クリスマス記念礼拝 「“故郷”に帰る時、クリスマス」

クリスマス記念礼拝 「“故郷”に帰る時、クリスマス」

ルカ2:8 さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。
2:9 すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。
2:10 御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。
2:11 きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。
2:12 あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。
2:13 するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、
2:14 「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。
2:15 御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。
2:16 そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。
2:17 彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。
2:18 人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。
2:19 しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。
2:20 羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。
日本聖書協会『口語訳聖書』ルカによる福音書 2章8~20節

クリスマスはイエス・キリストの降誕を記念して祝う祝日です。その出来事が聖書に次の様に記されています。
 2:10 御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。
 2:11 きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。

降誕劇の中心的な台詞で、幼児さんでも暗唱出来る程の短さですが、クリスマスにお生まれになった方について、聖書の中でも際だって深く高いことが簡潔明瞭に書かれています。それだけに、この聖書の言葉の受け止め方、聴き方は、クリスマスの喜びを大きく左右します。

1.クリスマスが聖書に記された経緯
そこでまず、世界最初のクリスマスの出来事がどの様にして聖書に記されたかをお話ししたいのです。
ひと言で言いますと、「当時の出来事を知る人々による、30年ほど後になってからの証言」によってです。
福音書を読めば判る事ですが、イエスが「救い主」であるとか「神の御子」であると、弟子たちが本当に判ったのは、イエスが十字架に掛かり死んで葬られ三日目によみがり、昇天と聖霊降臨の後になってからです。
それから始まった福音宣教の過程で、イエスに関わる神の御業を実際に見聞き体験した人々の証言を基にしてまとめられたのが福音書です。その経緯の一端がルカ福音書の冒頭に明記されています。ですから、今日の聖書箇所も、「イエスがお生まれになった時、こういう事があった」、との驚きに満ちた偽りなき証言なのです。
ところが、主の御降誕から2000年を経る間に、聖書に書かれていない事柄や演出、迷信が付加され巨大な雪だるまの様になってしまい、あまたの“お祭り”、年中行事のようになり、クリスマスの喜びが隠されてしまいがちなのは真に残念また遺憾なことです。

2.大きな喜び (2:8-14)
さて、クリスマスには色んな喜びがありますが、これだけは外せない喜びがあります。
 2:10 御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。
 2:11 きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。

「あなたの救い主」、あなたの「主であり神」であるお方がこの世に来られたこと、「すべての民に与えられる大きな喜び」、これこそ、クリスマスに決して外してはならない喜びです。

3.最初のクリスマスに招かれた羊飼いたち (2:15-16)
 2:15 御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。

(1)信仰をもって応答した
15節以下からは、御使が告げた「大きな喜び」の告知を、羊飼たちは素直な思いで受け止めて行動に移したことが判ります。なぜそうかと言いますと、羊飼いたちが「行く」、「見る(会う)」という言葉が5回も)繰り返えされていることからです。この言葉は、人が信仰に至る歩みを比喩的に表す言葉で、福音書の特色です。
ですから、羊飼たちは野次馬根性からではなく、“信じよう”という思いから「行こう、見よう」と言ったのです。

(2)羊飼いたちは、聖書を知っていた
このことは次の応答から判ります。すなわち、御使いは「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった」(2:11)と告げただけで、具体的な場所を言っていません。ですが、羊飼たちは即座に「さあ、ベツレヘムへ行って…」(2:15)と言うことが出来たのです。ダビデの町に王が生まれた、それならベツレヘムだ、と繋がってます。旧約聖書には次の様にあります。
◎ダビデの故郷はベツレヘム
 サムエル記上20:6 …『ダビデはふるさとの町ベツレヘムへ急いで行くことを許してくださいと、しきりにわたしに求めました。…』。
◎王はダビデの子孫から生まれること
 エゼキエル37:25 彼らはわがしもべヤコブに、わたしが与えた地に住む。これはあなたがたの先祖の住んだ所である。そこに彼らと、その子らと、その子孫とが永遠に住み、わがしもべダビデが、永遠に彼らの君となる。

こういった聖書を羊飼いたちは知っていたからこそ、「さあ、ベツレヘムへ行こう」となったのでしょう。
マタイによる福音書2章に記された、東の国からやって来た博士たちがエルサレムに着いて救い主降誕の場所を問うた時は、当時の宗教家たちの答えを待たねばならなかったのとは大違いです。

(3)羊飼いたちは、神が約束する王について正しいイメージを抱いていた
羊飼いたちが喜んで応答出来たのは、神が約束する王についてキチンとしたイメージを持っていたからです。
旧約聖書には、ダビデがベツレヘムで勇敢な羊飼だったことが書かれています。
 サムエル記上17:34-35 しかしダビデはサウルに言った、「しもべは父の羊を飼っていたのですが、しし、あるいはくまがきて、群れの小羊を取った時、わたしはそのあとを追って、これを撃ち、小羊をその口から救いだしました。その獣がわたしにとびかかってきた時は、ひげをつかまえて、それを撃ち殺しました。

また、ベツレヘムで生まれる王は、自分たち羊飼いのように自分たちを治めるとの約束もあります。
 ミカ5:2,4 しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちから/わたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである。《中略》彼は主の力により、その神、主の名の威光により、立ってその群れを養い、彼らを安らかにおらせる。今、彼は大いなる者となって、地の果にまで及ぶからである。

羊飼いたちは、きっと日頃から羊の世話をきちんとしていたことでしょう。だからこそ、この御言葉に約束されている王を自分たちに重ねて思い巡らして、この王は自分たちを養い安らかにおらせてくれるお方だと喜び迎えることが出来たのではないでしょうか。
ですから、ベツレヘムで生まれた幼児を訪ねて行く羊飼いたちにとって、その道中は“故郷”に帰って行くような安堵と喜びがあったことでしょう。
事実、クリスマス、この日人間世界に来て下さり、今も尚私たちと共にいて下さるイエスは言われました。
 ヨハネ 10:10-11 …わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。

クリスマスにこの御言葉を聞く時、私たちも天の御国という“故郷”に帰って憩うように安らぎませんか。

4.私たちへの教訓
ところで、この羊飼いたちと対照的なのが、マタイによる福音書2章に記されたヘロデ王。彼は権力維持の為に悲惨な流血を70歳で死ぬまで生涯繰り返し続けた男です。ですから彼は、新しく生まれた「王」を、自分の様な残忍な暴君としてしか受け止められなかったのです。聖書にこう書かれています。
 ガラテヤ6:7-8 まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。

と聖書に書かれているとおり、ヘロデは自分の肉に蒔いて肉から滅びを刈り取ったのです。
人は皆、自分が持っているメガネを通して物事を見てしまいがちです。神についても同じです。だからこそ私たちは、神ご自身がどの様な方であるかを現して下さっている聖書に聞いて神を正しく“見る”ことが大切です。
イエスは、「永遠のいのちを刈り取る」人、「さいわいな人」について言われました。
 マタイ5:3, 8 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。 《中略》 心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。

羊飼いたちのように謙って、神と神の御業を認めることが出来る人は幸いです。

5.結び ~信仰による実り (2:8-14)
その、「大きな喜び」を受け取った羊飼いたちに二つの実りがもたらされたことが聖書に記されています。
一つは、17節です。
 2:17 彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。

「伝える」という行動です。
 2:11 きょう…あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。

私たちは今年もクリスマスを迎えて、この大きな喜びを私たちの子どもに、家族に、友に率直に伝えているでしょうか?また、この喜びを中心にしてクリスマスを楽しんでいるでしょうか。今一度振り返ってみたいです。
もう一つが20節です。
2:20 羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。

羊飼いたちは「神をあがめる、賛美する」生活を始めたのです。
 2:10-11 御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。

さあ、私たちも神が与えて下さった救いの喜びを喜びながら、新しい年に向けて私たちそれぞれの持ち場へと出て行こうではありませんか。

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