岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第51回) リビングプレイズ69番 「鹿のように」 “As The Deer” ~シンシナティ日本語教会主催

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第51回) リビングプレイズ69番 「鹿のように」 “As The Deer” ~シンシナティ日本語教会主催

指揮者のために。コラ人のマスキール。
42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
42:2 私のたましいは神を生ける神を求めて渇いています。いつになれば私は行って神の御前に出られるのでしょうか。
42:3 昼も夜も私の涙が私の食べ物でした。「おまえの神はどこにいるのか」と人が絶えず私に言う間。
42:4 私は自分のうちで思い起こし私のたましいを注ぎ出しています。私が祭りを祝う群衆とともに喜びと感謝の声をあげてあの群れと一緒に神の家へとゆっくり歩んで行ったことなどを。
42:5 わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。
42:6 私の神よ私のたましいは私のうちでうなだれています。それゆえ私はヨルダンとヘルモンの地からまたミツアルの山からあなたを思い起こします。
42:7 あなたの大滝のとどろきに淵が淵を呼び起こしあなたの波あなたの大波はみな私の上を越えて行きました。
42:8 昼には【主】が恵みを下さり夜には主の歌が私とともにあります。私のいのちなる神への祈りが。
42:9 私はわが巌なる神に申し上げます。「なぜあなたは私をお忘れになったのですか。なぜ私は敵の虐げに嘆いて歩き回るのですか。」
42:10 私に敵対する者たちは私の骨を砕くほどに私をそしり絶えず私に言っています。「おまえの神はどこにいるのか」と。
42:11 わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。なぜ私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い私の神を。日本聖書協会『口語訳聖書』詩編 42編1-11節


 ■ まえおき
“As the Deer”(『鹿のように』)は、2000年以上にわたる教会音楽の歴史と、1960-70年代アメリカの若者文化が融合して誕生した現代的キリスト教音楽の名曲の一つで、アメリカのシンガーソングライター、マーティン・J・ニストローム(Martin J. Nystrom)によって作詞・作曲されました。
歌詞は、聖書の詩篇42篇1節(「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように 神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます」)等から採られています。

 ♫ リビングプレイズ69番 「鹿のように」
   https://www.netekklesia.com/複製-057詩-復活節の歌-和訳うるわしの白百合  
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 ♫ “As The Deer”
   https://www.youtube.com/watch?v=d48TRWyU2ZY


 ■ 1.“As the deer” の歌詞と聖書
 ~♫ 一節及び繰り返し部(サビ)

作者マーティンが、失恋による深い傷心と伝道活動の行き詰まりで深刻な鬱状態にあった時、ふと向き合ったピアノの譜面台にあった聖書を開いた時、詩篇42編が閃光の如く彼の心に入ってきました。

 _†_ 詩篇42:1-2 _†_
42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
42:2 私のたましいは神を生ける神を求めて渇いています。いつになれば私は行って神の御前に出られるのでしょうか。

その瞬間に湧き出てきた讃美で御言葉に即応したマーティンは、僅か数分で曲を完成させました。

♫ 鹿が水を慕いあえぐように
 わたしの魂はあなたを待ち望みます。

この直後、マーティンは一大変化を遂げましたが、これと似た出来事がヨハネ4章に書かれています。

ヨハネ4:14 …わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」
4:15 彼女はイエスに言った。「主よ。私が渇くことのないように、ここに汲みに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」

この聖書箇所には、イエスとの出会いを通して、「罪を隠して人目を避ける孤独な女性」から「過去を赦され、人々に希望を伝える大胆な伝道者」へと劇的な変貌を遂げた一人のサマリヤの女性が書かれてますが、鬱で苦しみ抜いていたマーティンは、詩篇42編との出会いを経て、「あなただけが私の...(You alone are my... )」と繰り返して歌い始めたのです。

♫ あなただけがわたしの魂の望みで、
あなたを礼拝することを切望します。

♫ あなただけがわたしの力、わたしの盾です。
あなただけにわたしの魂を明け渡しましょう
あなただけがわたしの魂の希望です。
そして、あなたを礼拝することを切望します。

ここでは詩篇28:7も背景になっているようです。

詩篇28:7 【主】は私の力私の盾。私の心は主に拠り頼み私は助けられた。私の心は喜び躍り私は歌をもって主に感謝しよう。

こうして、マーティンとイエス・キリストとの霊的な交わりと祈りの歌 “As the Deer”が誕生しました。
この歌詞には主イエスの御名が出て来ませんが、15年後にリディア・ペダーソン(Lydia Pedersen)により二節三節が付加されたことで、詩篇42編に於ける「苦難の中での切実な渇望と礼拝」の対象はイエス・キリストであることが一層鮮明になりました。実に素晴らしいコラボレーションです。


 ~♫ 二節
二節に入りますが、最初に主イエスの言葉をいくつかご紹介します。
まず、よみがえられたイエス様は、「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています」(マタイ28:18)と、ご自身が天地の王であることを宣言されましたし、私たちを招いてこう言われました。

「わたしはあなたがたを友と呼びました」(ヨハネ15:15)
「だれでも天におられるわたしの父のみこころを行うなら、その人こそわたしの兄弟、姉妹、母なのです。」(マタイ12:50)

マーティンは真っ正面からこのイエス様の呼びかけに答えています。

♫ あなたはわたしの友であり、わたしの兄弟です。
たとえあなたが王であっても。
わたしは他の誰よりもあなたを愛しています
他よりもずっと深くあなたを愛しています。

如何でしょうか、イエス様の呼びかけと讃美による応答が、山びこのようにこだましあっているように感じませんか。これと似た情景が、旧約聖書申命記27:11-26とヨシュア8:33に書かれています。そこでは、奴隷の地エジプトを脱出して約束の地に入り始めた民が二手に分かれ、向かい合った二つの山に立って、契約の言葉を呼び交わしているのです。


 ~♫ 三節
続く三節からは、物質的豊かさよりも「神そのもの」や「みことば」を第一に求めなさい、「まず神の国と神の義とを求めなさい。」(マタイ6:33)というイエス様のメッセージを思い出しますが、それだけではありません。イエス様を愛して慕い求める強い思いが、これ以上望み得ない言葉で表明されています。

♫ わたしは、金や銀よりもあなたを求めます。
あなただけが満足させることがおできになります。
あなただけが本当の喜びを与えるお方です
そして、かけがえのないお方です。(And the apple of my eye)

この四行目、the apple of my eye です。この言葉は、「目に入れても痛くないほど大切なもの」、「瞳のように大切でかけがえのない存在」という意味の英語慣用句ですが、明確な信仰的意図から使われたと思います。
と言いますのは、この慣用句の起源は9世紀にありますが、KJV(ジェームズ王欽定訳聖書、1611年出版)が申命記32:10や詩篇17:8などの翻訳で用いたことから一般に定着した言葉です。そして、その申命記32:10は、神の深い慈しみと揺るぎない愛(ヘセド)を現わす代表的な聖句なのです。

(KJV)申命記32:10 He found him in a desert land, and in the waste howling wilderness; he led him about, he instructed him, he kept him as the apple of his eye.
(新改訳2017)申命記32:10 主は荒野の地で、荒涼とした荒れ地で彼を見つけ、これを抱き、世話をし、ご自分の瞳ように守られた。

如何でしょう、このことを知ると、胸の高鳴りを感ぜずに「あなただけがわたしの宝です。(You alone are …the apple of my eye)」と歌えないですね。

「荒野を出て約束の地に向かう神の民を満たしたのは、金や銀などではなく主の献身的な愛でした。」
「それと同様、救われて御国に向かう私たちを本当に満たすのは、金や銀などではなくあなただけです。」
「私は、そのあなたを、自分の瞳のように愛してます」


 ■ 2.神を渇望する歴史
ここで、この讃美歌“As the Deer”のテキストとなった詩篇42編について触れます。
この詩篇は、ダビデが実子アブサロムの反乱によって極限状態に曝さたことが背景にあると言われます。その渦中にあってダビデが、「苦難に喘ぎながらも、神への深い渇望と救いの希望を持ち続けた信仰」を歌った原詩を、後に神殿の聖歌隊として仕えた「コラの子孫」が礼拝で歌えるように編集・伝承したと考えられてます。
 
ただこの詩篇は、ダビデの個人的体験から突然降って湧いてきたものではなく、創世記以来の信仰者たちが継承し培ってきた信仰を土台にしているだけでなく、神の国の完成に至る“救いの啓示”の一つでもあります。
と言いますのは、この詩篇では「エルサレム神殿を遠く離れ、異教徒の中で『お前の神はどこにいるのか』と嘲笑されながら神を慕い求める姿」(42:3-4)が歌われていますが、ダビデから約400年後のバビロン捕囚で現実となり、この詩篇は捕囚民の間で歌い継がれ、彼らの信仰を支えることになりました。それと同時に、バビロン捕囚により不信仰を裁かれた神は、預言者エレミヤ、イザヤ、エゼキエル等を用いて“救いの啓示”を前進させ、「涸れた谷で水を求める鹿のように、魂が直接『生ける神』を渇望する」より深い霊的な信仰を培って下さいました。
 (2026年5月17日 礼拝説教 https://www.jesusgivesyourest.com/message/detail.php?id=341 参照)
そして、さらに時代を下ると、神は御子イエスを天から遣わし、「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません」(ヨハネ4:14)と、詩篇42編で示された救いの啓示をいっそう具体的にして下さりました。
そのイエス様は、しばしば弟子たちと詩篇を歌われました。最後の晩餐からゲッセマネの園に向かった時の讃美(マルコ14:26)は 「ハレル」(詩編113編~118編)だったと考えられています。また弟子たちにより、「マリアの讃歌」(ルカ1:46-55)、「ザカリヤの讃歌」(1:68-79)、「シメオンの讃歌」(2:29-32節)と言った詩篇以外の新しい讃美歌も創作されましたし、使徒パウロは、キリストの受肉、十字架、復活、高挙を讃えた通称「キリスト讃歌」(ピリピ2:6-11)や「宇宙的キリスト讃歌」 (コロサイ1:15-20)を書簡で引用しています。
神殿を中心とした讃美の伝統は、西暦70年のディアスポラ(離散)により、途絶えてしまいましたが、礼拝の場はエルサレム神殿から世界に広がり、福音が宣べ伝えられた至る所で讃美が湧き上がるようになりました。


 ■ 3.詩編42編による讃美歌の歴史
その後讃美の歌そのものは、その時々の時代性、民族性の受容、表現手法の変化等の影響を大きく受けて今日に至っていますが、この片鱗を、讃美歌21(1997年出版)で垣間見ることが出来ます。その130番から132番に、詩編42編を歌いながらも音楽的伝統(ルーツ)の違いが際立った3曲が収録されています。

♫ 130番 「涸れたる谷間に」
このメロディーのルーツは、16世紀の宗教改革という激動の時代、スイスのジュネーブで編纂された「ジュネーヴ詩編歌」(カルヴァン派の讃美歌集)にありますが、国境を越えてドイツのルター派教会のコラールにも取り入れられ、"Wie nach einer Wasserquelle" (泉を求めるように)等のタイトルや他の歌詞で親しまれました。
このメロディーを基にしたJ.S.バッハやメンデルスゾーンなどによる作品が多く残っています。

♫ 131番 「谷川の水を求めて」
作曲は高田三郎(「典礼聖歌」1974がオリジナル)で、先唱者(ソロ)と会衆(全員)が交互に掛け合うように歌う「詩編応唱」の形式をとっています。この形式はカトリック教会の伝統で、その起源は古代ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)での礼拝にまで遡ると言われますが、大きな変遷と再構築を経て今日に至っているようです。

♫ 132番 「涸れた谷間に野の鹿が」
日本の教会で長年歌い継がれてきた名曲、讃美歌(1954年版)322番「神よ、おじかの」の歌詞が、ここでは“新しい翻訳”に変えられています。原曲は、近代イギリス教会音楽の発展に大きく貢献した音楽家・指揮者J.バーンビー(Sir Joseph Barnby, 1838-1896)により1861年作曲されました。彼はI.ウォッツやウェスレー兄弟とも繋がりがあり、バッハのマタイ受難曲をイギリスに紹介したことでも知られています。

♫ “As the Deer”
そして1981年、教会音楽の伝統を守りながら「その時代の人々が心を開きやすい音楽スタイルで神を讃美する」名曲の一つ“As the Deer”が誕生しました。


 ■ 結びの奨励 「主の御言葉は永久に」
詩編42編は古くから非常に愛されてきただけに、この詩篇を歌う讃美歌は万華鏡のように多種多様です。しかし、それでもなお「われわれの神の言葉は とこしえに変ることはない」(イザヤ40:8、口語訳)のです。
と言いますのは、1947年に初めて発見された死海文書により、詩篇42編ばかりか旧約聖書のテキストが、約2000年前の時点で現在の聖書(マソラ本文など)と非常に高い精度で同一内容だったことが確認されているからです。創世記から始まる神の言葉が、「天の星のように、また海辺の数えきれない砂のように数多くの」(ヘブル11:12)信仰者によって受け継がれてきたことが証明されているのです。
私たちが詩篇42編を歌う時、ダビデ以降の信仰者たちが口にした言葉で、私たちも讃美しているんですね。

最後に一つ。私たちが詩篇42編の讃美歌を歌う時、「すべての点において、私たちと同じように試みにあわれた(ヘブル4:15)イエス様が一緒に歌ってくださっている」と信じて良いことです。
そもそも詩篇は、如何なる状況でも神に希望を見出す信仰者の深い祈りですが、特に詩篇42編全体は、最後の晩餐、ゲッセマネの園、そして十字架上に於けるイエス様の「苦難」「神への渇き」「魂の悶え」といった霊的経験と重なっているからです。

詩篇42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
42:2 私のたましいは神を生ける神を求めて渇いています。いつになれば私は行って神の御前に出られるのでしょうか。

主イエスは十字架上で叫ばれました。
 「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)。
 「わたしは渇く」(ヨハネ19:28)。

しかし事実、父なる神様はイエス様をよみがえらせ、天に昇らせ、ご自身の右に座らせて、イエス様の“渇き”を完全に潤して下さりました。しかもその「死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。」(ローマ8:34)
イエス様は、私たちのつたない祈りや讃美を、完全な讃美と祈りに変えて父なる神に届けて下さります。
主イエスは私たちにこう呼ばわります。

「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。わたしは渇く者に、いのちの水の泉からただで飲ませる。」(黙示録21:6)

アーメン

♫ 参考YouTube
・リビングプレイズ69番 「鹿のように」
 https://sanbikashi.net/as-the-deer/
・原歌詞 “As The Deer”
 https://www.youtube.com/watch?v=d48TRWyU2ZY



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2026年 メッセージ一覧

岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第51回) リビングプレイズ69番 「鹿のように」 “As The Deer” ~シンシナティ日本語教会主催

“As the Deer”(邦題:『鹿のように』)は、アメリカのシンガーソングライター、マーティン・J・ニストローム(Martin J. Nystrom)によって1984年(1981年とする資料もあり)に作詞・作曲されて以来、数十とも言われる多くの言語に翻訳され、国境や教派を超えて親しまれている現代的讃美歌(ワーシップソング)です。聖書の詩篇42篇1節(「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように 神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます」)等から採られた歌詞が、非常に優しく静かなメロディーに載せて祈りの如く歌われます。

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岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第49回) 讃美歌148番「すくいのぬしは ハレルヤ」Christ the Lord is Risen Today ~シンシナティ日本語教会主催

讃美歌148番「すくいのぬしは ハレルヤ」は、キリスト教の最も重要な祝日の一つであるイースター(復活祭)を記念して歌われる代表的な讃美歌です。十字架上で贖いの死を遂げて下さったイエス・キリストの復活により、イエスを信じる全ての人に罪の赦しと永遠の命がもたらされた喜びを、ハレルヤ(主を誉めよ)の合唱とともに高らかに歌い上げます。

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岡本牧師と共に味わう讃美の力 (第47回) 「His eyes is on the sparrow (一羽の雀)」(新聖歌285番「心くじけて」) ~シンシナティ日本語教会主催

讃美歌には人々を慰め励まし立ち上がらせる不思議な力があります。今日ご紹介する「His eyes is on the sparrow(一羽の雀)」(新聖歌285番「心くじけて」)もその様な名曲です。作詞者が親交を持っていた夫妻に「(非常な苦難にも関わらず)その輝くような希望の秘訣は何ですか」と尋ねたそうです。その答えは、「主のまなざしは一羽のすずめに注がれ、そのお方は私をも見守っていて下さることを知っているということです。」という言葉でした。ここから、この讃美歌が生まれました。