岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第46回) 讃美歌98番「あめにはさかえ」 Hark! the herald angels sing ~シンシナティ日本語教会主催

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第46回) 讃美歌98番「あめにはさかえ」 Hark! the herald angels sing ~シンシナティ日本語教会主催

2:8 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。
2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
2:14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」
日本聖書協会『口語訳聖書』ルカによる福音書 2章8-14節


 ■ まえおき
讃美歌98番「あめにはさかえ」の歌詞は、18世紀英国でチャールズ・ウェスレーにより作詩され、15年後に彼の友人ジョージ・ホワイトフィールドにより改訂されました。そして19世紀半ばにメンデルスゾーンの美しいメロディが組み合わさり、世界中で、また日本でもクリスマスシーズンを中心に宗教的な背景を超えて教会の内外で広く親しまれている讃美歌の一つです。

 ■ 1.この讃美歌が辿った道
(1)歌詞
原詩作者チャールズ・ウェスレー(1707 - 1788)と改訂者ホワイトフィールド(1714 - 1770)は、信仰の師弟関係にある親友で、英国国教会の司祭でもありました。二人とも当時としては異例の野外説教を行い、メソジスト運動の創始者たちとして、イギリスとアメリカ植民地で広範なリバイバル(信仰復興運動)を巻き起こしました。

歌詞は、1739年、チャールズ・ウェスレー自身が著した讃美歌集に初めて登場しました。この時の歌い出しは今日と違って "Hark! how all the Welkin rings / Glory to the King of Kings" (資料2-1)でしたが、15年後にウェスレーの友人ジョージ・ホワイトフィールドにより改訂(資料2-2)されて出版されました。

まず、初出版から改訂版出版に至る15年間にあった出来事をお話したいと思います。
ウェスレーとホワイトフィールは親友で英国国教会の司祭でもありましたが、初出版の翌年1740年頃、彼らの関係は救いに関する神学的解釈の対立により大変な試練に直面したのです。
ホワイトフィールドはカルヴァン主義の予定論(神が救われる者と救われない者を予め決めているとする教義)を強く支持していました。一方、ウェスレー兄弟(特に兄のジョン)はアルミニウス主義の立場を取り、予定論を「神への冒涜」とまで呼び、自由意志とすべての人の救いの可能性を強調しました。この教義の違いにより、やがて信仰復興運動はカルヴァン主義メソジストとアルミニウス主義メソジストの二つの陣営に分裂した程です。

しかしウェスレーとホワイトフィールは、神学的立場の違いを地上的論争で決着を図ろうとせず、 「いずれ明らかにして下さる神に委ねよう」との信仰に立ったのでしょう。彼らは個人的な友情を絶つこと無く、互いに神の器として尊敬し合い、1754年にはホワイトフィールドによる歌詞改訂版(資料2-2)が出版されましたし、1770年にホワイトフィールドが亡くなった際には、彼の遺言により、チャールズの兄ジョン・ウェスレーが葬儀説教を行っています。

(2)メロディー
メロディーについても逸話が残っていますのでご紹介します。
ウェスレーの作詩とホワイトフィールドによる改訂から凡そ一世紀を経て、イギリスの音楽家ウィリアム・H・カミングスが、メンデルスゾーン作曲カンタータ『祝祭歌』 の第2コーラスを編曲し、この讃美歌のメロディーとしました。作曲者メンデルスゾーン自身はこの音楽について、「聖なる言葉には決して合わない」と書いていたそうですが、編曲者カミングスがメンデルスゾーンの思いを知っていたか否かは定かではありませんが、カミングスはこの旋律をウェスレーの歌詞に見事に調和させたのです。


 ■ 2.ホワイトフィールドによる歌詞改訂
続いて、ウェスレーによるオリジナル歌詞のうち、ホワイトフィールドにより改訂された箇所について簡潔にお話しましょう。なお今回は趣向を変えて、歌詞の背景にある聖書箇所は、御参加下さっているお一人おひとりで聖句一覧(資料3)を参考に黙想していただくことにします。

(1)原歌詞1節
HARK how all the Welkin rings, "Glory to the King of Kings,
聞け、いかに天空全体が鳴り響いていることか、「王の王に栄光あれ」

このフレーズは、天空全体に天使たちの歌声が響き渡っている様子を見事に描写しています。
Hark: 「聴きなさい」との古風な呼びかけの言葉。
welkin: 「ウェルキン」とは空、大空、天空を意味し、当時の英語詩でよく使われた古英語の美しい言葉で、最初のクリスマスの夜に繰り広げられた天上のパフォーマンスを完璧に想起させる。
rings: 「鳴り響く」「鳴りわたる」という意味。

「the King of Kings」
「King of Kingsは、イエス・キリストが持つ超越的な権威と、神としての地位を明確に表現する、聖書における重要な称号です。ペルシャ帝国の君主が使っていた称号に由来するとされます(エズラ7:12「王の王アルタクセルクセス」、エゼキエル26:7「王の王、バビロンの王ネブカドネツァル」)。また、新約聖書でも用いられています(Ⅰテモテ6:15、黙示録19:16)。
King of Kingsは、イエス・キリストが単なる人間の王ではなく、地上のあらゆる王や権力を超越した支配者、究極の権威と神性を持つ存在、すなわち唯一の神であること強調しています。

しかし、以上の冒頭二行のフレーズはホワイトフィールドによる出版で、

「Hark! the herald angels sing, Glory to the newborn King」

と改訂されました。さらにもう一箇所改訂されています。それは、一節の七行目八行目、

Universal Nature say, "CHRIST the LORD is born to Day!
宇宙的万物の摂理は告げる、「主なるキリストが今日誕生された!」

この「自然(Nature)」の捉え方と「普遍性(Universal)」を組み合わせたこのフレーズも置き換えられました。 私なりに改訂目的を想像しますと、おそらくシンプルに福音書を歌うようにしたのだと思います。汎神論的だったり啓蒙主義的なイメージを持つ言葉を取り除き、「王の王」という称号すら使わず、さらに2節の最後「here、ここに」も聖書通り「ベツレヘム」に改め、いわば金を精錬し不純物を漉(こ)し去って純金を得る為のような改訂だったのではないでしょうか。


(2)原歌詞4節
また、ホワイトフィールドによる改訂版では、ウェスレーの原歌詞四節五節が丸々省かれていますが、この讃美歌が歌われる際の主たる会衆を配慮した結果ではないかと私は考えています。
と言いますのは、18世紀イギリスにおける福音覚醒運動(メソジスト運動)の主な聴衆は、貧しい人々や、新興の労働者階級、そして伝統的な英国教会から疎外されていた社会の周縁にいた一般民衆でした。
ところが、ウェスレーの原歌詞四節五節にはパウロ書簡に記された“救済論”がぎっしり詰め込まれていますので、この内容を讃美歌として歌いまた聞くよりも、御言葉の説き明かしによるべきとの判断があったのではないでしょうか。

例えば原歌詞第四節の三行目にはこんな歌詞があります

Rise, the Woman's Conqu'ring Seed,
立ち上がれ、女の勝利の種よ、

この歌詞は何のことだかお分かりになりますか?
これは『旧約聖書』「創世記」3章15節の預言に基づいて、イエス・キリストがサタンと罪に対する勝利者であるという希望を歌っています。
創世記3:15で神は、「蛇(サタンを象徴)と女(ここでは最初の女エバ、そして彼女から生まれる全人類を象徴)の間に敵意を置き、女の子孫(seed、種)が蛇の頭を踏み砕き、蛇はその子孫のかかとを傷つけるだろう」と告げました。
この「女の種」イエス・キリストは、神の力によって、地上の父を持たずに女(マリア)から生まれ、十字架上で贖いを成し遂げ、よみがえらされ天に引き上げられました。そして終わりの日にこの創世記の預言は完全に成就するのですね。

また、原歌詞第四節の六行目にはこうあります。

Ruin'd Nature now restore,
罪に支配された人の世をきよめ、

このフレーズは、損なわれた自然環境の物理的回復を歌っているのではなく、堕罪と救済の概念に基づいて人間の霊的な再生と救いを希求しています。
Ruin'd Nature (損なわれた自然): これは、アダムとエバの堕罪によって人類の性質(自然)が罪によって「損なわれた」状態を指します。
Now restore (今や回復させよ): これは、イエス・キリストの降誕(誕生)と贖罪(しょくざい)によって、その損なわれた人間性を神の本来の姿へと回復(救済)するように求める祈りや呼びかけです。

(3)原歌詞5節 1行目から4行目

Adam's Likeness, LORD, efface, 
Stamp thy Image in its Place,
Second Adam from above,
Reinstate us in thy Love.

主よ、アダムの似姿を消し去り、
汝の御姿をそこに刻み、
天上の第二のアダムよ、
御身の愛で我らを立ち返らせてください。

ここでは、聖書、特にパウロ書簡に於ける、最初の人類であるアダムとキリストとを対比した神学的概念、すなわち神に従うことに、アダムは全人類の代表として失敗したのに対し、キリストは新しい人類の代表として人類の堕落した状態を回復して下さることが歌われています。

人類の祖アダムの神への不従順により罪と死の支配に陥った惨めな人の姿・性質を消し去って下さい
その惨めな姿・性質の上に、あなたの栄えある御姿をバンと捺印するようにして
天から来られた神、第二のアダム、イエス・キリストよ
私たちをあなたの愛に立ち返らせてください。


 ■ むすび
「Hark! The Herald Angels sing」の原歌詞はクリスマスの背景に或る救いを見事に歌った讃美歌ですが、ここまでお話ししたような歴史を辿ってきたことで、いわば神の摂理の下に置かれた結果、福音書に記された情景を彷彿とさせる讃美歌となり、全世界で親しまれるようになりました。

この讃美歌はその後英国国教会の四大讃美歌の一つになりました。
ケンブリッジ大学キングス・カレッジ・チャペルで毎年催される「ナイン・レッスンズ・アンド・キャロルズ」(*1)はBBCにより生放送されますが、そこでは、サー・デイヴィッド・ウィルコックスによる第3節の編曲と共に長年退場歌として歌われてきました。
  *1 https://www.kings.cam.ac.uk/chapel/festival-nine-lessons-and-carols
  ※なお、これは「Carols from King's」とは別のプログラムです。
    https://www.kings.cam.ac.uk/chapel/carols-kings

では、最後に、「ナイン・レッスンズ・アンド・キャロルズ」を模した録画(2021年の「Carols from King's」)をご覧頂いて今日の解説を閉じさせていただきます。
     https://www.youtube.com/watch?v=9Bwn0k0k8xI


添付ファイル (要パスワード)

  1. 動画へのリンク R1.pdf

2025年 メッセージ一覧

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第46回) 讃美歌98番「あめにはさかえ」 Hark! the herald angels sing ~シンシナティ日本語教会主催

讃美歌98番「あめにはさかえ」は、18世紀英国でチャールズ・ウェスレーにより作詩され、メンデルスゾーンの美しいメロディにより、宗教的な背景を超えて教会の内外でクリスマスシーズンを中心に多くの日本人に広く親しまれている讃美歌の一つです。そして福音書の降誕の場面を模したクリスマスページェントやコンサートでも頻繁に歌唱・演奏されています。集会はオンラインで、日本時間2025年12月19日(金)午前10時~11時、アメリカ東部時間2025年12月18日(木)午後8時~9時に開催されました。

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第45回) 讃美歌491番「きよき朝よ」 Welcome, delightful morn ~シンシナティ日本語教会主催

集会はオンラインで、日本時間2025年11月21日(金)午前10時~11時、アメリカ東部時間2025年11月20日(木)午後8時~9時に開催されました。

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第44回) 讃美歌262番「十字架のもとぞ」 Beneath the Cross of Jesus ~シンシナティ日本語教会主催

「十字架のもとぞ」 Beneath the Cross of Jesusは、スコットランドの詩人で敬虔なクリスチャンの女性クレフェインにより、彼女が38歳という若さでこの世を去る前の年1868年に作詩されました。生と死のはざまに近づいた彼女は、自分が聖書の言葉通りの恵みに与ってきたことを、一篇の詩に託して証(あかし)したのです。そのクレフェインの真心こめた詩は、詩と一体になったメイカー作曲の優しいメロディー、そして由木康(ゆうき こう)牧師による素晴らしい訳詩と相まって、私たちを例えようもない救いの安らぎに誘い憩わせてくれます。

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第43回) 讃美歌503番 「春のあした夏の真昼」Bringing in the Sheaves ~シンシナティ日本語教会主催

今回取り上げた讃美歌は、讃美歌503番「春のあした夏のまひる」で、神戸にお住まいのS姉の愛唱歌です。この讃美歌は、直接的には種蒔きの苦労と収穫を待望した喜びを歌っています。そのリフレイン(繰り返し)部分は、『大草原の小さな家』という、古き良きアメリカの開拓時代に様々な困難を乗り越えるインガルス一家の姿を通して家族愛や人間愛の尊さを描く不朽の名作の様々な場面で歌われました。事実、西部開拓時代の終盤に創られたこの讃美歌は、当時の伝道集会で歌われ多くの開拓民を救いに導き、今もなお、信仰に生きる私たちや伝道者の励みになっている讃美歌です。

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第42回) 2025年7月(17)18日 JCCC讃美(42) 聖歌570番 「雨をふりそそぎ」 There shall be showers of blessing ~シンシナティ日本語教会主催

日本には雨の情景を美しく表現する文化があり、400以上もの表現呼び名があるそうです。その雨は、旧約聖書では専ら豊穣や神の養いと祝福の象徴、新約聖書では聖霊の働きと霊的渇きの癒しの象徴です。このことを見事に歌い上げた讃美歌が聖歌570番「雨を降り注ぎ」 There shall be showers of blessingです。

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第41回) 讃美歌66番「聖なる聖なる」 Holy Holy Holy ~シンシナティ日本語教会主催

この讃美歌は、多くの人々がそらんじて歌えるほど親しまれている讃美歌です。「聖なる 聖なる 聖なるかな」と三回繰り返すこの頌栄は三位一体を暗示していますが、この頌栄を初めて記したのは預言者イザヤ(イザヤ6:3)です。そして、この頌栄を次に記したのは使徒ヨハネ(黙示録4:8)なのです。つまり聖書に二回しか登場しない非常にレアな頌栄なのですが、それ以上に驚くべき事があります。この頌栄は二回とも、神が見せて下さった天上の光景、勝利の幻の中で歌われているということです。この幻を敷衍(ふえん)して歌うのがこの讃美歌です。

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第40回) 讃美歌第75番「ものみなこぞりて」All Creatures of Our God and King

資料1 「略解」にも書きましたが、この愛すべき讃美歌の歌詞は、動物と環境の守護聖人アッシジの聖フランチェスコにより1225年頃書かれた〈太陽の賛歌〉がパラフレーズされたものです。彼は「小鳥に説教する聖フランチェスコ」という有名な逸話を残し、映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」の主人公にもなりました。この〈太陽の賛歌〉では、文字通り、天地万物を創造された神の被造物、太陽や月・星、風や大気、清い空や水、日や光、そして夜を取り上げて創造主を讃えています...

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第39回) ~讃美歌406番「友とわかるる」 ~シンシナティ日本語教会主催

3月といえば卒業式など別れの季節でもあります。近年は大都市の公立学校(特に小学校)を中心に、かつての卒業式定番曲『仰げば尊し』ではなく、その時々の流行曲を歌う学校が増えてきているそうです。その様な風潮の中で、ミッションスクールの卒業式前日燭火礼拝等で歌われる讃美歌が、今回取り上げる406番「友とわかるる」です。この讃美歌は、メンデルスゾーン「6つの歌op.59」の第3番「緑の森よ」のメロディーに、第九代青山学院院長を務められた豊田實(1885-1973)が、彼の恩師であり『国際基督教大学(ICU)創立史』を執筆したC.W.アイグルハートとの別れを念頭において作詞(1953年)したものです。深い惜別の情を吐露しつつも同信の友ゆえの希望がみなぎり、祝福の祈りすら込められたこの讃美歌に導かれて聖書を探訪してまいりましょう。

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第38回) Lamb of God、「神の小羊」 ~シンシナティ日本語教会主催

今回取り上げた「Lamb of God」は、現代キリスト教音楽の歌手、作詞家、作家、ピアニストで、北米では長く一世を風靡し、「現代の讃美歌スタイル」を確立したと評せられるトゥイラ・パリス(Twila Paris、1958年~)により1985年に作詩作曲されました。1986年6月25日には、Top-ten singles (Adult Contemporary Christian Charts)の第2位にランクインしてます。日本では、リビングプレイズ266番「神の小羊」(2002年増補改訂版)、教会福音讃美歌45番「神の小羊」に収録されています。

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第37回)讃美歌118番「くしき星よ」Brightest and Best of the Sons of the Morning ~シンシナティ日本語教会主催

この讃美歌は、日本でも世界各地の教会でもクリスマスに歌われることが多いです。また、私たちの現行「讃美歌」でも、「降誕」に分類されてます。ところが原曲歌詞は、教会暦の顕現日(Epiphany、公現日とも言い、キリストが神の子として公に現れて下さったことを記念する日)1月6日のために書かれたのです。今回は、聖書と原曲歌詞の私訳に基づいて、この讃美歌の魅力をご一緒に味わって参りましょう。