この主イエスの言葉は、御自身が十字架に掛かられる前夜、非情とも言える試練を受けようとしていた弟子たちに向けられた激励と祝福です。そして今、新型コロナウイルス禍の只中にあって「いのちを守る」という人類共通の課題に取り組んでいる私たちに向けられた言葉です。
この禍中にあって「いのちを守る」為には、人同士の直接的接触を控え物理的距離を取らねばなりませんが、同時に、孤立しがちな人々と“絆”で結び繋がって励ましあい、この試練に一緒に勝利していくのです。
ところで、物事の道理でもありますが、その困難に立ち向かって勝利する為には、まず戦う“相手”の本質を聖書に導かれて霊的に洞察しなければなりません。この時の為に主イエスは素晴らしい模範を示して下さりました。ルカによる福音書4章に記された「荒野での三つの誘惑」です。
第一は“生きる為”の誘惑で、『人はパンだけで生きるものではない』と主イエスは勝利されました。この誘惑の狙いは、目の前の現実、“地上のこと”で人の心を縛り、目を“天”に向けさせないことです。人間は獣と違って霊的な生き物です。霊的に養われてこそ人間らしく生きられるのです。「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらない」(ルカ12:15)のです。
第二は“何を第一にするか”の誘惑で、『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と勝利されました。私たちの人生を確かにしよう、幸せになろう、として何を第一にするかです。私たちは、御子イエスを十字架に掛けてまでして私たちの罪を赦し、永遠のいのちを授け、滅びから救い出し、幸いな者として下さる神を第一にします。主イエスの十字架に至る謙りの御生涯は、人間の目には無力で悲惨に見えます。しかし、神を第一とする究極の報いはイエスの復活により実証されました。地上的な権勢と繁栄を第一にすることは『奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ』(平家物語/祇園精舎)です。
第三の誘惑は“神への信頼”への挑戦で、『主なるあなたの神を試みてはならない』と勝利されました。神を試みるとは、自分の願望を満たすか否かで神への態度を決する思い上がった態度です。私たちは、旧新約聖書を通して御自身を明らかにしておられる神に全幅の信頼を置きます。
こうして「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶ」(ヨハネ15:5)のです。
