この聖句により、どんなに多くの人が慰め励まされ試練から立ち上がったことでしょう!
6月最初の祈祷会(オンライン)のことです。聖書箇所としてS姉が選んで下さった1節から13節迄を輪読会形式で読み進めた時、参加者全員が新鮮な驚きに包まれたのです。「私たちが親しむ13節の前に、出エジプトの道中が記されていたんだ!」と。聖書とは不思議な書物です。それまで気に留めなかった箇所が、突然私たちの心を捉えたからです。
このパウロの書簡は、まずコリントの教会の人たちに宛てられました。彼らが神の約束を信じて生きようとし始めたとたん様々な試練と誘惑に遭い、信仰から脱落する人が少なくなかったからです。そこでパウロは、新約時代の信徒の教訓としても書かれた旧約聖書から出エジプトの出来事を取り上げ、イエス・キリストにより救われ御国に向かって生涯を歩む信仰者を訓戒したのです。
イスラエルの民が神の臨在の雲の下で導かれ紅海を渡った出来事は、“死と滅びに支配された古い生活(エジプトの生活)と決別して神に従う旅路を踏み出した”点で、「バプテスマ」(信仰生活出発の際の洗礼)を受けた出来事でした。そして、主のしもべモーセの指導下に入ることでもあったので、「モーセにつくバプテスマ」とも言われます。
また、彼らと共に荒野を歩まれた霊的な岩が先在のキリストであり、彼らが食べたマナ(出エジプト16:4)や彼らが飲んだ岩からの湧き水(同17:6、民数記20:11)には、“神の養いの恵みに与る”という点で聖餐式のパンとぶどう酒(御霊の食べ物、飲物)に比すべき恵みがあったのです。
死と滅びの地、エジプトから「みな」助け出され、恵みを「みな」味わい、約束の地へ「みな」行けるはずだったのが、その道中の不信仰と犯した罪ゆえに、「みな」がカナンの地に入れたのではなく、大多数の者は失格者として荒野で滅びてしまいました。救いを保証するのは、洗礼や聖餐といった“経験”ではなく主イエスへの信仰です。
この旧約の民の実例に基づく奨励が13節です。聖書は試練の中での神の守りを約束します。神は真実(信頼に耐える)です。神は御自分に依り頼む人にその力量を超えた試練を与えず、試練と共に必ず逃れる道も備え、神は真剣に試煉・誘惑と戦う者の道を開いて下さります。
