詩篇は、原語で「讃美の歌」という意味で、祭儀で歌われた詩篇もあったようですが、今も生き生きと息づく人間の「生活の歌」「魂の歌」です。神と共に歩む人が体験するさまざまな感情が、生々しく記されてます。喜びや感謝の心ばかりか、憤りや恐怖、後悔や失望した心から発せられた讃美も数多くあります。そして、さまざまな状況の中でどのようにして神に信頼し、畏(おそ)れる心を持ち、主に希望を持つことができるのかが体験に基づいて歌われています。
詩篇が多くに人に愛されている理由の一つは、その詩の言葉が神の言葉でありながら、限りなく人間の視点で表現されていて読者の共感を呼ぶからです。そしてそこから、私たちは喜怒哀楽のすべてが讃美に変わる秘密を学んでいます。
イエス・キリストご自身、詩篇を愛し、詩篇はご生涯の一部になっていました。あの十字架のお苦しみの中で発せられた言葉も詩篇でした。主イエスは、詩篇の中に、神の御子救い主としてのご自分が投影されていることをはっきり証しされました。
その詩篇を読み解くうえで鍵となる言葉をいくつかあげてみましょう。
(1)「神を信頼せよ」です。如何なる時も私たちは心を神に向け、神に信頼し、神に祈るのです。神は答えてくださいます。そこから、深い喜びと、讃美が湧き上がります。「魂よ。ただひたすら神を信頼せよ。」
(2)二つ目は「神のいつくしみ」です。原語は「ヘセッド」で、全ての人に与えられる一般恩恵とは別に、“神の民”への特別な愛情と誠実さ、祝福のことです。
(3)三つ目は「正しい者、悪しき者」です。詩篇は、人をこの二種類に峻別します。倫理・道徳・法律的善し悪しではありません。正しい者とは、自分の弱さ愚かさ罪深さを悟り、心砕けて神に頼る人のことです。悪しき者とは、自らを正しいとし、自分を頼みとし、神を神としない人のことです。また、「悪しき者」は、罪を擬人化した表現でもあって、その悪しき人を支配する罪を憎んでいます。
詩篇は私たちを、神にあって祝福される者へと招いています。
