岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第30回)「疲れし心を慰むる愛よ」、O Love that will not let me go ~シンシナティ日本語教会主催
すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
(マタイ11:28-30 新改訳2017)日本聖書協会『口語訳聖書』マタイによる福音書 11章28~30節
■ はじめに、お礼の言葉
まず、大塚野百合さん(1924年3月10日 - 2019年12月31日)に心からの謝意を表明いたします。と申しますのは、大塚野百合さんの著書 「『賛美歌・唱歌ものがたり ~疲れし心をなぐさむる愛よ』、創元社、1996-7-20」と、そこで紹介された「佐波亙編集 『植村正久と其の時代 第四巻』、教文館」、これらの著作無くしては今回のメッセージが成り立ち得なかったからです。本文中の〈〉付き頁表示(例:〈P.83〉)は、大塚野百合さんの著書からの引用を示します。
また、とても嬉しいことに、集会後お二方から感想が寄せられましたので、本文に続いて掲載させていただきました。有り難うございました。
■ Ⅰ.讃美歌誕生の前夜
この讃美歌が誕生した経緯のあらましは、資料1「讃美歌略解」に記した如くですが、作者G.マセソンがスコットランドの海岸保養地イネラン(*1)に赴任中のある夜、この讃美歌は“降って湧いた様に”誕生しました。
*1 : イネラン https://en.wikipedia.org/wiki/Innellan
マセソンは、教会の牧師館で姉と妹と共に生活していました。
姉は結婚せず、弟の身の回りの世話ばかりか、ラテン語、ヘブル語、ギリシャ語までも習得して彼の学問的研究を助け弟に生涯尽くしました。
そこでの生活が伝記に「彼と二人の姉妹が炉端を囲んで語りあう様子は、まさに天国を思わせるような美しいものであった」と記されています。〈P.83〉
しかし、その幸せな生活は大きく変化しようとしていました。
■ Ⅱ 讃美歌誕生の“その日” (1882年6月6日)
マセソンが40歳の1882年6月6日、その日がやってきました。
家族は皆、妹の結婚式があったグラスゴーに出掛け、彼ひとり牧師館に残っていたその夜、「彼だけが知る、ある激しい苦しみ」に襲われ、その直後に、内なる声に促されるようにしてこの讃美歌を一気に書き上げたのです。
その、「彼だけが知る、ある激しい苦しみ」とはいったい何だったのでしょう。通説では、「失明宣告により婚約者が去った事を思い出したのだ」とされていました。しかし、大塚野百合さんが1991年渡米された際に、アトランタのエモリー大学ビッツ・ライブラリーで、マセソンに関する文献を調査された結果、その苦悩とは、「結婚のために家を去る妹との離別」だったことが判りました。〈P.83-84〉
皆さん、讃美歌が誕生した“その日”の夜のことを想像してみて下さい。
約140年も昔の片田舎、夜の静寂に包まれて牧師館が一軒。
そこは、姉と妹の声ばかりか物音一つせず静まりかえっている。
生活を共にしてきた妹は、ついにいなくなった。
この時マセソンは、身体的にも霊的にも暗闇の中でひとりぼっちでした。
妹の結婚が決まって以来、妹のしあわせを願いずっと堪えに堪えてきた彼の煩悶悲哀はピークに達して耐え難くなり、彼は荒野のただ中で孤独な預言者の如く、またゲッセマネの主イエスのように祈ったことでしょう。
「なぜ、しあわせな家族の絆を弱めるのですか!」
ところが、にわかに信じ難いことですが、この状況下で讃美歌〈O Love, that will not let me go〉は誕生したのです。マセソンは、主イエスの召命、Callingに与ったとしか言いようがありません。
_†_ マタイ11:28-30 _†_
11:28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
_†_†_†_
①キリストは、み父をあらわし、「神の訓練・教育」を悟らせて下さった。
大塚野百合さんが調べた文献、マセソン著エッセイ集 『静思の時(Leaves for Quiet Hours)』 (*2)があり、
*2 : Leaves for Quiet Hours (English Edition) Kindle版 @Amazon \162
その中の「離別の教育的効果(The Education of Bereavement)」という章でマセソンは、まず、申命記32:10-12を引用しています。〈P.84〉
-聖書の言葉の、自分への適用
_†_ 申命記32:10-12 _†_
32:10 主は荒野の地で、荒涼とした荒れ地で彼を見つけ、これを抱き、世話をし、ご自分の瞳のように守られた。
32:11 鷲が巣のひなを呼び覚まし、そのひなの上を舞い、翼を広げてこれを取り、羽に乗せて行くように。
32:12 ただ【主】だけでこれを導き、主とともに異国の神はいなかった。
_†_†_†_
この聖句は、イスラエルの民をエジプトから解放したモーセを通して語られた言葉で、「神は、ご自身の民を約束の地へと導く道中、『鷲が巣を揺り動かし、雛の上を飛びかけり……翼に乗せて運ぶように』 訓練された」ことを証しています。
マセソンは、この聖句を引用した後、「鷲が巣を揺り動かして壊し、ひなをいっそうの飛翔へと導く訓練をされた神は、自分の温かい家庭という巣をも揺り動かし、妹を去らせて自分たちを訓練されるのだ。だから、自分はその悲しみに耐え、そのことを愛を持って為される神を自分は賛美しなければならない!」、「 これが、『O Love, that will not let me go』 に込められた意味だ」との言葉をエッセイに残してます。
彼は、神ご自身よりも妹により依存していたことや、団らんは主の賜物であったことに気づき、そして神の御前に謙ったのです。
ちなみに、マセソンと同様、最愛の人との離別を経験した内村鑑三が一編の詩(*3)を残しています。内村の場合は、お嬢さんルツ子との死別でしたが。資料3として掲載しました。
*3 : 内村鑑三全集第19巻、岩波書店、 P.46 (神戸市立図書館蔵書)より転載
②くびき(*4)を負わせて下さった
*4 : 2頭の家畜の首に固定し車や鋤を引かせた。「くびき」は隠喩的に、教育訓練上有益な苦難・連帯性をあらわします。
聖書には、神の御前に謙る人のさいわいをこう記します。
_†_ イザヤ57:15 _†_
57:15 いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名が聖である方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだった人とともに住む。へりくだった人たちの霊を生かし、砕かれた人たちの心を生かすためである。
_†_†_†_
休みが与えられる究極の目的は、その人を生かすことです。詳しくは主日礼拝(2024-2-18)でお話しします。
③安息を与えられた魂から湧き上がる讃美
マセソンの魂がどれ程の間深い悲しみのうちにあったかは判りません。しかし、この御言葉の力に生かされた彼の魂から、神の栄光を誉め讃える讃美が、突然沸き立つ様にして、彼が走らせるペン先から僅か五分程の間に記されたのです。
伝記にはこの時のことが、「ある内なる声に口述されて書いたとしか思えない」と記されています。
その讃美を、植村正久牧師(*5)の名訳(*6)で味わってみましょう。
*5 : 1858年1月15日(安政4年12月1日)~1925年(大正14年)1月8日)
*6 : 『植村正久と其の時代 第四巻』、昭和13年6月28日初版、昭和51年9月20日復刻再版、教文館、P.432-3 (神戸市立図書館蔵書)
1節 愛(なるお方)
■_♫~ 1節 ~♫
我を放ち遣(や)り給ふまじき愛よ、
われ疲れたる霊魂を君のうちにぞ憩はしむ。
我が君より受けし生命をまた君に獻(献)げて返しまつる。
斯(か)くて君が大海の底探く其の流れ
愈よ(いよいよ)豊かに満ち溢れなん。
O Love, that will not let me go,
I rest my weary soul in thee.
I give thee back the life I owe,
that in thine ocean depths its flow
may richer, fuller be.
~♫
2節 光
■_♫~ 2節 ~♫
我がゆく途(みち)の何虚にも常に伴ひたまふみ光よ、
わが消え消えに揺らぐ手火(たいまつ)をば君にさゝげて委ねまつる。
斯くてわが心その借り得たる光を回復して、
胸間の晝(ひる、*7)は君が日の光の輝きのうちに、
*7 ひる間、日の出から日の入りまで
愈よ(いよいよ)明く(あかく)愈よ美はしくなることを得ん。
O Light that follows all my way,
I yield my flick'ring torch to thee. yield:提供する
My heart restores its borrowed ray, restore:元気にする
that in thy sunshine's blaze its day
may brighter, fairer be.
~♫
_†_ 詩篇119:105、50 _†_
119:105 あなたのみことばは私の足のともしび私の道の光です。
119:50 これこそ悩みのときの私の慰め。まことにあなたのみことばは私を生かします。
_†_†_†_
3節 喜び
■_♫~ 3節 ~♫
苦痛のうちに我をたづね給ふ歡喜(歓喜、よろこび)よ、
ゆめわれは君に向ひて此の心を閉づることなからん。
われ雨のなかに虹を見出で、
明けんあしたは涙無からめてふ、
御誓のあだならじとこそ覺(覚)ゆれ。
O Joy that seekest me through pain,
I cannot close my heart to thee.
I trace the rainbow through the rain, Trace the rainbow『虹をたづぬ』(上には虹を見て)
and feel the promise is not vain,
that morn shall tearless be.
~♫
雨、涙という言葉が出てくることから、彼はずいぶん泣いたことでしょう。しかし彼の目から涙は拭われたのです。その目は、肉眼では真っ暗闇でしたが、霊的な目で見た光と虹。その眩(まばゆ)さは如何ばかりだったことでしょう。
〈苦痛のうちに我をたづね給ふよろこびよ、O Joy that seekest me through pain〉は、この御言葉の主(ぬし)を誉め讃えています。
_†_ Ⅰペテロ4:12-13 _†_
4:12 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさかる試練を、何か思いがけないことが起こったかのように、不審に思ってはいけません。
4:13 むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。キリストの栄光が現れるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです。
_†_†_†_
4節 十字架(贖い主)
■_♫~ 4節 ~♫
我が頭(こうべ)を擡げ(もたげ)たまふ十字架よ、
われ君を遁(のが)れ去らんとは得こそ願はじ。
われ生命の光栄死にたるを塵に伏せ置けば
究極(きわみ)も無かるべき生命
其の場を去らず地より紅に咲き出づ。
O Cross that liftest up my head,
I dare not ask to fly from thee.
I lay in dust, life's glory dead,
and from the ground there blossoms red,
life that shall endless be.
~♫
Cross、十字架とは贖いの主イエスであり、また私たちに注がれている愛の源を指します。
_†_ Ⅰヨハネ4:9-10 _†_
4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。
4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
また、〈我が頭(こうべ)を擡げ(もたげ)たまふ十字架よ、O Cross that liftest up my head〉 との歌詞は、よみがえりの主にまみえた弟子たちの姿と重なります。
トマスは「私の主、私の神よ。」(ヨハネ20:28)と、ペテロは「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」(ヨハネ21:17)と栄光の主イエスを拝しました。
■ むすびの奨励
_†_ヨハネ14:27 _†_
14:27 わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。
_†_†_†_
マセソンは煩悶悲哀耐え難き時にイエス・キリストのもとに行き、この讃美歌を“授かり”ました。
マセソンに真実であられた主イエスは、今も私たちを招いて呼ばわります。
_†_ マタイ11:28-30 _†_
11:28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
_†_†_†_
主イエスに招かれている、私たちはなんとさいわいなことでしょう。
■ お二方から寄せられた感想文
《Mさんより》
この讃美歌(360番)の日本語の歌詞は美しいのですが、どこか、覆いのかかっているような、大切なことを示しながらも半分隠されているような、そんなもどかしさを感じていました。
けれども今回の資料、英語の歌詞や作詞者の背景、そして聖句を紹介するメッセージを通して、この讃美歌がベールを脱いで、まっすぐに私の心に入って来た、そんな思いをいたしました。
「愛、光、喜び、十字架」
言い替えれば全部イエス様。
そこに目と心が釘付けにされて、もはや離れられない自分を再発見しました。
そこに居るのが自分一人ではなく、パウロやペテロをはじめとして、古(いにしえ)の聖徒たち、作詞者のマセソン、そして今、この世を生きる仲間たちのことを思いました。
神様の大きないのちの川の流れの中に、入れられていることが、嬉しくて、涙がこぼれました。
《Yさんより》
なぜ「違和感」があるかは明らかで、英語ではO Love, O light, O Joy, O Cross, とキリストが中心の信仰告白というか、「共にいてくださる神」について語っているゆえに即、まず豊かな平安を得るのですが、対照的に、日本語では「疲れし」「わが道」「わが世の望み」「罪の身」など自分中心というか、人間中心の視点の歌詞になっているからではないかと思います。
これでは本質を外れるというか、視野も狭まることは間違いありません。