新年礼拝 「人が生きる第一の目的」
詩篇73:25-26 わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。
日本聖書協会『口語訳聖書』詩編 73篇25~28節
1.はじめに
年初、多くの人々が、初詣に行きます。そこには、受験生、婚活・就活、商人、政治家...様々な立場・境遇の人々がおられますから、一年の抱負や祈願は千差万別でしょう。
ですが、どなたも人間であること、万物を創造された神の御手による被造物であることには変わりありません。従って、私たち人間にとって根源的な生きる目的があることを聖書は教えてくれます。
一人の詩篇記者が天に向かって、「私はなんて幸せなんだろう!」と喜んでいます。
詩篇73:25 わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。
73:26 わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。
私の生きる第一の目的は、「あなた」ですと。新年を迎えた今日、人にとって最高の幸せ、人が生きる第一の目的について、聖書に聞きましょう。
2.ただ、あなたを!
詩篇73:25 わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。
詩篇記者が、これだけは天で持ちたいと切実に願い、地上で唯一無二に慕っているもの、それが何であるかかに注目してください。それは、「あなた」であって、「あなたの何々」ではないことです。
この違いは、恋愛における感情表現に譬えれば一目瞭然です。「あなたが好き」と「あなたの優しさが好き」では大きな違いがありますが、この差はキリスト教と日本の諸宗教との決定的な違いとも言えるでしょう。
少なからぬ日本人は、選択肢がある場合一般に何々の“御利益”を得る為に神社仏閣へ行きます。しかし、聖書信仰に立つキリスト者は「神ご自身」をまず第一に希求して教会に集い礼拝し、また祈ります。
何々の“御利益”を追求すること自体は悪いことではありません。キリスト者であっても、世界、祖国日本、そして私たち自身の為に、種々の祝福を慕い求めて祈ります。では、違いはどこにあるのでしょうか。
このことについて主イエスは言われます。
ヨハネ15:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
キリスト者の祈願は、日頃から聖書に親しみながら父なる神・御子イエス・キリストに繋がりながら為されるものです。ですから、私たちキリスト者が祈り求める時に自己吟味すべきことも出てきます。それは、「神が与えてくださる祝福にだけに、自分の関心が向いていないか」ということです。
3.「天」
詩篇73:25 わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。
この「天」とはどんな場所でしょうか。聖書では、天国、天の御国、パラダイスとも言います。おそらく皆さまは、「天」に住まうことを強く望んだことが、きっと一度や二度はあることでしょう。しかし、それが死を待ち望んでであれば、自分のことの為、ただもう世から逃げ出したいだけなのではないでしょうか。聖書は私たちに、死を待ち望むべきだとは決して教えてはいません。聖書が強く勧めるのは、天を待ち望むべきだ、と言うことです。使徒パウロも言っています。
Ⅱテモテ4:7-8 わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。
天は逃げ込む場所では無く、凱旋して入る私たちを神ご自身が待ち受けていて下さるところだ、と。
十字架上の主イエスの隣で悔い改めた受刑者にイエスが言われた言葉を思い出していただきたい。
ルカ23:43 イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。
さらに、主イエスはこう約束して私たちを励ましておられます。
ヨハネ14:2-3 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
この様に、天とは永久に「神、またキリストとともにいる」ところです。ですから詩篇記者は天であなたを持つことが出来る私はなんて幸せなんだろう!と証しできるのです。
ところで、多くの人々が想像を膨らませて、芸術的に天を表現しようと努めてきましたが、聖書は天についてあまり詳しくは語ってくれていません。それには、いくつかの理由を上げられます。
一つには、私たちは堕罪故に天的な事への理解力が甚だしく損なわれてしまっていることです。それゆえ、どんなに詳しく教えられても私たちは正しく理解することができません。「天」は、信仰によって受け入れるしかありません。
第二に、私たちに必要十分なことは、既にイエスが教えて下さっているからです。
ヨハネ14:9 イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。
聖書が啓示する以上に多く知ろうとするのは、信じようとするよりただの好奇心からの場合が多いのです。
4.地上ではあなたを慕います
詩篇73:25 わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。
この詩篇記者の心中を非常にリアルに表現している聖書箇所の一つをご紹介します。詩篇42:1-2です。
詩篇42:1-2 神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。/わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を見ることができるだろうか。
この詩篇記者の魂は、“神を見る”ことを「慕いあえぎ」、生ける神に「かわいて」います。ただ、説明は割愛しますが、俗に言う神秘的な体験を求めているのでは断じてありません。これは、聖書の御言葉を通して生ける方ご自身としての神を知ることです。これほど迄に、神に飢えかわく、魂が神を慕いあえぐ、私たちはこういった経験があるでしょうか。
キリスト者の最高の幸せと生きる第一の目的は、神に向かって顔と顔とを合わせることであり、霊的に神を礼拝することです。このことを悟って、積極的な信仰生活(ディボーション、礼拝厳守)に生きる生涯はどれ程素晴らしいことでしょうか。
主イエスは、私たちを招いて呼ばわります。
ヨハネ4:13 しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
主イエスが与える水を飲むと言うことは、
ヨハネ17:3 永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。
このような神の知り方・慕い方が出来る神は、聖書を通してご自身を現して下さっている私たちの神だけです。
このような最高の幸いと生きる目的を古今東西のキリスト者にお与え下さった神は、私たちにもこの年、必ずお与えくださります。
5.神はとこしえに私の岩
73:26 わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。
「神はとこしえ」である事は、次の聖句の通りです。
Ⅰペテロ1:24-25 「人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。 しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。
次に、「神は…わが心の力」とは、「自分は神と共にいるので常に憩えます!」との確信に満ちた表現ですが、「力」と訳されている言葉は、「岩」と翻訳する方が良い言葉で、新共同訳聖書では、「わたしの肉もわたしの心も朽ちるであろうが 神はとこしえにわたしの心の岩 わたしに与えられた分。」とあります。
この詩篇の言葉に呼応するように、御子イエス・キリストは、私たちを励まして下さっています。
マタイ7:24-25 それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
神は動かされたり、動揺したりするはずがありません。ですから、いのちの土台が私の下で揺れ動くように感じられる時が来ても、神が私を支える岩であり土台です。私がどこにいようとも、何が起ころうとも、私の肉体がどう衰えようとも、また地上のものが激しく移り変わろうとも、この岩である神が支えてくださるのですから、私は決して動かされません。
そのような神が「わが嗣業」となって下さる、すなわち、私たちは神と神の国を完全に相続することになるわけですから、詩篇記者と同様に私たちも、
詩篇73:25 わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。
73:26 わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。
と喜ぶことが出来ます。
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