岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第50回) 「キリストこそ私たちの平和 ”He Is Our Peace”」 (主イエスの十字架の血で) ~シンシナティ日本語教会主催
2:13 しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。
2:14 実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、
2:15 様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、
2:16 二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。
2:17 また、キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音として伝えられました。
2:18 このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。
2:19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。日本聖書協会『口語訳聖書』エペソ人への手紙 2章13-19節
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■ はじめに
この讃美歌のタイトル、”He is our peace” 「キリストこそ私たちの平和」は、聖書に於ける中心的メッセージの一つです。
イエス・キリストが十字架上で私たちの贖いを成し遂げて下さった事により、敵対関係にあった神と人、人と人が和解し、神の家族として一つにされることへの深い感謝と喜びが歌われます。
♫ "He Is Our Peace"
https://www.youtube.com/watch?v=vfPxLha2rNM
♫ 主イエスの十字架の血で [楽譜番号 赤本:174]
https://www.youtube.com/watch?v=ynkO9QHSo7s
■1.讃美歌 ”He is our peace” 概説
この曲はカンデラ・グローヴス(Kandela Groves、1948-1988)により作詞・作曲され、1975年にマラナサ・ミュージック(Maranatha! Music)などを通じて世界的に広まり、現代的な賛美(ワーシップ・ソング)の古典として親しまれています。これ迄この集会で取り上げたどの讃美歌にも無い特徴がありますが、讃美歌作者略歴や成立背景に関する情報は、残念ながらネット上には見出せませんでした。
日本では、1975年に『主イエスの十字架の血で』 とのタイトルでミクタム・ワーシップ・ソング[楽譜番号 赤本:174]に収録され、小坂忠(ミクタムレコード)による歌唱で広く知られるようになりました。2000年にはリビングプレイズ6番としてリリースされています。
”He is our peace”の歌詞は下記リンク先を見ていただきたいのですが、資料1に記載した如く、エペソ2章14節とⅠペテロ5章7節から採られた歌詞のみにより、「キリストを通してもたらされる平安と解放(Peace)」と「(かえりみcare)」が歌われます。
・原語歌詞: “He Is Our Peace”
https://www.musixmatch.com/lyrics/Maranatha-Music/He-Is-Our-Peace
・邦訳歌詞: 『主イエスの十字架の血で』
https://ameblo.jp/hanaaoi0424/entry-12552717595.html
日本語への訳詞に際して、歌い出しが「主イエスの十字架の血で わたしはゆるされ」となり、平和の拠って来たる源(みなもと)が提示されています。
力強いメッセージを有する聖句そのものが、心理的安定感をもたらす穏やかな旋律とリズムに乗り、温かく優しい調和したハーモニーで繰り返し歌われますので、善き御言葉の解き明かしが伴う時、会衆は深い瞑想や祈り、神の家族としての一体感、いっそう確かな希望へと導かれることでしょう。
■2.聖書は告げる、”He is our peace”
この曲のタイトル”He is our peace”は聖書全体の中心的メッセージの一つです。特徴的な聖書箇所をご紹介します。なお聖書は新改訳2017を使用します
(1)旧約預言書
_†_ ① イザヤ52:7 _†_
イザヤ52:7 良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。平和(*1)を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神は王であられる」とシオンに言う人の足は。
_†_ ② エレミヤ28:9 _†_
エレミヤ28:9 平安(*1)を預言する預言者については、その預言者のことばが成就して初めて、本当に【主】が遣わされた預言者だ、と知られるのだ。」
_†_ ③ エゼキエル13:10 _†_
エゼキエル13:10 実に彼らは、平安(*1)がないのに「平安」と言って、わたしの民を惑わし、壁を築くとすぐ、それに漆喰で上塗りをしてしまう。
備考*1 「平安」 「平和」
日本語で「平安」 「平和」と訳されている言葉の原語は(ヘ)シャローム、(ギ)エイレネです。単に争いがない状態ではなく、神との正しい関係に基づいた「全き調和」を意味します。
(2)主イエスの言葉
主イエスはこう言われました
_†_ ④ ヨハネ14:27 _†_
ヨハネ14:27 わたしはあなたがたに平安(*1)を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。
この御言葉は、私たちがいかなる外的な困難(紛争、自然災害、生活の不安)の中にあろうとも、主イエスは揺らぐことのない平安を与えて下さるとの約束です。ところが、主イエスは私たちが困惑する言葉も語られました。
_†_ ⑤ マタイ10:34-39 _†_
マタイ10:34-39 わたしが来たのは地上に平和(*1)をもたらすためだ、と思ってはいけません。わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。
10:35 わたしは、人をその父に、娘をその母に、嫁をその姑に逆らわせるために来たのです。
10:36 そのようにして家の者たちがその人の敵となるのです。
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
10:38 自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
10:39 自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです。
(3)使徒たちの証言
この讃美歌の引照聖句であるパウロとペテロの証しをご紹介します。詳しくは『資料1 概説』をご参照下さい。
【引照聖句(1)】 使徒パウロの証
まず、エペソ2:13-14の背景にある聖書の文脈を簡潔にお話します。
・神は、救いを全世界にもたらす御業に参与させるべく、ユダヤ民族を「神の民」として召しました。
・ところが、彼らは自分たちの立場を誇り、他民族を神無き民「異邦人」と蔑むだけで、その結果両者は偏見と高ぶり・敵意で分断されてしまいました。確かに異邦人は神無き民でしたが、ユダヤ人も異邦人と同様「キリストから離れた」“望み”のない人たちだったにも関わらず。
・この様な両者を「一つのイエス・キリストにある神の家族(エペソ2:19)」とするために支払われた代償が、神の御子イエスの十字架上の死です。この、神による唯一無二の御業によって神と罪人との和解が成立し、人と人との間の平和も確立されたのです。
_†_ ⑥ エペソ2:13-14 _†_
エペソ2:13-14 しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。/実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、(新改訳2017)
ところで、ここでパウロは「キリストこそ私たちの平和です…隔ての壁である敵意を打ち壊し」(エペソ2:14)とイエス・キリストを誉め讃えていますが、パウロは普通ではあり得ないことなのです。と言いますのは、
(1)キリストが十字架上で血を流されたことで打ち壊された「隔ての壁」「敵意」とは、パウロ自身が命のように大切にしていた誇り(ピリピ3:4-7)そのものだったのです!
_†_ ⑦ ピリピ3:4-7 _†_
ピリピ3:4-7 ただし、私には、肉においても頼れるところがあります。ほかのだれかが肉に頼れると思うなら、私はそれ以上です。
3:5 私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法についてはパリサイ人、
3:6 その熱心については教会を迫害したほどであり、律法による義については非難されるところがない者でした。
3:7 しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。
キリストがパウロに出会い彼を捉えたことで(使徒22:7-8)、パウロの誇りあったものがことごとく打ち砕かれ、ユダヤ人世界のエリートが同胞から執拗に命を狙われるようにさえなったのです。
(2)それだけではありません、主はパウロについてこう言われたのです。
_†_ ⑧ 使徒9:15-16 _†_
「あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。/彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示します。」
このイエスの言葉通り、彼はキリストのしもべとしての労苦を数え上げています(Ⅱコリント11:23-27)。
そのパウロが、
”He Is Our Peace”
と証したのです。
【引照聖句(2)】 使徒ペテロの証
主イエスがゲッセマネの園で捕縛され弟子たちが逃げ去った中、イエスの行く末を案じたペテロはイエスから離れて大祭司カヤパの家までついていきました。しかしペテロはそこで、自己保身から「その人など知らない」と三度も否んだイエスの眼差しに触れた時、自分の弱さ愚かさを思い知り激しく泣きました(ルカ22:54-62)。
イエスがよみがえられた後、ペテロはガリラヤに立ち戻りました。そこは、かつて漁師だった自分が弟子に召された場所(マルコ1:16-17)であり、あの「ガリラヤの海の嵐の奇跡」(マルコ4:35-41)を体験した場所、すなわちイエスの福音宣教の原点でした。
そのガリラヤでペテロは主イエスから、「私の羊を飼うように」と再召命を受けましたが、同時に自分の死に方について厳かに予告もされたのです(ヨハネ21:18-19)。
そのペテロがこう証しているのです。
_†_ ⑨ Ⅰペテロ5:6-7 _†_
Ⅰペテロ5:6-7 ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。/あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
ここまでお話ししてきたことから、この讃美歌は、使徒パウロと使徒ペテロの証そのもの、
”He Is Our Peace”
「神が、あなたがたひとりひとりを心配していてくださっているのだから、思い煩いから解放されなさい!」
ということをご理解いただけたかと思います。解説の冒頭で、「この讃美歌の作者略歴や成立背景は不詳」と申し上げましたが、パウロペテロの証に徹するために作者は仮名を使い、成立背景を伏せたのかもしれません。
■3.『向こう岸へ渡ろう』
(1)イエスによる福音宣教の出発点、ガリラヤ
ところで、マルコによる福音書が記した福音宣教の出発点についてお話したいのです。
マルコはイエスのご降誕からではなく、イエス・キリストの公生涯の始まりから記します。イエスは、ナザレを離れてヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、主にユダヤ人が住むガリラヤ湖北西岸の町カペナウムから神の福音を説き始めました。「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ1:14-15)。
マルコ4章に入るとイエスは神の国について譬えを多く用いて話され、その最後に「一粒のからし種」の譬えにより、やがて時代を超え文化を超え人を新しく生れさせ神の国の平安がもたらされることが告げられました。そしてその日のうちに、「向こう岸へ渡ろう」との号令(4:35)が発せられ『ガリラヤの海の嵐の中のキリスト』の出来事が始まったのです。
_†_ ⑩ マルコ4:35-41 _†_
マルコ4:35 さてその日、夕方になって、イエスは弟子たちに「向こう岸へ渡ろう」と言われた。
その「向こう岸」(*2)、ガリラヤ湖の東側はデカポリスと呼ばれる異邦人の居住地域で、ユダヤ人にとっては「汚れた場所」でした。ですからガリラヤ湖はユダヤ人と異邦人世界との地理的な「隔ての壁」であり、同時に人種的宗教的「隔ての壁」も存在していたのです。
ですから、イエスが「向こう岸へ渡ろう」と言われた時、弟子たちは強い衝撃を受け困惑したことは間違いありません。しかしその言葉は、ユダヤ人と異邦人を隔てていた壁を取り壊し、敵対関係を超えた「キリストによる平和」「真の平和(シャローム)」を作り出しに行こう、進め!」との号令であったこと、そして「(私イエスは)十字架上で贖いを成し遂げる」ことの決意表明だったことが、主の復活を経て初めて弟子たちの悟るところとなりました。
備考*2 「向こう岸」には、“地理的な対岸”以上に、霊的な意味で「天国(神の国)」や「救いの世界」を指す象徴的な意味があります。
(2)船出早々嵐に会った
マルコ4:36 そこで弟子たちは群衆を後に残して、イエスを舟に乗せたままお連れした。ほかの舟も一緒に行った。
4:37 すると、激しい突風が起こって波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになった。
4:38 ところがイエスは、船尾で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と言った。
「向こう岸に渡ろう」と言われた主に従って船出すると、彼らはたちまち大嵐に遭遇しました。
弟子たちのうちペテロを含め少なくとも4人はベテランの漁師でした。その彼らがパニックに陥るほどの嵐だったのかもしれませんが、夜陰迫る中“汚れた異邦人世界”へ乗り込むと言う、当時のユダヤ人にとって有り得ないことをしている自分たちが神に裁かれているような恐怖も感じていたのではないでしょうか。
しかし、その弟子たちが見たのは、 「そのような状況下でも平安(シャローム)」なイエスでした。
マルコ4:39 イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。
4:40 イエスは彼らに言われた。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」
4:41 彼らは非常に恐れて、互いに言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」
私事で恐縮ですが、受洗後親や親戚に事後報告してから数年間はボロクソに言われ続けたことを思い出します。イエスを信じて行こうとすると、たちまち様々な困難に出会うことはこの世の常のようです。
(3)その後の道程
「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」(マルコ4:41)と、またまた非常に恐れた弟子たちでした。そもそもイエスが 「向こう岸へ渡ろう」と行動を起こされた以上、途中で何があっても目的地に着くことは当然の帰結だったのですが、当時の弟子たちはまだ知る由もありませんでした。
とは言え、弟子たちは“向こう岸”に着いた直後から概ね2年半から3年、イエスと寝食を共にする間、「わたしが(※イエス)来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはいけません。わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。」(マタイ10:34)その通りを経験しました。そして、生涯を捧げて従ってきたイエスが十字架に掛けられたことで絶望し身を隠しさえしました(ヨハネ20:19)。
しかし、よみがえりのイエスにまみえ、イエスがどの様な方であるかを知った弟子たちは、
その後人生を賭し、皇帝ネロによる迫害に至るまで ”He Is Our Peace” と証したのです。
■4. 湧き上がる賛美
讃美歌”He Is Our Peace”、 「キリストこそ私たちの平和」は、以上お話ししたような讃美歌です。
聖書には、私たちが地上で讃美する時、天においても讃美が湧き上がる様子の描写があります。このことを思いながら”He Is Our Peace”と讃美する時、特に今回のタイトル画像に用いたレンブラントの『ガリラヤの海の嵐の中のキリスト』(*3)を見ながら”He Is Our Peace”と讃美する時、パウロやペテロの、
「実に、キリストこそ私たちの平和です。」(エペソ2:14)
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。」(Ⅰペテロ5:7)
との歌声が聞こえて来るような思いがします。
讃美とは、この世の嵐のただ中を “波を蹴立てて進む巨船のエンジンの鼓動”に似ています。主が「渡ろう」と言われたなら、どんな嵐が来ても「結末は勝利」(“at the last, a victory”)だからです。
キリストによって〈既に〉平和は成し遂げられました。ですから、私たちは〈いまだ先の〉平和の完成を待ち望もうではありませんか。そして私たちも「向こう岸」のゴールを目指して参りましょう。
備考*3 レンブラント 『ガリラヤの海の嵐の中のキリスト』
レンブラント『ガリラヤの海の嵐の中のキリスト』(1633年)は、新約聖書のマルコによる福音書に基づき、嵐の中で恐れる弟子たちと、眠りから目覚めて波を鎮めるイエスを描いた、レンブラント唯一の海の風景を描いた油彩画唯一の海景画ですが、1990年の盗難以降、行方不明です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%81%AE%E6%B5%B7%E3%81%AE%E5%B5%90
■ 謝辞
本日で、この会が第50回という記念すべき日を迎えることが出来たことをこの場をお借りして感謝申し上げます。
まずは、この『讃美の力集会』という主の御用に与るチャンスをもたらしてくださった酒井啓介先生に、
次いで、資料やお証をシェアしたり、祈りや庶務的奉仕で会を支えて下さったJCCCの皆さま方に、
また、陰ながら私を応援してくれた家内や娘たちに心から感謝します、有り難うございました。
そして、この拙い者に絶えず御言葉を通してインスピレーションを与えて下さった聖霊なる神を高らかに誉め讃えます、ハレルヤ!![]()
資料1 概説
■ 楽曲
イエス・キリストが十字架上で流した血によって、人間の罪が贖われ赦され、神との断絶が解消されたという確信と、その犠牲に対する深い感謝と喜びが、直接的・情熱的に表現される福音的な讃美歌です。
・作詩作曲者: カンデラ・グローブス (Kandela Groves、1948-1988)
https://hymnary.org/person/Groves_K
作者の略歴をネット上で見いだすのは非常に困難で、カルバン大学(Calvin University)と賛美歌協会(The Hymn Society)が共同運営する世界最大級の賛美歌と礼拝音楽のオンラインデータベースHymnary.orgでも「この人物の経歴情報は持っていない」となっています。
・著作権: ©1975年 Maranatha! Music
・原語歌詞: “He Is Our Peace”
https://www.musixmatch.com/lyrics/Maranatha-Music/He-Is-Our-Peace
英語歌詞は、おそらくKJV(King James Version、欽定訳聖書)のエペソ2章14節とⅠペテロ5章7節から採られた歌詞のみを繰り返すシンプルな構成です。
・普及: マラナサ・ミュージック(Maranatha! Music)などを通じて世界的に広まり、現代的な賛美(ワーシップ・ソング)の古典として親しまれています。
・邦訳歌詞: 『主イエスの十字架の血で』
https://ameblo.jp/hanaaoi0424/entry-12552717595.html
日本では、1975年に『主イエスの十字架の血で』 とのタイトルでミクタム・ワーシップ・ソング[楽譜番号 赤本:174]に収録され、小坂忠(ミクタムレコード)による歌唱で広く知られるようになりました。2000年にはリビングプレイズ6番としてリリースされています。
■ 引照聖句
エペソ2:13-14 しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。/実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、(新改訳2017)
Eph2:13-14 But now in Christ Jesus ye who sometimes were far off are made nigh by the blood of Christ./For he is our peace, who hath made both one, and hath broken down the middle wall of partition between us; (KJV)
【原歌詞】 He is our peace Who has broken down every wall,
【直訳】 彼は私たちの平和です すべての壁を壊した方、
Ⅰペテロ5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(新改訳2017)
1Pe 5:7 Casting all your care upon him; for he careth for you.(KJV)
【原歌詞】 Cast all your cares on Him, For He cares for you,
【直訳】 すべての心配を彼にゆだねなさい、神はあなたがたを大切に思っているからです。
以上
