岡本先生と共に味わう讃美の力(2)「驚くばかりの恵み(Amazing Grace)」(シンシナティ日本語教会)
背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。日本聖書協会『口語訳聖書』エペソ人への手紙 エペソ2章5節
1.曲の概説
今日は「アメイジング・グレイス、驚くばかりの恵み」を取り上げ、聖書と讃美が持つ力をご一緒に味わいましょう。
作曲者は不詳ですが、作詞者のジョン・ニュートンは、奴隷貿易で財をなしました。1725年イギリスに生まれ、敬虔なクリスチャンだった母親とは7歳で死別し、父の影響で船乗りとなり、その後奴隷貿易に関わり、黒人奴隷を当たり前のように家畜以下に扱っていたそうです。
その彼は、22歳の時に難船しかけたことで奴隷に同情を抱くようにはなったものの、その後6年間も奴隷貿易を続けました。
その彼は、病気を理由に30才で船を降り牧師になりました。そして47才の頃(1772年)、彼の人生を振り返り、主イエスが自分を訪れてくださった「アメイジング」を作詞したのが今日の讃美歌です。
https://www.youtube.com/watch?v=KaoNvYJ0Nd8&list=PLIPYtJeHvvsSJbrir1gq9sx1OYRo5-drx&index=1&t=91s
2.歌詞一覧と聖書について
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上図に日本語と原語(英語)で歌詞を掲載しましたが、日本語訳では原作のニュアンスがあまり伝わってこないのは一目瞭然です。そこで今回は英語歌詞と英語訳聖書NIVを対比させながら、新改訳2017を使用してお話しします。
3.メッセージ
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歌詞 L#1 Amazing grace how sweet the sound
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最初の言葉 《Amazing》は、私たち人間が想像も説明も出来ない「驚くほどの」事柄、奇跡に使われます。
旧約聖書のヨシュア記に、奴隷の地エジプトを脱出した民が、いよいよヨルダン川を渡って約束の地に入ろうとした出来事が記されています。ところが、とうとうと流れるヨルダン川が彼らの前途を阻んでいたのです。
その時神はヨシュアにこう語らせました。
Jos3:5 Joshua told the people, "Consecrate yourselves, for tomorrow the LORD will do amazing things among you."
ヨシュア3:5 ヨシュアは民に言った。「あなたがたは自らを聖別しなさい。明日、【主】があなたがたのただ中で不思議を行われるから。」
これがAmazingな出来事です。人間の力ではなく、あくまでも神の御業がAmazingなのです。
次に 《grace》ですが、聖書ではイエス・キリストによる救いの恵み、恩寵を意味します。そして、その救いが無償であること、資格や宗教的限界を超えてすべての人に及ぶことを強調する言葉です。
Joh 1:14/16 The Word became flesh and made his dwelling among us. We have seen his glory, the glory of the One and Only, who came from the Father, full of grace and truth./From the fullness of his grace we have all received one blessing after another.
ヨハネ1:14/16 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。/私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。
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歌詞 L#2 That saved a wretch like me
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《a wretch》とは、かわいそうな人、見下げ果てた人、人でなし、悪党のことです。
Rev 3:17 You say, `I am rich; I have acquired wealth and do not need a thing.' But you do not realize that you are wretched, pitiful, poor, blind and naked.
黙 3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと言っているが、実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることが分かっていない。
黒人を家畜以下虫けら同然に扱い奴隷貿易で財をなしたジョン・ニュートンは、自分を《a wretch》だったと振り返りつつ神を誉め讃えたのです。
パウロも、次の様に自分を振り返っています。
1Co 15:7-8 Then he appeared to James, then to all the apostles,/and last of all he appeared to me also, as to one abnormally born.
Ⅰコリント15:7-8 その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。/そして最後
に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。
ここでパウロが自分をたとた「月足らずで生まれた者」とは「正常な人間でなく無価値な者」との意味です。キリスト者と教会を激しく迫害したパウロは、自分はそんな 《a wretch》 だったと告白したのです。しかし同時に、「こんな自分を主イエスは自ら訪れて下さった! そして他の使徒たち同様栄えある主の御用に用いて下さった! Amazing Grace以外の何物でも無い! と神を誉め讃えています。
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歌詞 L#3 I once was lost but now am found
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ジョン・ニュートンは「福音書の中の真珠」とも呼ばれるルカ15章の主題、「失われた者を捜し求めて救う神の愛」を歌ったのは間違いないです。ルカ15章に記された三つの譬え話の英語訳を《lost》《found》に注目して下さい。
(1)いなくなった羊のたとえ(ルカ15:4‐7)
Luk 15:6 and goes home. Then he calls his friends and neighbors together and says, `Rejoice with me; I have found my lost sheep.'
ルカ15:6 家に戻って、友だちや近所の人たちを呼び集め、『一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うでしょう。
羊飼いと羊は、詩篇23:1と同じく神と神の民の比喩です。
(2)失われた銀貨のたとえ(ルカ15:8‐10)
Luk 15:9 And when she finds it, she calls her friends and neighbors together and says, `Rejoice with me; I have found my lost coin.'
ルカ15:9 見つけたら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『一緒に喜んでください。なくしたドラクマ銀貨を見つけましたから』と言うでしょう。
最初の羊飼いと羊たとえでは99匹対1匹、この失われた銀貨たとえでは9枚対1枚となり、次のたとえでは1人対1人となっています。神の目には、1人ひとりが価値ある存在なのです。
(3)失われた息子(放蕩息子)のたとえ(ルカ15:11‐32)
Luk 15:24 For this son of mine was dead and is alive again; he was lost and is found.' So they began to celebrate.
ルカ15:24 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』こうして彼らは祝宴を始めた。
この喩えの奥義をパウロは次の様に解き明かします。
Eph 2:5 made us alive with Christ even when we were dead in transgressions--it is by grace you have been saved.
エペソ2:5 背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。
背き、すなわち罪の中で死んでいた私たちを、無論あなたも神はキリストとともに生かして下さったとあります。
主イエスへの信仰による救いは、罪の赦しだけでなく、同時にキリストとの結び付きももたらします。
このキリストとの結び付きとは、主イエスに起った amazing grace、よみがえりの奇跡が私たちのものになっていることです。驚くべき神の恵み amazing graceによって、私たちもキリストにある新しい命に生かされています。
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歌詞 L#4 Was blind but now I see
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この歌詞は、主イエスがシロアムの池で生れつきの盲人をいやされた奇跡と重なります。
Joh 9:39 Jesus said, "For judgment I have come into this world, so that the blind will see and those who see will become blind."
ヨハネ9:39 そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」
amazing graceにより、ジョン・ニュートンの霊的視力は回復しました。しかし頑なに霊的盲目にとどまり続ける人々もいたことには心が痛みます。
実は私も「目が見えなかった者が見えるように」された一人です。日本語歌詞ではこの曲がピンと来なかったのです。しかし今回の準備過程を通して主イエスはこの私をも変えて下さりました。だからこそ、今こうしてAmazing graceを皆さまを分かち合えているのです。
次の節に進みます。
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歌詞 L#5 'Twas grace that taught my heart to fear
歌詞 L#6 And grace my fears relieved
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聖歌229番2節ではこう翻訳されています。
「めぐみはわが身の おそれを消し まかする心を おこさせたり」
ここでは、律法により罪とその裁きとしての死の恐ろしさ《fears》を自覚させられたのも、そこから解放された《relieved》のも神の恵みによるのだと歌われます。いわゆる“救いの秩序(順序)”が歌われています。
律法は罪の恐ろしさに気づかせ、主イエス・キリストの十字架の下へと導きます。そして福音は罪の悔い改めと主イエスに寄り頼む信仰へと導き、罪と死の支配から解放し、永遠の命を得させる義の賜物をもたらします。
Rom 5:20-21 The law was added so that the trespass might increase. But where sin increased, grace increased all the more,/so that, just as sin reigned in death, so also grace might reign through righteousness to bring eternal life through Jesus Christ our Lord.
ローマ5:20-21 律法が入って来たのは、違反が増し加わるためでした。しかし、罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました。/それは、罪が死によって支配したように、恵みもまた義によって支配して、私たちの主イエス・キリストにより永遠のいのちに導くためなのです。
歌詞 L#7とL#8は時間の関係で割愛し、L#9に進みます。
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歌詞 L#9 When we've been there ten thousand years
歌詞 L#10 Bright shining as the sun
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おそらくジョン・ニュートンは、牧師となった後も経歴を理由に揶揄されたり、壁にぶち当たったことでしょう。その彼を鼓舞し、彼を支えたであろう主イエスの言葉をご紹介します。
Mat 13:43 Then the righteous will shine like the sun in the kingdom of their Father. He who has ears, let him hear.
マタイ13:43 そのとき、正しい人たちは彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。
この御言葉が語られた背景を心に留め置くことはとても有益です。43節は、「御国を受け入れない者を神はなぜすぐに裁かれないのか」という弟子たちの疑問に答えて主イエスが話された毒麦の喩え(マタイ13:24-30、36-43)の結びの言葉だからです。
そこで語られたのは、「私イエスは世の終りに刈り手である御使いたちを遣わし、正しい人たちは〈父の御国で太陽のように輝〉くようにする」との約束です。
神を信じた、信じているからといって諸事万端好都合に運ぶとは限りません。この世は因果応報の法則で割り切れるような簡単なものでもありません。
だからこそ、ジョン・ニュートンはマタイ13:43の御言葉に信頼して歌ったのでしょう、「世の中が如何様であれ、今の自分が神の存在や約束を認めがたい現実の中にあっても、究極のAmazing grace、終りの時を待とうではないか」、と。
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歌詞 L#11 We've no less days to sing God's praise
歌詞 L#12 Than when we've first begun
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聖歌229番4節ではこう翻訳されています。
「御国(みくに)につく朝 いよよ高く 恵みのみ神を たたえまつらん」
Rev 5:13 Then I heard every creature in heaven and on earth and under the earth and on the sea, and all that is in them, singing: / "To him who sits on the throne and to the Lamb / be praise and honor and glory and power, / for ever and ever!"
黙 5:13 また私は、天と地と地の下と海にいるすべての造られたもの、それらの中にあるすべてのものがこう言うのを聞いた。「御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が世々限りなくあるように。」
信仰者とは、人の見ないものを見、人の開かない言葉を開いて、臆することなく主を誉め讃え、それを人々に告げるために召された人でもあります。
4.結び
讃美歌としてのAmazing graceは、自分の救われた時の体験を思い出して歌うだけではありません。
主イエスは、今日も、ここに集う私たちに訪れて下さいました。「驚くべき主の恵み」を経験させて下さりました。
そして主イエスは、これからも日々霊的に成長させて下さります。何度も繰り返して自分の霊的成長を「Amazing grace」と主に讃美させてくださります。この地上の日々、イエス・キリストに直接まみえる日まで。
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