2026年05月17日 礼拝説教 「新しくされ力づけられる希望の日、ペンテコステ」 ~シンシナティ日本語教会

2026年05月17日 礼拝説教 「新しくされ力づけられる希望の日、ペンテコステ」 ~シンシナティ日本語教会

使徒2:1-17
2:1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
2:2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
2:4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。
~中略~
2:12 人々はみな驚き当惑して、「いったい、これはどうしたことか」と言い合った。
2:13 だが、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲る者たちもいた。
2:14 ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた。「ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私のことばに耳を傾けていただきたい。
2:15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っているように酔っているのではありません。
2:16 これは、預言者ヨエルによって語られたことです。
2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
日本聖書協会『口語訳聖書』使徒行伝 2章1-17節

■導入
今年のペンテコステ(聖霊降臨日)は来週5月24日なので一週間早いですが、今日は、ペンテコステ(に於けるキリストの教会誕生)の原点と、そこから今日に至る神の恵みの御業について聖書を探求して参ります。


■1.ペンテコステの出来事
 _†_ 使徒2:1-4 _†_
使徒2:1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
2:2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
2:4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。

2章1節に「五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。」とありますが、ここにはとても大切なことが書かれてます。それは、「主イエスの十字架とペンテコステが、旧約の三大祭りの制定から凡そ1500年後に、ピタッと符合する様に起きた」と言うことです。

(1)五旬節とは
五旬節とは、旧約聖書のレビ記23章、申命記16章で定められた旧約の三大祭り(過越の祭、七週の祭り、仮庵の祭り)の一つ、「七週の祭り」を指すギリシャ語「ペンテコステ」の日本語訳で新約聖書で使われます。なお「七週の祭り」は旧約聖書の文脈で使われます。この祭りは、収穫感謝の祭りであり、また「過越から50日目にシナイ山で律法を与えられたことの記念日」でもあります。

 _†_ 出エジプト24:12 _†_
24:12 【主】はモーセに言われた。 「山のわたしのところに上り、そこにとどまれ。わたしはあなたに石の板を授ける。 それは、彼らを教えるために、 わたしが書き記したおしえと命令である。 」

一方の過越は、エジプト脱出の前夜に子羊の血を二本の門柱と鴨居に塗って災いを過ぎ越した出来事(出エジプト12章)で、「過越の祭」はそれを記念する祭りです。

(2)主イエスの十字架と聖霊降臨
そして時至って、主イエスの十字架が「過越の祭」に起き、「過越の祭」から50日後の五旬節で聖霊が降臨(ペンテコステ)しました。

(3)旧約から新約へ
このように、「主イエスの十字架と、それから50日後の聖霊降臨との組み合わせ」が、「過越と、それから50日後にシナイ山で律法を受けた出来事の組み合わせ、この二組の出来事がエジプト脱出から凡そ1500年の時を隔てて、「歴史は繰り返す」様にして起きたのです。
しかも聖霊降臨は、主イエスの指示(使徒1:4-5)に従って同じ場所に集まっていた時、そこで起きたのです。

従って、「五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。」(使徒2:1)との書き出しは、「聖霊降臨の出来事は単なる偶然ではなく、神が私たちの救いのため摂理されていたことが実行された」ことの証言です。


■2.「救い主の派遣が約束(預言)された時代」 ~旧約聖書
 _†_ 使徒2:12-16 _†_
使徒2:12 人々はみな驚き当惑して、「いったい、これはどうしたことか」と言い合った。
2:13 だが、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲る者たちもいた。
2:14 ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた。「ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私のことばに耳を傾けていただきたい。
2:15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っているように酔っているのではありません。
2:16 これは、預言者ヨエルによって語られたことです。

ペテロは霊感を受けて、この出来事は預言者ヨエルによって神が約束されたことの成就だと説きました。
ところで、実はこのヨエルの預言に先行して、ペンテコステの原点となる旧約預言が存在するのです。

では、しばらくの間使徒行伝2章から離れて1500年ほど遡り、ペンテコステの原点となった「モーセの預言的願い」と言われる出エジプト道中の出来事に目を向けてみましょう。

 モーセの預言的願い(民数記11:29)

 _†_ 民数記11:24-29 _†_
11:24 モーセは出て行って、【主】のことばを民に語った。そして民の長老たちのうちから七十人を集め、彼らを天幕の周りに立たせた。
11:25 すると【主】は雲の中にあって降りて来て、モーセと語り、彼の上にある霊から一部を取って、その七十人の長老に与えられた。その霊が彼らの上にとどまると、彼らは預言した。しかし、重ねてそれをすることはなかった。
 ...中略
11:28 若いときからモーセの従者であったヌンの子ヨシュアは答えて言った。「わが主、モーセよ。彼らをやめさせてください。」
11:29 モーセは彼に言った。「あなたは私のためを思って、ねたみを起こしているのか。【主】の民がみな、預言者となり、【主】が彼らの上にご自分の霊を与えられるとよいのに。」

この出来事の背景には、シナイから約束の地に至るまでの荒野の道中ずっと神の言葉に反抗的で頑迷だったイスラエルの民の姿が見え隠れしています。
旧約時代、聖霊は特定の指導者や預言者にのみ与えられ、しかも一時的でした。この時も70人の長老たち他が神の霊を受けて預言したのですが、ヨシュアはこれを止めさせようとモーセに進言しました。
それに対してモーセは、個人の嫉妬や権威を超え、神の民全体が神の霊に満たされることを願ったのです。
この「モーセの預言的願い」が出エジプトとの民に同行していた受肉前のイエスに聞かれていたのです。

 _†_ Ⅰコリント10:1-4 _†_
10:1 兄弟たち。あなたがたには知らずにいてほしくありません。私たちの先祖はみな雲の下にいて、みな海を通って行きました。
10:2 そしてみな、雲の中と海の中で、モーセにつくバプテスマを受け、
10:3 みな、同じ霊的な食べ物を食べ、
10:4 みな、同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らについて来た霊的な岩から飲んだのです。その岩とはキリストです。

この後、神の民は約束の地に入り、ダビデ王国が樹立されましたが、民の不信仰故に王国は分裂しバビロン捕囚により滅び、その後は独自の国家を持てず、他国の支配下で自治を認められて存続しました。
しかし神はその間も来るべきペンテコステについて、預言者ヨエルやエレミヤ、エゼキエルを用いて啓示を続けられました。

まず、エレミヤの預言です。

 _†_ エレミヤ31:31-33 _†_
31:31 見よ、その時代が来る──【主】のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。
31:32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破った──【主】のことば──。
31:33 これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである──【主】のことば──。わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

ここで約束された〈新しい契約〉とは、シナイ山での契約のように石の板(出24:12)にではなく、人の心のただ中に書き記されるとあります。それは御子イエス・キリストの贖いによる契約です。

また、預言者エゼキエルを通しては、

 _†_ エゼキエル36:26-27 _†_
36:26 あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。
36:27 わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行うようにする。
 (この表現はエゼキエル11:19-20で初出)

これもキリストの十字架と聖霊の内住によって実現する「新しい契約」の預言です。ただ、他の聖書箇所と比べると非常に特異な表現が使われています。26節の「肉の心」と言う言葉です。
一般的に「肉」は、人間の弱さや罪を意味する否定的な言葉です。ところがここでは、「神の恵みを受け入れ、神に応答できる血が通った柔らかい心」を象徴し、「石の心」すなわち「罪に支配され、頑なで冷たい心」と対比されてます。
この「石の心から肉の心へ」という変革が実際にコリント教会で起きたことが聖書に記されてています。

 _†_ Ⅱコリント3:3 _†_
3:3 あなたがたが、私たちの奉仕の結果としてのキリストの手紙であることは、明らかです。それは、墨によってではなく生ける神の御霊によって、石の板にではなく人の心の板に書き記されたものです。

もう一箇所、旧約預言をお話して使徒行伝に戻ります。ペテロが説教で引用したヨエル書です。

 _†_ ヨエル2:28-32 _†_
2:28 その後、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見る。
2:29 その日わたしは、男奴隷にも女奴隷にも、わたしの霊を注ぐ。
2:30 わたしは天と地に、しるしを現れさせる。それは血と火と煙の柱。
2:31 【主】の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。
2:32a しかし、【主】の御名を呼び求める者はみな救われる。...

とあります。
霊感を受けたペテロが、ヨエルの預言を解き明かしたのが使徒2:17以下です。

 _†_ 使徒2:17 _†_
使徒2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。

・ヨエルが告げた〈その日〉(ヨエル2:29)、〈終りの時〉が今日到来して聖霊の注ぎが始まった。
・老若男女(ろうにゃくなんにょ)地位身分の分け隔て無く、すべての人に聖霊が注がれて救われる。旧約預言はここに成就した!

 _†_ 使徒2:20-21 _†_
2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。
2:21 しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。』

・「【主】の大いなる恐るべき日」(ヨエル2:31)すなわち「主の大いなる輝かしい日」、神による最終的な裁きの日は間近に迫った。
・主の御名を呼び求めて救われなさい
とペテロは聴衆に迫ったのです。


■3.「救い主が到来し、救いを完成させた時代」 ~新約聖書
続けてペテロは22節以下で、生涯を捧げて旧約預言や旧約律法の具体的な意味を教えて下さったイエス・キリストを証しします。

 _†_ 使徒2:22-24 _†_
2:22 イスラエルの皆さん、これらのことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行い、それによって、あなたがたにこの方を証しされました。それは、あなたがた自身がご承知のことです。
2:23 神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。
2:24 しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです。

・救いのご計画は何者も阻めず、御心のままに成し遂げられた!
・人知を遥かに超えた神は、十字架上で贖いを成し遂げた御子イエスをよみがえらせ、神と人、人と人との間の敵意、妨げの壁を取り除いてくださった!
 ※2026年4月「讃美の力集会」 “He is our Piece”参照
 https://www.jesusgivesyourest.com/message/detail.php?id=340

 _†_ 使徒2:38-40 _†_
2:38 そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
2:39 この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」
2:40 ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。

ペテロは「悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい」「賜物として聖霊を受けなさい!」と説きました。その「賜物としての聖霊」についてこう約束されていました。

 _†_ エゼキエル36:26-27 _†_
36:26 あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。
36:27 わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行うようにする。

今日は、いくつもの旧約聖書を引用しましたが、神の計画が歴史の中で段階的により深く実現していくことをご理解戴けたことと思います。

モーセによる「預言的願い」がペンテコステで叶う迄に凡そ1500年。そこでキリストの教会が誕生してからさらに約2000年という気が遠くなるような時間が経過した現代もなお私たちに聖霊が与えられています。
未だ記憶に新しいことですが、2026年2月の「讃美の力集会」で取り上げた讃美歌 “Hymn of Promise” 『球根の中には』 で、「聖霊において私たちのうちに内住しておられるキリストが救いの完成へと導いて下さっている事を歌歌っている」とお話ししましたが、その第二節ではこう歌われてます。

 ~♫
 過去は未来へと向かう。
 神秘を内に秘め、その時が来るまでそれは隠され、ただ神だけが知っている
 From the past will come the future;
 what it holds, a mystery, Unrevealed until its season, something God alone can see.

 参照: https://www.jesusgivesyourest.com/message/detail.php?id=338

神が私たちに何をしてくださっているかが分かると、神の愛の凄さ徹底ぶりに圧倒され、神を誉め讃えずにはおられません。


■ むすび
イエスは、最後の晩餐の席上、こう約束されました。

 _†_ ヨハネ14:16-17 _†_
14:16 そしてわたしが父にお願いすると、助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださ
14:17 この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。

このイエス様の約束が実現し、私たち一人ひとりに聖霊によって主イエスが内住して下さる事で、かつては「石の心」だった私たちの心は「肉の心」のように暖かく柔らかくされています。
しかし現実問題として、この世界は、
 ・神の恵みによって、新たに柔らかい「肉の心」にしていただいた信仰者
 ・神を拒み、頑に「石の心」にとどまる方々
との玉石混淆状態です。変な喩えですが、肉まんが角の鋭いゴツゴツした砕石と一緒に器に入れられてガッシャガッシャと揺すぶられているようなものです。そのような世間で揉まれれば「柔らかい心」の持ち主は傷だらけになりたまったものじゃありません。しかし、主イエスはその私たちを祝福してくださっています。文語訳聖書でお読みします。

 _†_ マタイ5:5、文語訳 _†_
5:5 幸福(さいはひ)なるかな、柔和(にうわ)なる者。その人は地を嗣(つ)がん。

このお方が聖霊に於いて私たちの内に住まい、最後の勝利へと導いて下さっています。
“at the last, a victory”です。
私たちは、なんと素晴らしい霊的現実に生かされていることでしょう!


添付ファイル (パスワード不要)

本記事にパスワード不要の添付ファイルはありません

添付ファイル (要パスワード)

本記事に要パスワードの添付ファイルはありません