岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第31回) 「恵み深き主のほか」、I need Thee every hour ~シンシナティ日本語教会主催
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである日本聖書協会『口語訳聖書』ヨハネによる福音書 15章5節
はじめに
この讃美歌『恵み深き主のほか』は、私が牧会していた教会の専ら祈祷会でよく歌った馴染み深い讃美歌です。
その讃美歌『I need Thee every hour』をYouTubeで聴くと、技巧や感情移入が行き過ぎと思える演奏が少なくないのに少々驚きました。それ以上に英語歌詞の主語が日本語歌詞と真逆の「わたし」になっていて、しかもそれが何度も何度も繰り返されることには、一種のカルチャーショックの様なものを受けました。皆さまは如何でしょうか。
しかし、今回の準備を進めるうちに、『I need Thee every hour』の歌詞は、福音を主の御心に叶って情熱的に歌っていることに気付いてきました。
Ⅰ 讃美歌の誕生
この讃美歌が誕生した頃のアメリカは、奴隷制廃止論争に揺れ、ゴスペル(*1)が黒人奴隷解放運動で歌われ、信仰復興運動(リバイバル)により教会の教勢が飛躍的に伸びて行った時代です。
(*1) ゴスペル
黒人奴隷が置かれた苛酷な環境の中、白人の主人たちの目を逃れ、キリスト教へ改宗し、「虐げられた屈辱」、「家族や故郷から離れた寂しさ」、「明日への希望」などにより神を讃え信者として生きる喜びを魂の叫びとして表現したのがゴスペルの起源と言われています。
作詞者
作詞者ホークス夫人は24歳で結婚して、後にこの讃美歌の作曲者となるローリー牧師が牧会する教会へ転会しました。少女時代から文才を発揮していた彼女は、牧師に讃美歌を書くことを勧められ、生涯に約四百の讃美歌を書いたといわれています。残念なことに現在でも歌われているのはこの曲だけだそうです。
彼女が37歳の平凡な主婦で、三人の子どもたちの母親だった時に、この讃美歌が生まれました。
その時の事を彼女は手記にこう記しています。
~ ♡ ~
1872年6月のある晴れた日の朝のこと,わたしは突然,主が近くにいますのを身に感じました。喜びにつけ,悲しみにつけ,主がいまさずば誰一人として生きられないことを,その時はじめて実感したのです。この讃美歌の歌詞が次々に頭に浮かんで心に拡がっていきました。
~ ♡
各節が「私は毎時間あなたを必要とします」で始まり、主イエスが近くにおられると誘惑に勝つことができます、喜び悲しみにつけて、近くにいてください、私をあなたのものとしてください、と歌う大変シンプルな讃美です。
讃美歌の誕生
詩にメロディーを付けたのは、ホークス夫人が所属していた教会のローリー牧師ですが、その際にゴスペル調のリフレイン(繰り返し部)を追加しました。
Ⅱ 福音は讃美歌に乗って
この讃美歌の公開は、1872年シンシナティで開催された日曜学校大会用の小さな歌集によってです。
そして、翌年日曜学校用讃美歌集に収録された時には、その見開きにホークス夫人が作詩した時に心に浮かんだ聖句が掲載されていました。
_†_ ① ヨハネ15:5 _†_
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」
_†_†_†_
その後、信仰復興運動の集会でよく歌われ、その情熱的な讃美と説教で多くの決心者が生まれ、広く英語国民の問に広まっていきましたが、過度な情熱的偏向には批判もありました。
主イエスは、福音を聞く人の心を「種蒔きのたとえ」で教えられました。
_†_ ② マタイ13:20-21, 23 _†_
13:20 また岩地に蒔かれたものとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
13:21 しかし自分の中に根がなく、しばらく続くだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
13:23 良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて悟る人のことです。本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。
_†_†_†_
この喩えは、〈福音を聞いた人が、一時的な感情だったのか、真に主イエスを信じたのかは、時を経て明らかにまります〉と教えています。
Ⅲ 真価が明らかに
それと同じように、ホークス夫人の信仰とこの讃美歌の真価が明らかになった出来事が起きました。
それは、作詩から16年後(1888年)、ホークス夫人の最愛の夫が召されたことでした。
その時のことが彼女の手記に記されています。
~ ♡ ~
「この賛美が、なぜそれほどまでに人々の傷ついた心に触れるのか、最初はわかりませんでした。でも、この詩を書いて何年も経った後、私の人生が影で覆われた時、大きな喪失感の影に覆われた時、そこに大きな慰めの力があることを初めて理解したのです。そして、静かな喜びと平安の中で人々のために書いた慰めの言葉が持つ[大きな]力が、他の人々に共有されてきたのだと、わたしは知ったのです。」
~ ♡
Ⅳ 讃美の力の源を聖書に尋ねる
■全体
さて、5 節ある讃美歌(原歌詞)全体では 「I need Thee」 が20 回も繰り返されていて、これを初めて聴いた私は正直面食らいました。
しかし、、、、、福音書には主イエスの憐れみを求めて叫ぶ声が幾度も書かれているんですね。
_†_ ③
マタイ9:27-31、20:29-34 (2人の盲人のいやし)
マタイ15:21-28 (カナンの女性の娘のいやし)
9:27 …「ダビデの子よ、私たちをあわれんでください」と叫びながらついて来た。
15:22 …「主よ、ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が悪霊につかれて、ひどく苦しんでいます」と言って叫び続けた。
20:31 …「主よ、ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫んだ。
これらの叫びひとつひとつに、主イエスは応えて下さりました。
9:29 そこでイエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。
15:28 そのとき、イエスは彼女に答えられた。「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように。」彼女の娘は、すぐに癒やされた。
20:34 イエスは深くあわれんで、彼らの目に触れられた。…
_†_†_†_
如何でしょう、主イエスは、「私に向かって叫ぶことに抵抗など感じることないよ、私はあなたの叫びを聴きます」と励ましてくれてます。
■_♫~ 一節 ~♫
私は毎時間あなたが必要です、恵み深き主よ。
あなたの優しい声(tendor voice)だけが平安をもたらします。
~♫
この、「あなたの優しい声(tendor voice)」って、どんな声でしょう。
私は、こういう声だと思います。
_†_ ④ ヨハネ10:27-28 _†_
10:27 わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。
10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。
_†_†_†_
私たちは、この主イエスの声を、聖書を通して、礼拝メッセージを通して聞けます。なんと幸いなことでしょう。
■_♫~ 二節 ~♫
私は毎時間あなたが必要です、そばにいて下さい。
あなたが近くおられれば、誘惑は力を失います。
~♫
「そばにいて下さい」と讃美や祈りを通して呼べることは私たちクリスチャンの特権です。聖書にこうあります。
_†_ ⑤ 申命記4:7、詩篇145:18 _†_
申命記4:7 まことに、私たちの神、【主】は私たちが呼び求めるとき、いつも近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民がどこにあるだろうか。
詩篇145:18 主を呼び求める者すべてまことをもって主を呼び求める者すべてに【主】は近くあられます。
_†_†_†_
また、
_†_ ⑥ 詩篇34:18 _†_
34:18 【主】は心の打ち砕かれた者の近くにおられ霊の砕かれた者を救われる。
_†_†_†_
と聖書にあります。「主よ、私はあなたが必要です」と自分の欠けや弱さを認めて謙れる人は幸いです。
■_♫~三節 ~♫
私は毎時間あなたが必要です、喜びの時も苦悩の時も。
急ぎ来て留まって下さい、さもなくば人生は空しいです。
~♫
この歌詞と同じ意味の事を、詩篇記者が記しています。
_†_ ⑦ 詩篇127:1 _†_
127:1 【主】が家を建てるのでなければ建てる者の働きはむなしい。【主】が町を守るのでなければ守る者の見張りはむなしい。
_†_†_†_
■_♫~ 四節 ~♫
私は毎時間あなたが必要です、御心を教えて下さい。
あなたの豊かな約束で私を満たして下さい。
~♫
聖書に登場する人で、もしこの讃美歌を知ってたらきっと大声で歌ったろうと思う人がいます。アブラハムです。
_†_ ⑧ Ⅰコリント4:19-21 _†_
4:19 彼は、およそ百歳になり、自分のからだがすでに死んだも同然であること、またサラの胎が死んでいることを認めても、その信仰は弱まりませんでした。
4:20 不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、
4:21 神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。
_†_†_†_
■_♫~ 五節 ~♫
私は毎時間あなたが必要です、至聖なる方よ。
おお、私を確かにあなたのものとして下さい、
あなたは御子を祝福されました。
~♫
この五節の歌詞ですが、作詞者ホークス夫人は無意識のうちに、「救いの歴史」(救済史)を歌ったのかもしれません。その「救いの歴史」とは、
_†_ ⑨ イザヤ43:1 _†_
43:1 だが今、【主】はこう言われる。ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよ、あなたを形造った方が。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。
_†_†_†_
イザヤは預言しました。イエス・キリストによる贖罪の恵みと、神と人間との本来の関係が回復することを。
そして主イエスが公生涯の初めに洗礼を受けた時と、受難の予告から6日後に、ペテロ・ヤコブ・ヨハネの三人を連れて山に登った時、
_†_ ⑩ マタイ3:17、マタイ17:5 _†_
「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」
_†_†_†_
と主イエスは祝福されました。この歴史上の出来事を、ホークス夫人の歌詞は思い出させてくれます。
■_♫~ くりかえし(1-3行目) ~♫
私はあなたが必要です、
おお私はあなたが必要です。
私は毎時間あなたが必要です。
~♫
ここだけで「私はあなたが必要です」と三度も繰り替えされます。
二節歌詞の解説で、「『主よ、私はあなたが必要です』と自分の欠けや弱さを認めて謙れる人は幸いです」とお話ししましたが、主イエスを必要だと感じられない方にとっては、この繰り返し部は口先だけの言葉、信仰はただの「重荷」になってしまうでしょう。
むすび
■_♫~ くりかえし(4-5行目) ~♫
おお、今、私を祝福して下さい、私の救い主よ、
私はあなたのところにまいります。
~♫
この歌詞と同様の言葉が、ビリーグラハム国際大会などの大衆伝道集会で、決心者を募るとっておきの招きの言葉として使われていました。しかし今の私は、むしろマルコ10:13-16に記されている出来事を皆さまにお伝えしたいのです。
_†_ ⑪ マルコ10:13-16 _†_
10:13 さて、イエスに触れていただこうと、人々が子どもたちを連れて来た。ところが弟子たちは彼らを叱った。
10:14 イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。
10:15 まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」
10:16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。
_†_†_†_
この聖書箇所を読む殆どの方は、無意識のうちに自分自身を“傍観者”の立場に置かれます。しかし、この讃美歌では、「私は、子どもたちがあなたの元に行くのをただ眺めてはいません! 私も行きます、私をも祝福して下さい!」と歌っています。
この、マルコ10:13-16に登場する〈子どもたち〉の中に自分自身を見いだせる方はさいわいです。
おお、今、私を祝福して下さい、私の救い主よ、
私はあなたのところにまいります。
以上