「人生を満たすための知恵、聖書」
伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。
日本聖書協会『口語訳聖書』伝道の書 1章2~3節
聖書について次の様に言われています。
「聖書は決して現実を無視したり、軽視したりしない。現実を現実のまま認めるのである。そこに創造の神を信じる面目があるとも言えよう。聖書がこうした現実にふれずして、ただその教えを説くだけであれば、それはもはや現実へのメッセージとはならない。聖書があなたへのメッセージであるのは、あなたがまだ気づいてもいない現実に立って語られているからである。だからたとい、あなたがどんな境遇にあろうとも、失望することはいらない。神はその境遇を見すえたうえで、あなたに語りかけておられるのである。」(榎本保郎牧師 著、『旧約聖書一日一章』(主婦の友社)、「伝道の書1章」より抜粋)
今朝は、この聖書こそ私たちの人生を満たすための知恵であることを、聖書からお伝えします。
1.「その人」の苦悩と見出した答え
■その人が苦悩している
伝道の書の記者「その人」は信じていた、神が創造された自然界と人間、その営み全てに意味が込められていると。そして「その人」は、それらに懸命に向き合い、この世の出来事や問題を解決するための答えを見出そうと探求した。その結果、
1:2 伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
1:3 日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。
ここで言われる「空」とは、人生が無意味であるとか、生きる価値が無いという意味ではありません。〈空〉とは元来「息」とか「水蒸気」を意味する言葉です。それが比喩的に使われて「実体が無くすぐ消えてしまうもの」、「信頼するに足りないもの」と言った意味になっています。冬の吐息、ヤカンの湯気を想像してみて下さい。
そういう訳で、「その人」は尋ね求めた先に人生を満たしてくれる答えは見つからなかったと言っているのです。
伝道の書1:12 伝道者であるわたしはエルサレムで、イスラエルの王であった。
1:13 わたしは心をつくし、知恵を用いて、天が下に行われるすべてのことを尋ね、また調べた。これは神が、人の子らに与えて、ほねおらせられる苦しい仕事である。《中略》
1:18 それは知恵が多ければ悩みが多く、知識を増す者は憂いを増すからである。
神の被造物である自然も、人間の営みも、あらゆる知恵も「その人」を満たさなかった。更に探求を続け、
伝道の書2:10 なんでもわたしの目の好むものは遠慮せず、わたしの心の喜ぶものは拒まなかった。わたしの心がわたしのすべての労苦によって、快楽を得たからである。そしてこれはわたしのすべての労苦によって得た報いであった。
2:11 そこで、わたしはわが手のなしたすべての事、およびそれをなすに要した労苦を顧みたとき、見よ、皆、空であって、風を捕えるようなものであった。日の下には益となるものはないのである。
快楽や富、権力も、地位名誉も「その人」を満たさなかった。そればかりか、「その人」は深刻な現実に突き当たります。
伝道の書5:15 彼は母の胎から出てきたように、すなわち裸で出てきたように帰って行く。彼はその労苦によって得た何物をもその手に携え行くことができない。
5:16 人は全くその来たように、また去って行かなければならない。これもまた悲しむべき悪である。風のために労する者になんの益があるか。
5:17 人は一生、暗やみと、悲しみと、多くの悩みと、病と、憤りの中にある。
突き当たった最も深刻な現実とは、人間の営みを全て空しくしてしまう「死」でした。そして、「その人」は、続けて言います。
伝道の書5:18 見よ、わたしが見たところの善かつ美なる事は、神から賜わった短い一生の間、食い、飲み、かつ日の下で労するすべての労苦によって、楽しみを得る事である。これがその分だからである。
5:19 また神はすべての人に富と宝と、それを楽しむ力を与え、またその分を取らせ、その労苦によって楽しみを得させられる。これが神の賜物である。
■その人が見出した答え
伝道の書全体で「その人」は、「死は人間の営みを全て空しくしてしまう。」、「人には、食べたり飲んだりし、自分の労苦に満足を見いだすよりほかに、何も良いことがない」と、少なくとも4回繰り返した後に、ついに結論に至ります。
伝道の書12:13 事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。
12:14 神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである。
2.聖書の答え が教え導くこと
この、つきあいきれないほどの悲観主義は、どこから来ているのでしょうか。
■ギリシャ哲学の影響では無い
著者ソロモン説によれば、伝道の書誕生はBC950年頃で、ギリシャ哲学はBC600年頃ですから、ギリシャ哲学の影響はありえません。
■仏教の教えに似てはいるが、全く非なるモノ
仏教は、ギリシャ哲学より更に遅れてBC500年頃に誕生し、その基本的な教義に、色即是空があります。この世にある全てのもの(色)は、因と縁によって存在しているだけで、固有の本質をもっていない(空)という教えです。この世界が"蜃気楼"や"夢""幻"の類に譬えられています。"蜃気楼"や"夢"は、現象はあっても実体が無いように、世界のすべての事物は、実体のない「空」である、と説くのです。
■初めは全てが良く、神に祝福された
ですが、聖書は最初の章でこう言っています。
創世記1:31 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。
全て神が造られた物は、神の目に「はなはだ良」いのもで、祝福されたのです。ところが、神を信じていた「その人」は、被造物を徹底的に探求した結果、何もかも全く空しいと苦悩したのです。
■なぜ、何もかも空しくなったか
聖書は、明快な答えを示してます。
ローマ8:20 なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、
被造物は〈自分の意志ではなく〉人間の罪の故に、神ののろいのもとに置かれなければならなかったので、〈虚無に服した〉のです。この「虚無」は、伝道の書(七十人訳聖書)の「空」と同じ言葉です。
これで、お分かりかと思いますが、人間の堕罪の結果、「その人」も、仏教も哲学も、「空」を論じているのです。
■しかし、私たちには望みがある!
聖書は、「空」の根本原因を人間の責任であると指摘するだけでなく、続けて根本的解決方法を提供します。
ローマ8:21 かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。
その望みとは終わりの日の再創造です。その時、被造物は虚無から解放され本来の栄光に回復されます。しかも、
ローマ6:23 罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである
イエスへの信仰により、罪が赦され「永遠の命」を賜った人にとっては、最悪の「空」である「肉体の死」ですら、天の御国で二度と朽ちない新しい体を頂く為の通過点となるのです。
3.結びの奨励 「その人」とはあなたです
ところで、伝道の書の記者「その人」が辿り着いた結論はこうでした。
伝道の書12:13 事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。
12:14 神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである。
この結論には驚くべき真理が秘められたいます。この礼拝後の修養会でもお話しすることですが、
①この結論には、新約聖書が隠されており、この結論は新約聖書でいっそう鮮やかに現されています。
②この結論はイエス・キリストを指し示しています。
9月4日振起日礼拝「栄光へと導く励まし」での聖書箇所に、次の父なる神の言葉が記されてます。
ルカ9:35 すると雲の中から声があった、「これはわたしの子、わたしの選んだ者である。これに聞け」。《=伝道の書12:13 》
また、御子イエス・キリストはご自身についてこう言われました。
マタイ16:27 人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。」《=伝道の書12:14 》
この様に、旧約聖書は新約聖書に現されており、新約聖書は旧約聖書に隠されているのです。
この聖書の一体性こそ、聖書の凄さ、まさに永久に生きて働いている神の言葉であるが所以(ゆえん)です。
この聖書は、私たちの人生を満たす力があります。伝道の書を記した「その人」が探求の末に素晴らしい答えを見出した様に、御言葉に求め続ける人は誰でも人生を満たすための知恵を得ることが出来ます。
ルカ11:9 そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
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