなかった具体的な救いの預言、

 _†_ ④ ミカ5:2 _†_
「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」
 _†_†_†_

の存在を知り、どんなに喜んだことでしょう! しかし、

 _†_ マタイ2:7-8 _†_
2:7 …ヘロデは博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について詳しく聞いた。
2:8 そして、「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから」と言って、彼らをベツレヘムに送り出した。
 _†_†_†_

聖書は記しています。ヘロデ王ばかりか祭司長や律法学者たち、誰一人として行動を起こさなかった、と。この時博士たちはどんなに大きな試練・誘惑にあったことでしょうか。
教会へ行こうと誰かを誘っても誰一人一緒に行こうとしない、そんな経験を持つ方なら共感できます。

 _†_マタイ2:9a _†_
博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。…
 _†_†_†_

ここで「出て行った」と翻訳されている言葉には「人生の旅路を行く,生き方をする」といった意味があります。
讃美歌の一節は、この時の博士ばかりか、信仰によって行動する私たちの想いと重なります。

 ♪~
この上なく輝かしき明けの明星よ、
私たちを覆う闇を去らせ、私たちを助けてください。
地平線を晴れ渡らせ飾る東の星よ、
私たちの幼い救い主の元へと導いてください。
 ~♪

 _†_マタイ2:9b-11 _†_
2:9b …すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。
2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
2:11 それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
 _†_†_†_

ここには私たちが心すべきことが記しされてます。イエス様の顕現に与り礼拝できたのは、御言葉(ここでは旧約聖書の預言)に信頼し、信仰によって行動した博士たちだけだったことです。
ヘブル人への手紙にこう書かれています。

 _†_ ⑤ ヘブル11:1 、4:2b _†_
11:1 さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

4:2b …けれども彼らには、聞いたみことばが益となりませんでした。みことばが、聞いた人たちに信仰によって結びつけられなかったからです。
 _†_†_†_


■2. 二節
二節は、博士たちが幼いイエスを拝した時の情景を、ルカ2章を引用して歌います。

 ♪~
寒さの中、主の揺りかごには露のしずくが輝きます。
主はみ頭を低くして家畜小屋の動物たちと一緒です。
天使たちは、横になりすやすや寝むる主をあがめます。
すべての者の創造者、王であり、救い主を。
 ~♪

幼子はイザヤの預言 〔聖句⑤ イザヤ53:2〕 の通りであった。だが「このお方こそ、すべての者の創造者、王であり、救い主である」と、驚きと感動、そして信仰告白を歌います。
余談ですが、この時の博士たちの捧げ物は、マタイ2章16-21節の出来事の間、イエスと家族を養ったと考えられています。


■3. 三節
続く三節は、私たち一人ひとりに問いかける様に歌います。

 ♪~
私たちは主に高価な捧げ物を差し出すべきでしょうか?
エドムの香料や尊い捧げもの、
山からの宝石、海の真珠、
森の没薬や鉱山からの黄金などを。
~♪

この歌詞は、 〔聖句⑧ ヨブ記28章〕 の要約です。ヨブ記28章には、

・28:1-11 : 人間が貴金属や宝石を探し求める時の熱心さの描写。
・28:12-19 : 真の知恵は、人間がすべてを傾けて探し出す貴金属や宝石に勝る。しかし、人間の努力と技術を駆使しても探し出せないこと。
・28:20-28 : 「真の知恵」とは、万物の創造者なる「神との関係のあり方」に関するもので、神が啓示して下さる事によってのみ知り得ること。

が記されています。なお 「エドムの香料」は聖書に記述がありませんが、エドムは主に死海で産出される塩や香料香木などを取り扱い、古代エジプトとメソポタミア地域、アラビア半島、地中海東岸の交易を中継して栄えたことで知られています。

このヨブ記以外にも、“捧げ物を媒介とした神との関わり合い方”について詩篇記者ダビデはこう言いました。

 _†_ ⑩ 詩篇51 : 16-17 _†_
51:16 まことに私が供えてもあなたはいけにえを喜ばれず全焼のささげ物を望まれません。
51:17 神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。神よあなたはそれを蔑まれません。
 _†_†_†_

また主イエスは、エルサレム神殿で捧げ物をする人々の心をご覧になり教えられました。

 _†_ ⑨ ルカ21:1-4 _†_
21:1 イエスは目を上げて、金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れているのを見ておられた。
21:2 そして、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨を二枚投げ入れるのを見て、
21:3 こう言われた。「まことに、あなたがたに言います。この貧しいやもめは、だれよりも多くを投げ入れました。
21:4 あの人たちはみな、あり余る中から献金として投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っていた生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」
 _†_†_†_


■4. 四節
四節では、主の御心に叶った最良の神との関わり合い方について、神を誉め讃えて歌います。

 ♪~
私たちがそれらをふんだんに捧げても無駄です。
贈り物で主の恵みを得ようとするのは空しいです。
遥かに高貴なことは、心から主を愛し敬慕することです。
貧しき者の祈りをこそ、神は重んじ愛されます。
 ~♪

四節最終行の 「貧しき者(the poor)の祈り」のthe poorとは、自分の霊的貧しさを自覚して謙る人のことで、マタイ5:3「心の貧しい者(the poor in spirit)は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」と書かれている通りです。また「貧しき者の祈りをこそ、神は重んじ愛され」るのは、私たちの祈りが 「神に対する最も香しいもの」 〔⑪ 黙示録5:8〕 だからです。讃美歌308番「祈りは口より」も歌っていますが、私たちの祈りが貧しく拙くとも、愛の神は祈りそのものを喜ばれます。この様な“香”をいつでも神に焚くことができる私たちはなんと幸せなことでしょう。

最後に、「adoration」についてお話しして今日の解説を締め括ります。

 ♪~ (第四節、後半)
・原歌詞 Richer by far is the heart's adoration, Dearer to God are the prayers of the poor.
・讃美歌118番 まずしき身の ほめうたを 主はよろこび 受けまさん
・私訳 遥かに高貴なことは、心から主を愛し敬慕することです。貧しき者の祈りをこそ、神は重んじ愛されます。
 ~♪

英語訳聖書に 「adoration」あるいはその動詞形「adore」の用例を探したところ、意外なことにKJV、NKJV、TEVには皆無で、NIV(New International Version)に僅か一箇所だけありました。しかし、その一箇所は実に相応しい箇所なのです。それは 〔⑬ 雅歌 1:4〕 です。「愛する者のためにはすべてのものを進んで明け渡す愛」、「神とご自身の民との間の愛」を記す雅歌、ヘブル語で「歌の中の歌」と呼ばれる雅歌の冒頭で使われています。
讃美歌118番は翻訳上の制約からでしょうが 「adoration」を「ほめうた」との訳は残念です。


■むすび
この讃美歌は、天から降り御姿を現して下さった神の御子主イエスへのより優れた贈り物について歌いますが、それだけではありません。
主イエスは言われました。

 _†_ ⑫ マルコ12:33 _†_
そして、心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛すること、また、隣人を自分自身のように愛することは、どんな全焼のささげ物やいけにえよりもはるかにすぐれています。」
 _†_†_†_

こう教えられた主イエスは、私たちを救う為に十字架上でご自身を捧げられました。
マタイ2章の出来事を通して御自身を現して下さったイエス様は、私たち信者に対して「あーしなさい、こーしなさい」と教えるだけでなく、実際にadorationの御生涯を送られたのです。


■参考文献、Web
(1)大塚野百合 『「きよしこのよる」ものがたり』、教文館、2015/11/20 P.147ff
(2)梅染信夫『栄光、神にあれ 讃美歌物語』、新教出版社、P.25f
(3) https://www.hymnologyarchive.com/brightest-and-best



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岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第39回) ~讃美歌406番「友とわかるる」 ~シンシナティ日本語教会主催

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岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第38回) Lamb of God、「神の小羊」 ~シンシナティ日本語教会主催

今回取り上げた「Lamb of God」は、現代キリスト教音楽の歌手、作詞家、作家、ピアニストで、北米では長く一世を風靡し、「現代の讃美歌スタイル」を確立したと評せられるトゥイラ・パリス(Twila Paris、1958年~)により1985年に作詩作曲されました。1986年6月25日には、Top-ten singles (Adult Contemporary Christian Charts)の第2位にランクインしてます。日本では、リビングプレイズ266番「神の小羊」(2002年増補改訂版)、教会福音讃美歌45番「神の小羊」に収録されています。

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第37回)讃美歌118番「くしき星よ」Brightest and Best of the Sons of the Morning ~シンシナティ日本語教会主催

この讃美歌は、日本でも世界各地の教会でもクリスマスに歌われることが多いです。また、私たちの現行「讃美歌」でも、「降誕」に分類されてます。ところが原曲歌詞は、教会暦の顕現日(Epiphany、公現日とも言い、キリストが神の子として公に現れて下さったことを記念する日)1月6日のために書かれたのです。今回は、聖書と原曲歌詞の私訳に基づいて、この讃美歌の魅力をご一緒に味わって参りましょう。