岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第35回) 讃美歌30番「あさかぜ静かに吹きて」Still, Still with Thee ~シンシナティ日本語教会主催
神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。 わたしがこれを数えようとすれば、その数は砂よりも多い。わたしが目ざめるとき、わたしはなおあなたと共にいます。
(詩篇139編17-18節 口語訳)
日本聖書協会『口語訳聖書』詩編 139編17-18節
■ はじめに ~讃美歌誕生
この讃美歌の作詩者は、『アンクル・トムの小屋』を著したストウ夫人(1811-1896年)です。
1620年メイフラワー号でマサチューセッツに降り立った建国父祖(Pilgrim Fathers)にルーツを有する名家に生まれ、父は著名な牧師で兄は後に大説教家となりました。
彼女が21歳の時、奴隷制反対活動の中心地であったオハイオ州シンシナティに家族ぐるみで移住し後、奴隷制に関する様々な出来事を経験した彼女は、41歳(1852年)の時『アンクル・トムの小屋』を出版しました。
当時奴隷解放問題で南北分裂の危機を抱えていたアメリカばかりかイギリスでも大反響を呼び、奴隷解放への世論を喚起する一方、奴隷制擁護論者からは激しい批判を浴びせられ、奴隷制支持者たちによるアンチ本(反トム文学)も多数出版されました。1862年にリンカーン大統領から、「あなたのような小さな方が、この大きな戦争を引き起こしたのですね」と挨拶されたとの逸話も残るように、南北戦争(1861-1865年)の引き金の一つとなりました。
この『アンクル・トムの小屋』出版に伴う“嵐”の渦中、1863年に作詩されたのがこの讃美歌です。
■ 讃美歌と聖書
この讃美歌は、詩篇の中の王冠とまで評される詩編139篇をパラフレーズ(意味を分かりやすく別の表現や言葉で言い換え)してます。
I. 「夜明けに目を覚まし」 ~♫ (第一節)
Still, still with Thee, when purple morning breaketh,
When the bird waketh, and the shadows flee;
Fairer than morning, lovelier than daylight,
Dawns the sweet consciousness, I am with Thee.
なおも、なおも、私はあなたと共にいます、
赤紫色に夜が明け小鳥が目覚め、闇が逃げ去る時、
朝より麗しく日の光より愛らしい、甘美な思いが、
明け初めます。私はあなたと共にいますと。
~♫
ストウ夫人が歌うような森の夜明けの美しさを、皆様も体験されたことがあるのではないでしょうか。
早朝のディボーシンを習慣としておられたストウ夫人は、
Still, still with Thee, when purple morning breaketh,
When the bird waketh, and the shadows flee;
と夜明けを目の当たりにした感動を歌っていますが、続けて、
Fairer than morning, lovelier than daylight,
Dawns the sweet consciousness, I am with Thee.
「夜明けの情景に優って甘美な、私は主と一緒との思い」を、詩篇記者ダビデも讃美しています。
_†_ ① 詩139:17-18 (口語訳、KJV)_†_
※KJV:ストウ夫人も使っていたであろう1611年刊行の英訳聖書
139:17 神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。
139:18 わたしがこれを数えようとすれば、その数は砂よりも多い。わたしが目ざめるとき、わたしはなおあなたと共にいます。
139:17 How precious also are thy thoughts unto me, O God! how great is the sum of them!
139:18 If I should count them, they are more in number than the sand: when I awake, I am still with thee.
_†_†_†_
詩139:17の「あなたのもろもろのみ思い」とは、直接的には139:16以前に記された事柄です。拡大解釈して、聖書に啓示されている福音・御言葉とも受け取れます。これをストウ夫人は「夜明けの情景に優って甘美な、私は主と一緒との思い」と歌っています。
ところで、少しく歌詞から離れますが、「なんとわたしに尊いこと」「How precious」と訳された大元のヘブル語の意味は、『尊い』、『高価である』です。
precious : 〈物・時間・資源などが〉貴重な, むだにできない、〈宝石・貴金属などが〉高価な, 希少価値のある、 〈記憶・所持品などが〉〔…にとって〕とても大切な
ところが、新改訳と新改訳2017聖書は、(あなたの御思いを知るのは)「なんと『難しい』ことでしょう」と約しています。
_†_ ② 詩139:17 訳の比較 _†_
【口語訳】139:17 神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに『尊い』ことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。
【新共同訳】139:17 あなたの御計らいは/わたしにとっていかに『貴い』ことか。神よ、いかにそれは数多いことか。
【新改訳2017】139:17 神よあなたの御思いを知るのはなんと『難しい』ことでしょう。そのすべてはなんと多いことでしょう。
_†_†_†_
この「神の御思いを理解することの難しさを言っている」とのユダヤ人ラビによる説はとても古くからあり、この説を支持するドイツのすぐれた註解者もいるそうです。また、伝統的用語にとらわれず現代人の親しみ易さを基本方針として1976年に出版されたTEVはhow difficult となっています。
詩篇記者ダビデにとり「神の御思い」を瞑想することは最高の喜びまた楽しみだったこと、「なんと難しいこと」ではなかったこと、この事は詩篇全体の基調です。
ストウ夫人も、未だ暗い明け方、しかし光が輝き出る特別な時間に、御言葉を瞑想し祈れることの幸また豊かな恵みを覚えて「あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう」と感動し畏怖の念を持って主を拝し讃美したのです。
II. 「固唾を呑んで拝します」 ~♫ (第二節)
Alone with Thee, amid the mystic shadows,
The solemn hush of nature newly born;
Alone with Thee in breathless adoration,
In the calm dew and freshness of the morn.
あなたと二人きり、神秘的な影の中で、
新しく生まれた自然の荘厳な静寂の中で、
あなたと二人きり、息が止まらんばかりに拝します、
朝の穏やかな露のしずくと爽やかさの中で。
~♫
森や林に朝日が差し込むと、その陰影はとても美しく神秘的な光景を描き出します。
しかしストウ夫人は、そこでの神秘的体験や“神秘的神人合一感”を歌うのではなく、
_†_ ③ ローマ 1:19-20 _†_
1:19 なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。
1:20 神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。
_†_†_†_
この御言葉が真実であることを証しています。
III. 「我が心は主の御姿を映し出し」 ~♫ (第三節)
As in the dawning o'er the waveless ocean
The image of the morning star doth rest,
So in the stillness Thou beholdest only
Thine image in the waters of my breast.
夜明けの さざ波ひとつない海に、
明けの明星の姿がとどまるように、
静寂の中で あなたはご覧になります、
あなたの御姿だけを 私の息遣いの湖の中に。
~♫
「鏡面のように凪いだ水面に明けの明星が映っている如く」と歌います。
水面に映る月影を詠んだ和歌は沢山有りますが、さすがに星を詠う句は知りません。
しかも、殆どの和歌は、その風雅さや移ろいやすい世の儚さを詠いますが、ストウ夫人は「自分の心は、主の御姿のみを鮮やか映しています」と歌います。
讃美歌作詩当時のストウ夫人は、奴隷制支持者たちや文学批評家等による喧騒の嵐が吹き荒れる真っ只中にいたはずですが、
_†_ ④ ヨハネ16:33_†_
16:33 これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。
_†_†_†_
みことばの力により、主イエスがひと言で湖の嵐を静めたごとく、ストウ夫人の心は平安を得ていたのです。
IV. ~♫ (第四節)
Still, still with Thee, as to each newborn morning,
A fresh and solemn splendor still is given,
So does this blessed consciousness, awaking,
Breathe each day nearness unto Thee and Heaven.
なおも、なおも、あなたと共にいます、
朝が明ける毎に、新鮮で荘厳な静けさがある如く、
この祝福された思いが目覚めます、
毎日、あなたと御国の近きを生きている。
~♫
朝が明ける都度持たれるディボーショナルな時の祝福と、その一日一日を御国に近く生きる喜びが歌われています。
_†_ ⑤ ローマ13:11_†_
13:11 なお、あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。
_†_†_†_
この讃美歌では、「朝が明ける毎」という日常生活の時間(聖書では「クロノス」)と、もうひとつの時間(「カイロス」)がはっきり意識されています。
聖書では、神の主権により御業が為される時を「カイロス」と呼び、「クロノス」と区別します。今は、暗闇の夜が永遠に続くかのようです。しかし、神は既にイエス・キリストをこの世に遣わされました(カイロス)。主なる神は十字架の贖いを成し遂げた主イエスを復活させられました(カイロス)。これらのことにより、主の再臨・新天新地の再創造という主の栄光が輝き昇る“夜明け”(カイロス)、、暗闇の夜の終わりは近いことが判ります。ストウ夫人がこの「クロノス」を仰ぎ見る時、この四節で歌う「祝福された思い」が湧き上がってくるのでしょう。
V. ~♫ (第五節)
When sinks the soul, subdued by toil, to slumber,
Its closing eye looks up to Thee in prayer;
Sweet the repose beneath the wings o'ershading,
But sweeter still to wake and find Thee there.
労苦に疲れて、魂がまどろむ時、
閉じた目はあなたを仰ぎ見ます、祈りながら、
あなたのみ翼の陰で休むことは心地良いですが、
目覚めてあなたを見いだすのはなおいっそう甘美です。
~♫
この五節からは、この讃美歌作詞当時のストウ夫人の偽りなき心境を垣間見ることできるのではないでしょうか。
サムエル記上24章に記された危機の中でダビデが記したと考えられている詩 57編にこう書かれています。
_†_ ⑥ 詩 57:1 _†_
57:1 神よ、わたしをあわれんでください。わたしをあわれんでください。わたしの魂はあなたに寄り頼みます。滅びのあらしの過ぎ去るまでは/あなたの翼の陰をわたしの避け所とします。
_†_†_†_
ストウ夫人はこのダビデに自分を重ねたとすれば、彼女は静寂な森や林の中で夜明けを迎える日々ばかりではなく、アンクル・トムの小屋出版に伴う嵐の中で、身の危険すら感じたことがあったのではないでしょうか。
しかし、彼女はこう讃美を続けます。
「つばさの陰で休めるのは幸いです。でも、私が休んでいる最中なおもあなたがいてくださっていたことを、目覚めて知るのはもっと幸いです」と。
ところでこの讃美歌は、「朝」「目覚める」といった言葉を多用しますが、新約聖書でも多用される「目を覚ます」は、「イエスから与えられた大切なものに気付く」ことを言います。ストウ夫人はこのことを歌詞の行間を通して私たちに伝えたかったのでは無いでしょうか。
VI. 「栄光の朝の目覚め」 ~♫ (第六節)
So shall it be at last, in that bright morning,
When the soul waketh and life's shadows flee;
O in that hour, fairer than daylight dawning,
Shall rise the glorious thought, I am with Thee.
あの輝かしい朝に、ついに実現します、
魂が目覚めて、人生の影が消える時、
その時、夜明けよりも麗しく、
栄誉に満ちた思いが輝き昇ります、
「私はあなたと共にいます」
~♫
ストウ夫人は、私たちが御国によみがえる究極的な目覚めの時を迎える希望を高らかに讃美します。私たちの神はこう約束しておられるかれです。
_†_ ⑦ Ⅰコリント15:52-54 _†_
15:52 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。
15:53 なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。
15:54 この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。
_†_†_†_
この御言葉の成就に繋がることを望み見て、ストウ夫人はこの讃美歌を締めくくっています。
■ むすび
私の拙訳ではstillを「静か」ではなく「なおも」と訳した理由をお話しして締めくくります。
139:18の英語訳聖書で「still」と訳されたヘブル語には、「すでに、さらに、なお、まだ」というとても重要な意味があり、日本語訳聖書では「なおも、なお」と訳しています。人が目醒めた時、「なおも」神が共におられるということは、夜中もずっと神が共にいて下さったことを意味するのです。ですから、ここまでお話ししたことを総括しますと、この讃美歌はこう歌っているのではないでしょうか。
赤紫色に夜が明け、小鳥が目覚め、闇が逃げ去る時
神と二人きりのディボーショナルな時を喜んでいます。
御言葉によって私が目覚めさせられる時、
夜明けの感動に遥かにまさる喜び、驚き、感動が広がります。
なおも私はあなたと共にいますと。
毎朝目覚めるとき、夜中中ずうっとあなたが共にいて下さったことを知るように、
私がとこよの朝、御国に目覚めるとき、
私の人生を通じてずっとあなたが共にいて下さったことを知るのです。
ストウ夫人、詩篇記者ダビデ、主イエスも皆、闇が明け日が輝き出る朝、肉体の目覚めだけではなく、ディボーショナルな時を通して魂も目覚めさせていただき、御国によみがえる望みを日々新たにしていただいたのです。