岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第53回) 讃美歌21の4番「世にある限りの」 (O For Thousand Tongues To Sing) ~シンシナティ日本語教会主催
イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは行って、自分たちが見たり聞いたりしていることをヨハネに伝えなさい。/目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。/だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」
(マタイ11章4-6節、新改訳2017)日本聖書協会『口語訳聖書』マタイによる福音書 11章4-6節
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今回取り上げる讃美歌も、世界中で愛される名曲です。大元の歌詞は、チャールズ・ウェスレー自身の回心から丁度一年の記念すべき日(1739年5月21日)に、彼はこの記念すべき日を祝うために、全18節(資料3)からなる詩「For the Anniversary Day of One's Conversion(回記念日のために)」を書き上げました。
その後、この詩を個人の告白にとどめず、「キリストの救いはすべての人に開かれている」(普遍的救済)こと、「キリストに出会って救われる喜び」を全会衆が一つ心になって力強く讃美できるよう、普遍的で力強い讃美のフレーズが厳選(圧縮編集)され、18節に散りばめられていた福音が現在の4~7節に凝縮されました。その結果、主イエスによる救いの本質がより鮮明に際立つことになりました。
今日は、その編集プロセスを、資料2「(一般的な)現行歌詞」と資料3「原詞(全18節)」を参照しながらお話ししてまいります。なお、聖書は新改訳2017を使用します。
■ 1. 原詩第1~6節の削除
その編集の第一は、原詩全18節の第1~6節をそっくり省たことです。ここにはチャールズが深い罪を自覚して救いの喜びに至る個人的回心の過程が、ローマ3:28やガラテヤ2:16、ヨハネ3:3などを引証聖句に持つ重要な教理を背景にして具体的に歌われています。そのような歌詞であるにも拘わらず省いた結果、内容的に個人的告白にとどまらず、「キリストの救いはすべての人に開かれている」という普遍的な救いを歌うことなり、また歌唱所要時間は会衆讃美に適した長さに近づきました。
■ 2. 原詩第7節が先頭(現行第1節)に
その結果、原詩では第7節だった「O for a thousand tongues to sing」という歌詞が先頭に配置され、この讃美歌のタイトルになりました。この歌詞は、ウェスレー兄弟を劇的回心に導いたモラヴィア兄弟団の指導者ペーター・ベーラーが彼らに語った言葉にインスピレーションを受けたものですが、このフレーズは聖書に登場する、主イエスに癒やされ罪赦された人々の爆発的歓呼の讃美を呼び覚まさせます。
■ 3. 原詩第11, 13~18節の削除
原詞1~6節の他に、原詩第11, 13~18節も削除されました。その編集意図は、
①主イエスの福音宣教の核心、すなわち「すべての人のための救い」「信仰による義認」を際立てる
②神学的聖書的知識が不十分だと誤解を生む表現や、当時の時代性を背景にした強い表現を無くす
ことでした。その結果、「どんな罪人でも主のもとに来なさい」との普遍的で力強い伝道メッセージとなりました。
しかし、これはとてつもなく大胆な編集でした。
まず、削除された原詩第11節です。4行目(※以下【11-4】の如く略号表記します)で歌われる「The humble poor believe」(謙遜な貧しい者は信じる)の「poor」は、単なる経済的困窮者でなく、「神に頼る以外に道がない謙った者(humble)」を意味します。この様な人々こそが世の富む者に先んじて信仰の富を相続するとの約束は、聖書の至る所に書かれています。
_†_ ゼパニヤ3:12 _†_
「わたしはあなたの中に、へりくだった、無力な民を残す。彼らは主の名を避難所とする。」
そして主イエスは言われました。
_†_ マタイ9:12-13 _†_
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です…わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」
_†_ マタイ5:3 _†_
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
これは主イエスが私たちを招く山上の説教の言葉です。さらに、使徒ヤコブもこう記しています。
_†_ ヤコブ2:5 _†_
「わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちを選んで信仰に富ませ、御自分を愛する者に約束された御国を相続する者となさったではありませんか。」
原詩第11節の背景にはこれらの御言葉があるにも拘わらず省かれたことは驚きです。
他方、原詩第15~17節を見ますと、そこには思わず眉をひそめてしまうような言葉が連なっています。
【15-1】 娼婦、徴税人、盗賊よ、聖なる勝利に加われ!
【15-4】 大罪人のかしら
【16-1】 殺人者よ、地獄の住人よ、欲望と傲慢の息子たちよ、…
【17-4】 エチオピア人を白く洗い清め
これらは人を見下すような言葉ですが、聖書には次の様に書かれています。
_†_ マタイ21:31 _†_
「まことに、あなたがたに言います。取税人たちや遊女たちが、あなたがたより先に神の国に入ります。」
【15-1】 「娼婦、徴税人」
徴税人(取税人)の救いについては、主イエスがマタイ(レビ)を弟子にする場面(マタイ9:9-13等)や、取税人ザアカイの客人(まれびと)になられた時の「きょう、救がこの家にきた」との宣言(ルカ19:1-10)が記されています。
娼婦の救いについては、町の「罪深い女」(当時の文脈では娼婦)がやって来て(ルカ7:37)彼女の涙でイエスの足を濡らし自分の髪の毛で拭い香油を塗った時、イエスは「この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから」(7:47)と罪の赦しを宣言し、彼女に「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」(7:50)と罪からの解放を告げられました。
【15-4】 「大罪人のかしら」
使徒パウロは、自分自身の罪深さに対する深い自覚と、それにもかかわらず自分を救い出してくれた神の計り知れない恵み、そして回心の喜びをこう証しています。
_†_ Ⅰテモテ1:15 _†_
「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
そしてウェスレーも「私のような大罪人のかしらも救われた」と自己の回心記念日に証したのです。
この様に15節全体は上から目線ではなく、キリストの恩寵(恵み)の前では、社会的地位身分や道徳的レッテルに関係なく、すべての人が等しく救われるという「究極の平等」を歌っています。
【16-1】 「殺人者よ、地獄の住人よ…」
これも凄まじい言葉ですが、主イエスは十字架上で極刑に値する極悪人(ギリシャ語:レステース)に向かってこう宣言されたのです。
_†_ ルカ23:42-43 _†_
23:42 そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」
23:43 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」
如何でしょう。これらの歌詞は、主イエスの御心と救いの御業をストレートに歌っています。
そして17節ですが、
【17-4】 「エチオピア人を白く洗い清め」
これは、「生まれ持った、決して変えられない身体的特徴」を具体例として挙げ、人の「悪に染まった頑なな心」も同様に変えられないものであることを視覚的・直感的に伝える比喩表現です。
_†_ エレミヤ13:23 _†_
「エチオピア人(KJV: the Ethiopian)がその皮膚を、豹がその斑点を変えることができるだろうか。それができるなら、悪に慣れたあなたがたも善を行うことができるだろう。」
「人は、根深い罪の習性を根本から変えることはできない(自力救済の不可能)」との聖句を背景にして、「真っ黒な罪を完全に清くできるキリスト(の十字架の血)を信じなさい、と歌っています。
【18】は個人的独白であることから削除されましたが、一部の讃美歌集では「With me, your chief, 」を「In Christ, your head,」と改変して18節を収録しています。
以上、圧縮編集の過程で削除された節についてお話ししました。
ウェスレーは個人的回心を記念して、
・新約聖書で「社会の底辺」や「罪人の典型」として蔑まれていた人々を指す言葉と、
・当時の文学的・宗教的表現
をストレートに用いて全18節に及ぶ詩を創作し、これを「最も疎外された人々に向けた救いの讃歌」として大衆伝道に用いたのです。
しかし当時のイギリスは、「公認された教会の建物内」で行うのが当然の秩序であり、「宗教は道徳的であるべきだ」とも信じられていました。ですから野外や刑務所等での礼拝・宣教スタイルは奇異に映り、しかも熱狂的讃美は“最下層の罪人”を即座に全肯定するかの如く誤解された結果、ウェスレー兄弟の活動は「犯罪や不道徳を助長し、社会秩序を崩壊させるもの」と受け止められ、“体制派”から非常に激しい反発を招きました。しかしこの様な宣教スタイルと反発は、福音書に活き活きと記された主イエスの御生涯を彷彿とさせます。
ところで、ウェスレーによる圧縮編集を「体制派への忖度」と見ることも可能でしょうが、決してそうでは無い事を残された歌詞によって確認して参りましょう。
■ 4. 現行第4-5節 (原詩第10, 12節)
【10】
He breaks the power of cancell'd sin,
He sets the prisoner free;
His blood can make the foulest clean,
His blood avail'd for me.
ここでは、「主イエスは、罪を帳消しにし、罪の支配力を断ち切り、私たちを罪の奴隷から解放して下さった」と、キリストによる究極の救いと解放の宣言であるローマ8:1-2を背景にして歌われます。
_†_ ローマ8:1-2 _†_
8:1 こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
8:2 なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。
【12】
Hear him, ye deaf; his praise, ye dumb,
Your loosen'd tongues employ;
Ye blind, behold your Saviour come,
And leap, ye lame, for joy.
イザヤ書や福音書に記された「盲人、聾者、足の不自由な者」の癒やしを背景にして、「罪によって霊的に目が見えず、耳が聞こえず、讃美の声を失っているすべての人類」が病んでいる現状と、イエスによる癒やし(救い)が歌われます。
預言者イザヤはこう預言しました。
_†_ イザヤ35:5-6 _†_
35:5 そのとき、目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開けられる。
35:6 そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う。…
その預言は、救い主イエス・キリストにより成就されました。
_†_ マタイ11:4-6 _†_
11:4 イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは行って、自分たちが見たり聞いたりしていることをヨハネに伝えなさい。
11:5 目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。
11:6 だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」
・目
マタイ20:29-34(またはマルコ10:46-52、ルカ18:35-43)では、イエスに目を癒された病人はすぐにイエスに従いました。
・耳と口
耳が聞こえず口のきけない男性が癒やされた時、イエスの口止めにも関わらず人々はこの奇跡をこぞって言い広めました。(マルコ7:31-37)
・足萎え
使徒3:1-10には、「美しの門」と呼ばれる宮の門にいた生まれつき足の不自由な男が癒されると、躍り上がって立ち歩き回り、神を賛美しながら宮に入って行った出来事が記されています。
また主イエスは、宗教的・社会的に「汚れた者」とされ、集落外に隔離された「重い皮膚病人」をも癒されました。ルカ17:11-19では、癒やされたサマリア人が大声で神をほめたたえながらイエスのもとに引き返して来ましたし、マルコ1:40-45には主イエスが表立って町に入れなくなるほど町中に言い広めた病人について記されています。主イエスに救いを求めた人は一人の例外も無く救われました。
そして主イエスは、ウェスレーが死を意識したほど重い胸膜炎を癒やされました。同時にウェスレーは罪を赦され、罪の縄目から解放され、真理が見えない、聞こえない、語れない霊的病と、“足が萎えた”伝道者としての病も癒やされ、飛び跳ねる様にイエスを大声で誉め讃えて大衆の真っ只中に出て行ったのです。
■ 5. 現行第6節 (原詩第1節)
現行第6節には原詩第1節が配置されています。
【1】
Glory to God, and praise and love,
Be ever, ever given;
By saints below and saints above,
The Church in earth and heaven.
この節はひとたび削除されましたが、20世紀に再評価されて復活しました。しかし、既に世界中で「O for a thousand tongues to sing」のタイトルで定着していたため、この節は「締めくくり(最終節)」とされたのです。
■ エピローグ
歌詞の圧縮編集の結果、この讃美歌は「一千の舌(声)があればいいのに(O for a thousand...)」と切望する地上の教会の歌から始まり、最後に「地上の聖徒も、天上の聖徒も、すべての教会よ、神に栄光と誉れと愛を永遠に捧げよ」と、天と地が一体となって賛美する壮大なグランドフィナーレで讃美を閉じることになりました。
私たち礼拝者にとり、説教や祝祷の恵みを受け、日常世界に派遣される直前の頌栄として非常にふさわしい讃美歌です。
グランドフィナーレの讃美と言えばこの聖句です。
_†_ 黙示録7:9-12 _†_
7:9 その後、私は見た。すると見よ。すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。
7:10 彼らは大声で叫んだ。「救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある。」
7:11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物の周りに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を礼拝して言った。
7:12 「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、私たちの神に世々限りなくあるように。アーメン。」
救われた数えきれないほどの群衆と天使たちが御座の前で大声を張り上げ神を誉め讃える壮大なコーラス、このコーラスにやがて私たちも加わります。
アーメン。
♫ 参考YouTbe
https://www.youtube.com/watch?v=dJ4DQByNnCw
世にあるかぎりの(讃美歌21より4番) 演奏:子育てsoprano山下瑞希(ピアノ演奏と独唱)
https://www.youtube.com/watch?v=24t3XMSSpyM
O For A Thousand Tongues To Sing | LIVE From The Shepherds Conference! 演奏:Hymns of Grace (オーケストラと大合唱)
