「驚き、そして喜ぶ」

「驚き、そして喜ぶ」

ルカによる福音書
1:26 六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。
1:27 この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。
1:28 御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。
1:29 この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。
1:30 すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。
1:31 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。
1:32 彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、
1:33 彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。
1:34 そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。
1:35 御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。
1:36 あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。
1:37 神には、なんでもできないことはありません」。
1:38 そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。
日本聖書協会『口語訳聖書』ルカによる福音書 1章26~38節

1.祖国日本のクリスマス
クリスマスが年中行事になったのは、救い主降誕から何百年も後になってからのことのようです。私たちの国でのクリスマスは、場所によってはハイテクを駆使してより多くの人を集めて喜んでもらおう、地域おこしに、ビジネスチャンスの拡大にと、益々盛り上がっているようです。けれどもその結果、クリスマスに天から地上にもたらされた神の恵みは覆い隠され、人々はそれに気づくことすらクリスマスを過ごしているようで残念です。

2.クリスマスは聖書によって世界にもたらされた
イエス・キリストの降誕を祝う祝日です。その祝い方は、聖書の御言葉に聞き、神を喜び、神を礼拝します。
では、世界で最初のクリスマスの出来事を世界に伝える聖書とはどんな生い立ちなのでしょうか。こういう言い方も出来ます、「後から出来事の真相を知った神を畏れる人々の証言集」です、と。
福音書を読めば判る事ですが、イエスの直弟子たちですら、イエスが「救い主」であるとか「メシア」であると本当に判ったのは、イエスが十字架に掛かり死んで葬られ三日目によみがり昇天してから後のことです。福音宣教の過程で、救い主の出来事を実際に見聞きし実際に体験した人々の証言が文書化されたことは、このルカ福音書の冒頭に明記されています。ですから、今日の聖書箇所に記されたクリスマスの出来事も、イエスの十字架、復活、昇天の後になってから、「イエスがお生まれになる時、こういう事があった」との証言によっています。

3.クリスマスの情景 ~驚き
■神が、救いの恵みを携えて私たちの世界にこられた
マリヤの親戚の女性が身ごもった出来事から六か月目。マリヤは突然驚きの言葉を聞くことになりました。
 ルカ1:28 御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。

「おめでとう」とは「大いに喜びなさい」と祝福する挨拶の言葉です。また、「主があなたと共におられます」とは、旧約聖書の時代からの様々な状況で「あなたをどこにおいても守る」との、神の特別な力付け助けを保証する言葉です。
神は、そのような約束を実行される時、前もって誰にも知らせず、神の最善の時に最善の方法でなさります。神が地上に御子イエスを遣わして、救いの御業を始められた時も、それを実際に目撃・経験した人々は、みな不意打ちで、驚き慌てるばかりでした。この世界で最初のクリスマスの出来事もそうでした。マリアはとてつもない祝福の挨拶を不意に受けたのです。しかし、マリヤには心当たりが全くありません。ですから、
 ルカ1:29 この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。

誰でも心当たりの無いことを突然言われると動揺します。

■神の一方的な恵みを理解出来ない私たち
するとその時、神の御業が初めて明かされます。
 ルカ1:30-31 すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。

御使いはマリヤに、神の一方的な恵みがあなたにもたらされたことを告げます。しかし、マリヤはいくら神からの恵みとは言え、今の自分が「みごもって男の子を産む」ことは大変な驚きであったはずです。それは、この後34節に記された「わたしにはまだ夫がありませんのに」との言葉から判ります。この一言は、この出来事が起こったのは当時のユダヤ人社会の習慣に従って、マリアはまだ夫ヨセフと同棲していない時だったことを知らせてくれます。その様な時に妊娠したならば、事の次第によっては当時の掟により死罪を免れません。彼女の驚きと悩みがどんなに深刻だったか。それは現代の日本の乱れた世の中からは想像不可能です。
マリヤの場合、どうしたら良いか全く判らず、これから先どうなるかも皆目見当が付かなかったことでしょう。神の言葉は、しばしば私たちをマリヤの場合のような緊張感漲る決断を要する人生の分岐点にいきなり立たせます。
 ルカ1:34 そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。

この「どうして、そんな事があり得ましょうか」との言葉が、どんな気持ち・感情から発せらたと皆さまはお考えでしょうか.......。原文を直訳すれば、「そんなことはあり得ません」ではなく、「どのようにしてあるのですか」とマリアは聞いているのです。マリヤは信仰に立とうとしているのです。
もし、私たちが「どうして、そんな事があり得ましょうか」との言葉から「そんなことはあり得ない」との感情を読み取るなら、そこには私たちが御言葉をどう受け止めているかが端的に現れています。私たちはしばしば、聖書を「神の言葉」としてでは無く、「人間が書いた文学作品」、「人の教え」として読んでしまうのです。するとルカ1:30-31の言葉も、「無理無理、実際はあり得ないね」と片づけてしまうのです。この読み方をする限り、「神の一方的な恵み」を聞いても驚くことはないし喜びにも決して結びつきません。

4.クリスマスの情景 ~驚きから喜びへ
■神は、驚き戸惑いつつも信仰に立とうとする者を励ましてくださる
「どうして、そんな事があり得ましょうか」と問うたマリヤに、神はマリヤを励まし、平安へと導いて下さった。
(1)全てのことは「神の一方的な恵み」による
 ルカ1:35 御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。

(2)神は、既に御業を始めておられることを示す
 ルカ1:36 あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。

(3)全能の神への信仰を奮い立たせてくださった
 ルカ1:37 神には、なんでもできないことはありません」。

これは、「あなたにもたらされた神の言葉は、神ご自身が必ず果たされます」、こういう断言です。
神が語られた言葉は必ず現実となることを教える有名な聖句があります。
 イザヤ55:10-11 天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える。このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。

私たちが聖書を開く時、礼拝で説教に耳を傾ける時、この御言葉に向きあっているのです。

■信仰に導き入れられ信仰に立つということ
 ルカ1:38 そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。

・「主のはしため」
「はしため」は女奴隷を意味しますが、聖書では女性が神に向かって、「神さま、あなたは私の主人です」と謙る時の言葉です。
・「お言葉どおりこの身に成りますように」
直訳すると、「私にあなたの言葉に従って成るように」で、成り行き任せのようにも受け取れますが、信じた御言葉を自分自身に結びつける決断を現す言葉です。
・このマリヤの言葉に見て取れること
マリヤに望んだ出来事は、誰が聞いても信じられないほどのことでした。
しかもマリヤの場合、婚約者ヨセフの愛も世間の信望も失って、自分の一生を棒に振りかねず、自分の将来も判らない大ピンチでした。
でも、信仰によって聞いた御言葉を自分のものとした時、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」と、自分を神に委ね、驚き戸惑いから解放され、安堵し喜び将来を期待出来たのです。
聖書に、次の様な御言葉が記されています。
 ヘブル4:2 というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。

御言葉を聞いても信仰をもって御言葉を受け取らないと、聞いたは聞いたで終わってしまいます、
自分の身には何の恵みも受け取らず仕舞いで終えます。他方、御言葉を自分に結びつけて、「主が共にいてくださる」なら、素晴らしい意味で、神は私たちの人生を全く変えて下さいます。

5.私たちの驚きと喜び
 ルカ1:28 御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。

「おめでとう」、「おおいに喜びなさい」 ここにいる一人ひとりへの神さまからのお祝いのことばです。
神は、私たちを「恵まれた人」、「主があなたと共におられます」でなければありえない人生へと招いておられます。しかもその人生は、地上の短い人生のことだけでなく、永遠の天の御国にまで繋がっています。
私たちに対する慰めの言葉は、色々あります。病気の時の慰めは「治ります」でしょうし、困難や失敗した時には「大丈夫」といった確かな励ましでもあるでしょう。
しかし、どんな時にも誰にでも通用する慰めの言葉は、「主があなたと共におられます」です。
病気が治り、人生が思い通りになったとしても、年をとり老いてゆくことを止める方法はありません。
そういう中にあって、嬉しい時にも悲しい時にも、どんな時にでも、力となり慰めとなるのは、「主があなたと共におられます」、この言葉であり、「主があなたと共におられます」という事実です。
クリスマスの驚きと喜び、それは「恵まれた人よ、おめでとう、主があなたと共におられます」です。
この祝福に「お言葉どおりこの身に成りますように」と応答できるなら、何と幸いなことでしょう。

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