岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第33回)「輝く明けの明星、O Morning star!How fair and bright」 (讃美歌346番 「たえにうるわしや」、原曲名: Wie schön leuchtet der Morgenstern ) ~シンシナティ日本語教会主催
わたしイエスは御使いを遣わし、諸教会について、これらのことをあなたがたに証しした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。
(黙示録22章16節 新改訳2017)日本聖書協会『口語訳聖書』ヨハネの黙示録 22章16節
1.選曲理由
今回は、「なんと麗しく輝く明けの星よ!」との優雅な歌い出しで始まる讃美歌を取り上げますが、まず最初に選曲理由をお話ししましょう。
皆さまご存じのように、世界で初めのクリスマスの夜、神は一つの明星を用いて、羊飼いたちや三人の博士たちを主イエスのところに導かれました。それと同様に、神が私を救い主イエスへと導くのに用いられたのがこの讃美歌です。
未信者だった学生時代NHK-FM「バロック音楽のたのしみ」に傾聴してました。ある日の放送で、この讃美歌を元にしてバッハが作曲したカンタータ第一番「なんと麗しく輝く明けの星よ!」(BWV1)を聴き、「音によって建てられた大聖堂」にたたずむが如き思いだったことが発端でした。
その後、主題に用いられたコラール「輝く明けの明星」が誕生した歴史的背景を知って非常に驚きました。
https://www.youtube.com/watch?v=W9DlTNjo2Sg
何故なら、このコラールは、今世紀に私たちが経験したパンデミック(コロナ禍)以上の死の恐怖、ペスト禍(黒死病)のさなかに誕生していたからです。
「いったい何が、死の悲しみと恐怖を、これ程までの喜びと讃美に変えてしまうのか!」
2.讃美歌の歴史的背景
(1)作者フィリップ ニコライ(1556-1608)
ルターによる宗教改革から凡そ40年後の1556年、ルター派の牧師の家庭に生れ、ルターが学んだエアフルト大学に入学、 後年、出身校ヴィッテンベルク大学から神学博士の学位を授与されています。
そして彼が40歳の1596年、ヴェストファーレン州のウンナの牧師に就任します。ところが、ヨーロッパ全土でたびたび蔓延し人々を恐怖に陥れたペストがウンナを襲い、短期間に約1300名もの死者を出すという惨禍に見舞われました。
町はパニックに陥り、多くの人々が町を捨てて逃げ出す中でニコライは町に残り、病人のために祈り励まし、そして死者を埋葬しました。牧師館から見おろせた教会墓地では、日によっては30人もの埋葬が行われ、町の家々は、家族や近親者、友人を失った人々の歎きの声でみたされたそうですが、その中には彼の二人の妹も含まれていました。
このような時に牧師はいったい何ができるだろうか。
死の恐怖に怯えながらただ死のみを待つような人々に届く言葉とはいったいどんな言葉だろう。
そのような人々の心に希望の光を灯せる讃美歌はあるのだろうか。
(2)死と向き合う ~「メメント・モリ」
ニコライ自身もウンナに着任早々ペストに罹患したそうです。そのことで、生きている者すべてに訪れる最期を意識させる有名な言葉「メメント・モリ」に彼も向き合ったことでしょう。
この「メメント・モリ」とは、ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」「死を想え」という意味で、ヨーロッパ中世以来今日に至るまで芸術の題材になっています。
この「メメント・モリ」の現代的解釈として有名なのが、スティーブ・ジョブズ(1955-2011)による2005年スタンフォード大学卒業式でのスピーチで、「避けることのできない死という未来があるからこそ今この瞬間を大切に生きることができる」という意味で捉えられています。
NHK「映像の世紀バタフライエフェクト ~世界を変えた“愚か者”フラーとジョブズ」
https://www.nhk.jp/p/butterfly/ts/9N81M92LXV/episode/te/6XWRL58JNK/
「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳(日本経済新聞)
https://www.nikkei.com/article/DGXZZO35455660Y1A001C1000000/
彼はまず「点と点をつなげる」、「愛と敗北」について話した後、「死について」語りました。そして「何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つこと」との結論に私は深く感動しました。
しかし、ニコライは今から400年以上前に、究極的な答えをこの讃美歌「輝く明けの明星」に託していました。(讃美歌誕生の経緯は[資料1]をご参照下さい。)
この讃美歌は、「自分の心と直感に」ではなく「死に勝利された主イエスに」従い行く勇気を持ちなさい。「死を想う」ことに囚われていないで、花婿イエスとの愛に生かされていることを覚えなさいです。
なぜなら、「罪の結果である肉体の限界」すなわち「死」、その「死」に絡め捕られている自分に頼れば、いずれ次の御言葉のようになることは明白だからです。
_†_ Ⅰコリント 15:32 _†_
…もし死者がよみがえらないのなら、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ、明日は死ぬのだから」ということになります。
_†_†_†_
死に勝利された主イエスの言葉と御支配に信従すること、これ以上に確かな希望と喜びはありません。
(3)30年戦争(1618-1648)
讃美歌誕生から20年後、ニコライ没後僅か10年で、全ドイツが三十年戦争と呼ばれる人類の歴史上最悪の宗教戦争の主戦場になりました。
しかしこの間も、この讃美歌はますます全ドイツに広まり、人々の魂の拠り所を提供し、葬送ばかりか婚礼でも愛唱され、あまたの魂に慰めと希望と喜びを与え続けたのです。
(4)バッハのカンタータ第一番《輝く暁の明星のいと美わしきかな》
さて、この讃美歌の誕生から約120年後の1725年のことです。バッハ(1685-1750年)がこの讃美歌を主題として作曲したカンタータが、ライプツィッヒ聖トーマス教会での主日礼拝で演奏されたのです。旧バッハ全集においても、楽譜出版の第一となった栄えある作品で、教会外でも広く知られ演奏されています。
https://www.youtube.com/watch?v=LoP6iOQh5zI
この演奏の21:28から奏される終曲(第6曲)では、殆ど原型のままのコラール第七節の四声和声付けに管絃楽器が重ねて奏され、全会衆を聖歌隊と一体となった讃美へと招くが如くです。この四声和声がアレンジされてプロテスタント教会の讃美歌集に収録されています。
3.歌詞と聖句
さて、ここから歌詞と聖句についてお話しします。歌詞は[資料2 歌詞] に、ドイツ語歌詞に並記した大塚野百合さんの私訳を用います。
まず、この讃美歌は、「ゆりの花」「愛の歌」との表題を有する祝婚歌、詩篇四五篇を全体の基調としています。そして他の聖書箇所から聖句を随所に散りばめて、花婿イエスと人間の魂の霊的結婚を喜び歌います。
(1)第一節は、
_†_ 黙示録22:16 _†_
「わたしイエスは御使いを遣わし、諸教会について、これらのことをあなたがたに証しした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」
_†_†_†_
この聖句を引照して花婿主イエスにこう呼ばわります。
~♫
なんと麗しく輝く明けの星よ。
恵みと真に満ちているエッサイのひこばえよ。
ヤコブの幹からでたダビデの子よ。
私の王、私の花婿よ。
~♫
(2)第五節は、
_†_ エレミヤ31:3 _†_
【主】は遠くから私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。
_†_†_†_
この聖句を引照して歌います。
~♫ (第五節2-4行目)
あなたは、この世が創られる前より、
あなたのみ子において私を愛しぬかれました。
あなたのみ子は、私を彼の伴侶となしたまいました。
~♫
「死に勝利された主イエスに」信従する勇気を持てるのは、神と私たちの間に「愛の絆」があるからです。神は、一人子をも惜しまず十字架に付けて罪の贖いを成し遂げ、私を愛し抜いて下さった、その確固たる歴史的証拠があるからです。
(3)第六節4-6行目に、
~♫
私のたえに麗しい花婿
主イエスと絶え間なく
愛に沸き立つことができるように。
♫~
とあります。この「沸き立つ」と訳されたドイツ語Wallenは、お湯が湧き立つというとても印象的な動詞です。
この第六節の引照聖句(資料3)は黙示録19:7です。
_†_ 黙示録19:7 _†_
私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚礼の時が来て、花嫁は用意ができたのだから。
_†_†_†_
ここで「ほめたたえ」と訳されたギリシャ語には「大喜びする、歓呼する」、そして「狂喜する」との意味があります。他の聖書箇所では、
_†_ マタイ5:12 _†_
喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。
_†_ Ⅰペテロ1:8 _†_
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。
_†_†_†_
とあります。この様な「お湯が湧き立つ」「狂喜する」喜びがペスト禍の最中に歌われたのです、これが驚きで無くてなんでしょう。
この世にあっては、死はすべての生き物の営みに終止符を打ちます。
しかし、十字架上で死んで墓に葬られ三日目によみがえられた主イエスへの信仰に生きるとき、私たちは花婿イエスのものであり、もはや死の支配下にはいません。
それ故に、ペスト禍と三十年戦争の暗黒の時代にあっても、「昼になって昼のように歩くことはだれでもできるが、夜が未だ明けていないときに、夜が明けているように生きていく」様にして信徒たちはこの讃美歌を歌い継いでいったのです。
4.むすび
「暁(あかつき)」という言葉は夜深い刻限を意味する言葉ですが、その言葉がピッタリの現代にあっても、私たちは「輝く明けの明星」主イエスを仰ぎ見ることが出来ます、歓喜の讃美へと招かれています。
なんと幸いなことでしょう!
_†_ 黙示録22:17 _†_
御霊と花嫁が言う。「来てください。」これを聞く者も「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水が欲しい者は、ただで受けなさい。
_†_†_†_
この御言葉に応答して私たちは主を誉め讃えます。
~♫ (第七節)
私は何と喜びに満ちていることでしょうか、
私の宝は、初めであり、終わりであられます。
主は、私をパラダイスに引き上げて、
そこで主を賛美させてくださいます。
私は手をうちならします。
アーメン、アーメン、
麗しい喜びの冠よ、
早く私のもとにきてください。
ただひたすらに、その日をまちわびています。
♫~
この画像は、蒜山高原鬼女台(きめんだい)で、私ども夫婦が一緒に見た光景です。(2023/10/27撮影)