岡本先生と共に味わう讃美の力(1)「慈しみ深き」(シンシナティ日本語教会)

岡本先生と共に味わう讃美の力(1)「慈しみ深き」(シンシナティ日本語教会)

マタイ11:28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。日本聖書協会『口語訳聖書』マタイによる福音書 11章28節

今回取り上げる讃美歌は、「慈しみ深き友なるイエス」です。
聖書の神の御性質、イエス・キリストの福音のすばらしさを余すところなく歌う讃美歌中の讃美歌です。
今日は歌詞の源となった聖書箇所、六つの引照聖句を紐解くことを通して、
救い主イエス・キリストを私たちの友として讃美できる喜びをご一緒に味わいたいと願っています。

【引照聖句1】 マタイによる福音書11章28節
~イエスは私たちを招いておられる~
マタイ11:28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

なんと素晴らしい招きの言葉でしょう。この様な言葉を語れる人が、この世界にいるでしょうか。
この讃美歌「慈しみ深き友なるイエス」では、この招きに与った作詞者の喜びが歌われていますので、
この讃美歌を歌いまた聞く人々も主イエスの招きに与らせる不思議な力をこの讃美歌は持っているんですね。

ここで29節についても、どうしてもお話ししたいのです。
マタイ11:29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。

29節で「わたしは心が柔和でへりくだっている」とイエスは言われますが、実は「私イエスが、あなたの王」であると言っておられるのです。

旧約聖書には、私たちを治めて下さる王が来られることが預言されていました。
ゼカリヤ9:9 娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。

この預言が成就したのが、イエスがロバの子に乗ってエルサレムに入城された出来事です(マタイ21章)。

この世の権力者たちは思うがままに力を振るいます。しかし弱者を顧み寄り添い、たましいに安らぎを与える力を持ちません。友にもなれません。
では、「柔和でへりくだっている」イエスは、私たちの王として何をしてくださっているでしょうか。
(1)イエスは、私たちを死と滅びから救い出すために、私たちの罪を身代わりに負って十字架に掛かり裁きを受けて死んで下さりました。神の御子が自分のいのちを捧げて、私たちの罪の赦しをもたらして下さりました。
(2)イエスは墓に葬られて三日目に蘇られたことで、イエスは私たち人間の最大の敵、死に勝利された王であることが明らかになりました。
このイエスが私たちの王となり私たちを治めて下さるので、永遠のいのちと蘇りの希望は確かです。

【引照聖句2】 出エジプト記 33章11、14節
~顔と顔を合わせて~
第二の引照聖句ですが、まず歴史的背景をお話します。
モーセがシナイ山で十戒を授かった出来事は有名ですが、シナイ山の麓にいてモーセの帰還を待ちきれなくなった人々は、事もあろうに偶像を作りお祭り騒ぎをするという背信行為に走ってしまったのです。
この時主はモーセに言われました。「こんなに罪深いあなた方と一緒に私が行けば、道中あなた方を裁いて滅ぼしてしまうだろう。だからもう一緒に行かない」と。
しかしモーセは、主が荒野の旅に伴って下さるよう懸命に執り成しをしました。この時の事がこう記されてます。
出エジプト33:11 【主】は、人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセと語られた…

のです。主は、罪人の頭であるモーセの執り成しと祈りに傾聴して下さり、
出エジプト33:14 主は言われた。 「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。 」

「人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセと語られた」神は、永久に変わることはありません。聖書の御言葉を通して働かれる聖霊によって、私たちと「友と語るように,顔と顔とを合わせて」お語り下さります。それが礼拝であろうと個人的なディボーションであろうと同じです。

【引照聖句3】 箴言 18章24節
~友なるイエスは、兄弟よりも私を愛して親密でいて下さる~
第三の引照聖句は箴言です。格言としても優れた教訓を豊に与えてくれる聖書箇所です。
箴言18:24 多くの友に関わる人は身を滅ぼす。しかし、兄弟以上に親密な友人もいる。

この新改訳2017よりもヘブル語本文のニュアンスがよく判る他の翻訳をご紹介しましょう。
【新共同訳】 友の振りをする友もあり/兄弟よりも愛し、親密になる人もある。
【NIV】A man of many companions may come to ruin, / but there is a friend who sticks closer than a brother. 
※NIV :New International Version (新国際版聖書)

如何でしょう。ところで、この箴言は一人の人を指し示しているとも言えないでしょうか。そう、天地万物、人間をも創造された神でありながら肉体をとり人間の形になられた御子イエス・キリストです。

【引照聖句4】 詩篇 13篇5節
~友なるイエスは、慈しみ深いお方~
次に第4の引照聖句ですが、この13篇の詩篇記者は、長引く苦難の中で〈いつまでですか〉と祈りつつ、自分ひとりで耐え忍ばねばならない苦しみと悲しみを神に訴えました。
母親と幼子が目と目を合せて愛情を確認するように、神の守りを確認させて下さいと願い求めたんです。
そして、正しい者の叫びを決して拒まれない神の慈しみに拠り所を見いだした詩篇記者はこう言っています。
詩篇13:5 私はあなたの恵みに拠り頼みます。私の心はあなたの救いを喜びます。

ここで「恵み」と翻訳されたことばがヘブル語のヘセドで、「いつくしみ」とも翻訳されます。
この「いつくしみ」は、聖書の神の御性質、イエス・キリストの福音の中心を現す言葉で、
人と人との間では使われません。
この神の「いつくしみ」とは、どのようでしょうか、
-ご自分のひとりごイエスを犠牲にしてまで、何とかして人を救おうとされる
-その御子イエス・キリストを救い主として受け入れ信じる者に、無代価で溢れるばかりに注いで下さる
-自分の力ではどうすることもできないでいる人々に寄り添い、救いの手を差し伸べて下さる
これが「いつくしみ」です。このような神様の愛を知った詩篇記者だからこそ
13:6 私は【主】に歌を歌います。主が私に良くしてくださいましたから。

と歌い、また今日の讃美歌の作者もこのような恵み、慈しみを讃美歌に著せたのですね。

【引照聖句5】 ヨハネによる福音書15章13~15節
~友なるイエスは、私の罪を贖って下さった~
神の慈しみ、ヘセドの頂点が第五の引照聖句に記されています。
15:13 人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
15:14 わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。
15:15 わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。

イエスはこう言っておられます。
「あなたのいのちを守るうえで無くてはならないこと、それはあなたの罪が赦され滅びから救われることです。
だから私イエスはあなたの友となりいのちを捨てました。私は十字架にかかりあなたの罪を贖いました。
これがあなたを愛する私イエスの愛です。」「この愛があなたに伝わるなら、わたしが命じることを守りなさい。 わたしにつながっていなさい(ヨハネ15:4)、互いに愛し合いなさい(ヨハネ15:12)。
その時、あなたは確かにわたしの友であり、私イエスはあなたの友だと判ります」と主イエスは言われました。

【引照聖句6】 コリント人への第二の手紙1章5節
~使徒パウロも証しする~
第六の引照聖句は、自分自身も神の慰めを受けた使徒パウロの証です。
Ⅱコリント1:4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。

個々での「慰め」とは、旧約聖書108回=JB-H、新約聖書で29回=JB-G)も用いられていますが、人間の状況を変え悲しみを喜びに変える神の力を言います。今日の讃美歌でも歌われる慰めは、この神の力を歌っています。
ほんとうに患難にある人には、私たちはどうにもできない場合が殆どです。たとえ「お気の毒です」と同情の涙を流しても、高いところから低いところへ憐れみを施すようなもので、言葉を掛けられる側は素直に受けとれないのです。私たちは本来真実の慰めの力など持ち合わせてはいないのです。寂しく情けないことですが、認めざるを得ません。

この慰めとは、神があなたと共にいてくださること、「インマヌエル」「神、われらと共にいます」です。あらゆる肉体的、精神的、霊的苦痛のただ中で耐えることができるのは,「われらと共にいます神の慰めによります。そしてこの慰めはただ一時的,個人的なことではありません。
イエスが私たちを愛して慰めて下さることにより、私たちも人を愛して慰められるように変えられます。ですから神の慰めは時間的にも人間関係の中でも無限に広がる力を持っています。
Ⅱコリント1:5 私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです。

最後に、引照聖句6の素晴らしい英語訳をご紹介してメッセージを締めくくります。
【NIV】 2Co 1:5 For just as the sufferings of Christ flow over into our lives, so also through Christ our comfort overflows.


添付ファイル (要パスワード)

本記事に要パスワードの添付ファイルはありません

2021年 メッセージ一覧

岡本先生と共に味わう讃美の力(5) クリスマスイブ スペシャル 「大きな喜び」(シンシナティ日本語教会)

みなさま、メリークリスマス! ただいまの聖書朗読から、皆さまの心には様々の御言葉が心に留まったことでしょう。さっそく、8節から順序立ててお話しいたします。

岡本先生と共に味わう讃美の力(4)「生けるものすべて Let all mortal flesh keep silent」(シンシナティ日本語教会)

クリスマスを凡そ二週間後に控えた今日、讃美歌「生けるものすべて Let all mortal flesh keep silent」と聖書から、神のみ子がこの世にきてくださったその意味と、私たちの神の素晴らしさをご一緒に味わい、喜びを分かち合いましょう。

岡本先生と共に味わう讃美の力(3)「こころみの世にあれど Be Thou My Vision」(シンシナティ日本語教会)

Ⅰ.メッセージをお聞きいただくうえで今日は、讃美歌(「こころみの世にあれど Be Thou My Vision」)の歌詞を辿りながら、そこにちりばめられた宝石のような聖書の言葉の魅力と力をご一緒に味わって参りましょう。聖…

岡本先生と共に味わう讃美の力(2)「驚くばかりの恵み(Amazing Grace)」(シンシナティ日本語教会)

■1.曲の概説 ■今日は「アメイジング・グレイス、驚くばかりの恵み」を取り上げ、聖書と讃美が持つ力をご一緒に味わいましょう。作曲者は不詳ですが、作詞者のジョン・ニュートンは、奴隷貿易で財をなしました。1725…

岡本先生と共に味わう讃美の力(1)「慈しみ深き」(シンシナティ日本語教会)

今回取り上げる讃美歌は、「慈しみ深き友なるイエス」です。聖書の神の御性質、イエス・キリストの福音のすばらしさを余すところなく歌う讃美歌中の讃美歌です。今日は歌詞の源となった聖書箇所、六つの引照聖句を…