■開催予告■ 岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第52回) 讃美歌90番「ここも神のみくになれば」 (This is my Father's World) ~シンシナティ日本語教会主催

■開催予告■ 岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第52回) 讃美歌90番「ここも神のみくになれば」 (This is my Father's World) ~シンシナティ日本語教会主催

国々の間で言え。「【主】は王である。まことに世界は堅く据えられ揺るがない。主は公正をもって諸国の民をさばかれる。」/天は喜び地は小躍りし海とそこに満ちているものは鳴りとどろけ。日本聖書協会『口語訳聖書』詩編 96編10-11節



 ■ プロローグ
讃美歌 「This Is My Father's World」の作詞者は、アメリカ長老派教会のバブコック牧師(Maltbie Davenport Babcock, 1858-1901)です。彼の最初の任地では、美しい大自然を眺めながらの散歩が日課で、「今から『父なる神の世界(my Father's world)』を見に行ってくるよ」と語るのが口癖でした。彼の感動と信仰は詩として残され、彼の急逝後妻により出版された遺稿集に掲載され、さらに彼の親友による訳詞と編曲を経て讃美歌集に収録され世界に広まりました。

今回は、作詩者の出生とミニストリー、そして讃美歌誕生の歴史をお話しします。


 ■ 作詩者の生涯 ■

1. 出生、学生時代
1858年、バブコックはニューヨーク州シラキュースで生まれました。温厚な人柄と卓越した知性、そして優れた運動能力と音楽の才能にも恵まれた彼は、1879年に地元シラキュース大学を最優等の成績で卒業後、長老派教会牧師を目指しました。

2. ミニストリー
 第1期(1882~1885/1887年)
1882年、神学校で学位を取得し按手後、ニューヨーク州ロックポート第一長老派教会(First Presbyterian Church in Lockport)に最初の任地として赴任しました。
その年、著名な弁護士の末娘キャサリン(Katherine Eliot Tallman, 1857–1943)と結婚し、二人の間には2人の息子が生まれました(1883年、1890年)が、二人ともにその年に夭逝しました。

ロックポートの中心部は、ナイアガラ崖線の尾根部分とそれに隣接する高台に位置しています。そこからの美しいオンタリオ湖とニューヨーク州北部の景色を眺めながらの散歩やジョギングが彼の日課で、「私はお父さんの世界を見に行ってくるよ」が口癖でした。
こうして、大自然の中に神の御手を見出し「天の父の創造物」として深く愛した彼は、創造神学と神の絶対的な主権を信じる改革派神学を土台として、「すべては神の愛と支配の中にある」ことを生涯宣べ伝えました。
彼の死後、この期間に書かれた詩が妻によって発見・出版され、今日世界中で愛される讃美歌「ここも神のみくに(“This is My Father's World”)」のベースになりました。

 第2期(1887~1899/1900年)
メリーランド州ボルチモアのブラウン記念長老派教会で主任牧師を務めました。
当時のボルチモアは、第二次産業革命期の急速な工業化と都市化の波が押し寄せ、労働力として多くの移民が流入し、深刻な社会問題や人種間の緊張も抱えていました。作家マーク・トウェインは、表面は富で輝いていても内実は腐敗や格差に満ちた当時を「金メッキ時代」と言う造語で皮肉りました。そこでのバブコックは、
・説教は抽象的・教理的にならず、信徒の日常や人生の喜怒哀楽に寄り添い、
・逆境や困難に直面しても、ポジティブで力強いキリスト者として立ちうる望みを説き、
こうした彼の説教や牧会・社会活動と卓越した人柄・人物的魅力は地域社会からの深い信頼を得、ニューヨークへの移籍話が持ち上がるやいなや、教会関係者ばかりか市をあげて熱烈な残留嘆願がなされました。

 第3期(1900~1901年)
バブコックは、全米でも屈指の権威ある教会ニューヨーク市ブリック長老派教会主任牧師に招聘されましたが、彼はそこでの激務により深刻な疲労に陥りました。健康を案じた教会は、彼に休暇と資金を贈り1901年2月に妻カサリンと共に中東・聖地を巡る旅行へと送り出しましたが、その帰路、地中海熱(現在のブルセラ症)と呼ばれる細菌感染症に感染し、体力が低下していた彼は回復せず緊急入院先のナポリ国際病院で客死しました。
この病は波状的な高熱と全身症状を伴い、当時の記録では「脳炎(Brain fever)」とも表現されるほどの激しい脳への影響をもたらしました。その結果、深刻な精神錯乱(せん妄)に陥った彼は正常な判断力を失い自傷行為に及んだようです。彼の最後の言葉は、「昇汞(しょうこう、当時医療器具の殺菌や手指の消毒に使用)を飲んでしまった」という旨のものだったと伝えられています。
遺体が米国に戻った後、彼が最後に牧師を務めていた同教会で葬儀(1901年6月12日(水)が行われ、彼の故郷ニューヨーク州シラキュースのオークウッド墓地(Oakwood Cemetery)に子どもたちと共に埋葬されまし
なお1943年には、妻カサリンもそこに葬られました。
当時の新聞(ニューヨーク・タイムズなど)は「バブコック牧師が自殺」とセンセーショナルに報じ、人々に大きな衝撃を与えました。しかし、妻や遺族、彼をよく知る教会員たちは、これが彼の本意ではなく「病気がもたらした錯乱による不慮の事故であるとして彼の名誉を守り続けたことから、彼が生前綴った個人的詩句は、崇高で霊的な讃美歌“This Is My Father's World”へと昇華されました。
続いて、讃美歌誕生の経緯をお話しします。


 ■ 讃美歌 “This Is My Father's World” 誕生の歴史 ■

3. 1901年 詩 “This Is My Father's World”(全16節)の発見と出版
夫が急逝したその年、妻カサリンは遺品整理中に詩を発見しました。資料2に全文を掲載しています。
それは、夫がロックポートで散歩に出かける際の口癖だった「お父さんの世界を見てくるよ」との想いから生まれた美しい詩で、主立った著作物と共に妻カサリンと友人たちによる遺稿集で出版されました。妻カサリンの、不慮の死を遂げた夫への愛と信頼、夫を召した神への信仰が無ければ、この美しい讃美歌は生まれませんでした。

4. 詩 “This Is My Father's World”の全貌
この全16節からなる詩は、「神の創造」と「神の主権」をテーマにした連続説教のアウトライン(輪郭)そのものです。その16節全体を駆け足で見てみましょう。

 ~♫ 第1節
“This Is My Father's World”との歌い出しは、「全被造物の所有権は神にある」との宣言です。
神の被造物について創世記にこう記されています。

 _†_ ① 創世記1:31 _†_
「神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。」

バブコックはこの情景に、ヨブ記に記された主の言葉、

 _†_ ② ヨブ38:4、7 _†_
「わたしが地の基を定めたとき、.../明けの星々がともに喜び歌い、神の子たちがみな喜び叫んだときに。」

を重ね合わせてこの第1節を作詩したのでしょう。

 ~♫ 第2-5節
ここでは、バブコックの研ぎ澄まされた五感で感じ取った鳥の声や草のそよぎという「日常の音や光景」から、霊的感覚で感じ取った「全宇宙の音楽(Music of the spheres)」へと一気に広がります。

この2-5節から一般的英語讃美歌の第1-2節が訳詞されました。しかしそこから翻訳された邦訳讃美歌の中には『父』を『神』としたものがあります。聖歌は『父の神の庭の中で』(650番)ですが、1954年版讃美歌は『ここもかみのみくに』、讃美歌21と教会福音讃美歌では『この世はみな神の世界』です。聖書はこう言ってます。

「この方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)
「あなたがたが子であるので、神は「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。」(ガラテ
ヤ4:6)

皆様も気づかれたことと思いますが、残念に思うのは神を「父」と呼べる特権が行使されなかった事です。繰り返しますが、万物を創造された神を父と呼べることは、神か私たちキリスト者に賜った特権です。
草や木、山や川などの自然を見てもアニミズム(自然崇拝)的思考で止まってしまい、創造主に思いが至らないことが多い日本で、この特権を叫ぶどころか歌いもしない、誠に残念なことです。

ところで5節に
 In the rustling grass I hear Him pass, He speaks to me ev'rywhere.
  「草のゆらぎの中に彼が通り過ぎる音が聞こえる。彼はどこにいても私に話しかけてくる。」
という歌詞がありますが、このフレーズを境にして、バブコックは聖書の登場人物が神と出会った場面の追体験を歌います。つまり、「空間と時間両方の移動」(タイムワープ)が起き、13節で現実世界に戻ってきます。
では、5節でいったい何処に移動したのでしょうか。それは、

 _†_ ③ 創世記3:8 _†_
「そよ風の吹くころ、彼ら(アダムとエバ)は、神である【主】が園(エデンの園)を歩き回られる音を聞いた。」

ここでしょう。この時アダムとエバは、「神である【主】の御顔を避けて、園の木の間に身を隠し」ました。
しかしバブコックが、崖の上を吹き抜ける風に神の気配を感じた時、身を隠すどころか、

 _†_ ④ サムエル上3:10 _†_
【主】が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」

このサムエルのようにバブコックは創造主との霊的交わりに与っていたからこそ、「すべては神の愛と支配の中にある」と力強く説教出来たのでしょう。

 ~♫ 第6-13節
続く6節から13節までは現行讃美歌で割愛されています。
その6-9節では、旧約聖書の時代を生きた信仰の先輩たちの生涯をバブコックが追体験しています。

6-7節は、創世記28:10-22 族長ヤコブの出来事です
兄エサウの復讐を恐れてハランへ向かう途上のベテルで、天から地に向かって立てられた梯子を神の使いたちが上り下りしていた夢を見ました。ヤコブは目覚めた時に「まことに【主】はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」(創世記28:16)と畏れおののいた場面を、バブコックは自身が朝の光の中で目覚めた瞬間に重ね合わせています。

8節は、ファラオの手から砂漠を彷徨いミデアンに逃れたモーセが、羊の群れを率いて神の山ホレブに来た
時、燃えていても燃え尽きない不思議な柴の炎の中から、神がモーセに語り召し出した出来事です。

 _†_ ⑤ 出エジプト 3:5 _†_
「近寄ってはいけない。靴を脱ぎなさい。あなたが立っている場所は聖なる地だからである。」

この、モーセがそこが「聖なる土地」であることと、恐れるべきはエジプトのファラオではなくまことの神であることを知った場面を、バブコック自身の散策に重ね合わせています。

9節は、預言者エリヤが、悪王アハブと妃イゼベルとの戦いに勝利したものの憔悴して自分の死を神に願った時(列王記上19:11-13)、神の山ホレブで、神がエリヤに臨まれた出来事。

 _†_ ⑥ 列王記上19:11-13 _†_
主は言われた。「外に出て、山の上で【主】の前に立て。」するとそのとき、【主】が通り過ぎた。【主】の前で激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に【主】はおられなかった。風の後に地震が起こったが、地震の中にも【主】はおられなかった。/地震の後に火があったが、火の中にも【主】はおられなかった。しかし火の後に、かすかな細い声があった。/エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て洞穴の入り口に立った。すると声がして、こう言った。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」

10-12節は、ヨハネ1:14の「 ことばは人となって、私たちの間に住まわれ」、地上の御生涯を歩まれた主イエスをバブコックは見ています。

13節は、

 _†_ ⑦ ヘブル11:1-3 _†_
さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。/昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。/信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。

この言葉で始まるヘブル11章に記された、天の故郷を求めてこの大地を旅した昔の信仰者たちに、バブコック自身を重ねています。この聖句からも彼は力強いメッセージを語ったことでしょう。

 ~♫ 14-16節
さて、14節からは雰囲気がガラリと変わり、私たちを現実世界に連れ戻し、強大な悪がはびこる不条理な世界にあっても「決して忘れないで」と呼びかけています。
バブコックは礼拝の講壇から、「人類の歴史上最大の不条理、人々の狂騒に曝され十字架に掛けられた罪無き神の御子イエス」を高らかに描き出し、「この十字架で死んで葬られよみがえられたイエスこそ真の支配者である」ことを解き明かして、「このような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。」(ヘブル12:3)と、人々を堅忍不抜の信仰へと導いたことでしょう。

15節で、「The battle is not done(戦いはまだ終わってない)」と綴られていますが、

 _†_ ⑧ エペソ6:12-13 _†_
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。/ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。

バブコックはこれらの聖句に基づき、信仰生活に生きる術を具体的に教え励ましたことでしょう。
15節の3行目ではこう歌われます。

 ♫~ "Jesus who died shall be satisfied, and earth and heav'n be one."
  (十字架にかかって死なれたイエスは最後には満足され、天と地は一つになる)

 _†_ ⑨ イザヤ 53:11 _†_
彼は自分の魂の苦しみを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を自分で負う。

バブコックはこの預言を引用して、「主イエスの魂の苦しみと苦難の果実、究極の平和と救いをあなたも受け取り、主イエスと一緒に満ち足りなさい!」と奨励したことでしょう。

そして、最後の16節では、

 ♫~ “Should my heart be e'er sad?”
 (私の心は悲しむべきだろうか?)

との自問に答えるが如く、バブコックは詩篇96篇10-11を頌栄に用いて詩を締めくくります。

 _†_ ⑩ 詩篇96:10-11 _†_
国々の間で言え。「【主】は王である。まことに世界は堅く据えられ揺るがない。主は公正をもって諸国の民をさばかれる。」/天は喜び地は小躍りし海とそこに満ちているものは鳴りとどろけ。


5. 1915年 親友による讃美歌(全3節)の出版
「讃美歌 “This Is My Father's World” 誕生の歴史」に戻ります。
全16節からなる壮大な詩は、バブコックの急死(1901年)後、妻カサリンにより発見され年内に出版されました。
そして1915年、この詩に託された信仰を、教会や子どもたちに受け継いで欲しいとの願いを込めて、讃美歌への訳詞と編曲、そして出版が為されました。その労を執ったのが、バブコックと同じ長老派教会で活動していたフランクリン・L・シェパード(Franklin L. Sheppard、1852 - 1930)という著名な作曲家、編曲家、実業家です。

 (1)全3節への訳詞
シェパードは、まず遺稿集に収録された原詩(全16節)から6つの節を選び、全3節へと再構成しました(資料3、全4節のバージョンは後々の編集によります)。この再構成により、作詩者バブコックの思考プロセスにあった所謂「間(つなぎ)」の言葉が省かれ、その結果、バブコックが生涯説き続けたポジティブで力強いメッセージの核心部が際立つことになりました。

 (2)曲付け(編曲)と出版
さらにシェパードは、バブコックのメッセージを載せるメロディには「神が創造した美しい大自然」の温もりを感じさせる旋律が最も相応しいと考え、子供の頃に母親から教わり親しんだ伝統的英国民謡を編曲し、それにラテン語で「祝福された地球、大いなる大地」を意味する「TERRA BEATA」という曲名を付けました。そして1915年、“This Is My Father's World”(全3節)は米国長老派教会の教会学校向け讃美歌集『Alleluia』で出版され、その後の『The Presbyterian Hymnal (1911年版の1917年改訂増補版)』により、終わりの日に向かう過酷で理不尽な時代を耐え抜く人々に希望と安らぎと勇気を与え続けました。


 ■ エピローグ
最後に、この讃美歌の最も素晴らしいフレーズを味わって本日の解説を閉じます。
それは、現行讃美歌の3節、
  「ここも神のみくになれば よこしま暫しはときを得とも 主のみむねのややになりて」
原詩では14節
 “This is my Father's world. O let me ne'er forget that though the wrong seems oft so strong, God is the ruler yet.”
です。
このフレーズの素晴らしさは、私たちの心を1-2節の美しい大自然を創造した神讃美から、突然、悪や不条理が蔓延する現実に向けさせ、私たちを最終的勝利の確信へと導くことです。実に思い切った飛躍です。しかし全16節の原詩を全3節に訳詞したことで、「現実は必ずしも美しいものばかりではない。不正や悪がはびこっている。それでも最終的に世界を支配し勝利するのは神である(God is the ruler yet)」というバブコック牧師のメッセージは、困難な時代を生きる子どもから大人にまで勇気を与え続けています。 ハレルヤ!

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■開催予告■ 岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第52回) 讃美歌90番「ここも神のみくになれば」 (This is my Father's World) ~シンシナティ日本語教会主催

神が創造した自然界の美しさと、世の中に悪がはびころうとも最終的に神が統治される希望を歌った「This Is My Father's World」の作詞者は、アメリカ長老派教会の牧師、マルビー・D・バブコック(Maltbie Davenport Babcock)です。彼は、最初の任地近隣のナイアガラ断崖を散歩しながら美しい自然を眺めるのを日課としており、妻に対して「今から『父なる神の世界(my Father's world)』を見に行ってくるよ」と語るのが口癖でした。この「父なる神の世界」という言葉と思いは詩として残されており、彼の急逝後妻により出版された遺稿集に掲載され、さらに彼の親友による訳詞と編曲を経て讃美歌集に収録されたことで一躍世界に広まりました。

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第51回) リビングプレイズ69番 「鹿のように」 “As The Deer” ~シンシナティ日本語教会主催

“As the Deer”(邦題:『鹿のように』)は、アメリカのシンガーソングライター、マーティン・J・ニストローム(Martin J. Nystrom)によって1984年(1981年とする資料もあり)に作詞・作曲されて以来、数十とも言われる多くの言語に翻訳され、国境や教派を超えて親しまれている現代的讃美歌(ワーシップソング)です。聖書の詩篇42篇1節(「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように 神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます」)等から採られた歌詞が、非常に優しく静かなメロディーに載せて祈りの如く歌われます。

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第50回) 「キリストこそ私たちの平和 ”He Is Our Peace”」 (主イエスの十字架の血で) ~シンシナティ日本語教会主催

この讃美歌のタイトル、”He is our peace” 「キリストこそ私たちの平和」は、聖書に於ける中心的メッセージの一つです。イエス・キリストが十字架上で私たちの贖いを成し遂げて下さった事により、敵対関係にあった神と人、人と人が和解し、神の家族として一つにされることへの深い感謝と喜びが歌われます。

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第49回) 讃美歌148番「すくいのぬしは ハレルヤ」Christ the Lord is Risen Today ~シンシナティ日本語教会主催

讃美歌148番「すくいのぬしは ハレルヤ」は、キリスト教の最も重要な祝日の一つであるイースター(復活祭)を記念して歌われる代表的な讃美歌です。十字架上で贖いの死を遂げて下さったイエス・キリストの復活により、イエスを信じる全ての人に罪の赦しと永遠の命がもたらされた喜びを、ハレルヤ(主を誉めよ)の合唱とともに高らかに歌い上げます。

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第48回) 讃美歌21-575番 「球根の中には」、Hymn of Promise (In the bulb there is a flower) ~シンシナティ日本語教会主催

この讃美歌は、葬儀や追悼式、イースター等で良く歌われる現代的讃美歌の名曲の一つです。1985年、作詩作曲者ナタリーの親友の死が契機となって誕生し、その直後召された最愛の夫に捧げられ、ナタリー自身の葬送でも奏せられました。歌い出しは、凍てつく冬(厳しさ、枯れ)から新たな命芽吹く春(喜び、百花繚乱)が訪れるとの自然の隠喩です。続けて深遠な神学的テーマ(死と復活、疑いと信仰)が、伝統的な言葉ではなく、子どもも理解できる平易で親しみやすい言葉に託され、優しく語りかけるような穏やかで自然な美しいメロディーに載せて歌われます。集会はオンラインで、日本時間2026年2月20日(金)午前10時~11時、アメリカ東部時間2026年2月19日(木)午後8時~9時に開催されました。

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第47回) 「His eyes is on the sparrow (一羽の雀)」(新聖歌285番「心くじけて」) ~シンシナティ日本語教会主催

讃美歌には人々を慰め励まし立ち上がらせる不思議な力があります。今日ご紹介する「His eyes is on the sparrow(一羽の雀)」(新聖歌285番「心くじけて」)もその様な名曲です。作詞者が親交を持っていた夫妻に「(非常な苦難にも関わらず)その輝くような希望の秘訣は何ですか」と尋ねたそうです。その答えは、「主のまなざしは一羽のすずめに注がれ、そのお方は私をも見守っていて下さることを知っているということです。」という言葉でした。ここから、この讃美歌が生まれました。