「幸いなアレ 酔った虎と龍よ、レアな祝いさ」

「幸いなアレ 酔った虎と龍よ、レアな祝いさ」

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「幸いなアレ 酔った虎と辰よ、レアな祝いさ」

--- ここからは、岡本の文章です ---

ウィットに富んだ回文に可愛らしいイラストが添えられた素敵な年賀状を今年も頂きました。アレ(A・R・E)のおかげで虎も登場です。
十二支には諸説ありますが、中国戦国時代の天文学に12の動物が当てられ、推古天皇(6-7世紀、日本史上最初の女帝)の時代には日本に伝わり、その後動物の特性にちなんだ迷信俗信が生まれたそうです。

ところで、一月も半分終わった頃になって、ふと「なぜ十二なのか?」と気になりだしました。と言うのは、『十二』は生活の中で使われていて、実用的でかつ美しい数字だからです。私たちは『十二』の中で生きていると言っても過言ではない、と気付いたのです。

・時間 (1年十二ヶ月、1日12x2時間、1時間12x5分、1分12x5秒)、
・音楽 (平均律、キーボードの1オクターブに白鍵盤7個と黒鍵盤5個、計12個)、
・俳句 (人の思いや大自然の素晴らしさを伝えるには、5+7+5ではなく、12音+5音を意識すると作り易いと言われます)

などがあります。十二単衣の十二は「たくさん」という意味で、「十二分」は「十分」を超えた強調です。

『十二』は聖書にもあります。十二弟子、十二使徒、十二部族等々です。「だから『十二』は神聖数字」とも言われますが、聖書は「『十二』という数字そのものが『聖』だ」とは言っていないようです。
ただ、『十二』の意味を知る手掛かりとなる聖句があります。

「あなたは十二宮をその時にしたがって引き出すことができるか…」(ヨブ38:32 、口語訳)

ここで、十二宮 (黄道上にある12の星座の総称) の運行を治めているのは創造主だと告げられていることから、「十二何某」は創造主の御業、主権、摂理によることを現しています。

このヨブ記が書かれた年代特定は難しいそうですが、紀元前7世紀以前なのは確実です。
十二宮は、てんびん座を除くと全てシュメール時代 (紀元前3000年以前) までさかのぼれるそうで、人類は文明発祥当時から、天体運行、時間、季節の移り変わりと言った自分たちを支配する法則に気がつき、それに従って繁栄しようとしていたのですね。

旧約聖書の詩篇に、こう記されています。

「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。」(詩篇19:1、口語訳)

万物は神の栄光(素晴らしさ)を現しています。そこに神秘を感じるだけでなく、その存在が拠って来たるところ、天と地の万物を創造し、今も摂理(導き治める)しておられるまことの神様に想いを馳せていただきたいと願うばかりです。

作品リスト

 

「幸いなアレ 酔った虎と龍よ、レアな祝いさ」

「幸いなアレ 酔った虎と龍よ、レアな祝いさ」

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「納豆とツナ」  ~♫ ハーモニーを楽しむ ~♫

「納豆とツナ」  ~♫  ハーモニーを楽しむ ~♫

「名は知らず目で愛で手で愛で珍し花」

「名は知らず目で愛で手で愛で珍し花」

→ なはしらずめでめでてでめでめずらしはな ←

「さあ始動! 新年年始 卯年朝」

「さあ始動! 新年年始 卯年朝」

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「黄あり 赤あり 秋」

「黄あり 赤あり 秋」

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「秋 紅葉は 丘を 這うよう コキア」

「秋 紅葉は 丘を 這うよう コキア」

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「芳しき百合散りゆきし晩夏」

「芳しき百合散りゆきし晩夏」

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「蓮 紅く咲くか 明日は」

「蓮 紅く咲くか 明日は」

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「行こうよ花見、皆早う来い」

 「行こうよ花見、皆早う来い」

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回文集 『薔薇を手折らば』

回文集 『薔薇を手折らば』

回文集 『薔薇を手折らば』 大西のり子 著、新風舎 (2005/7/17)