「まごころと信頼」
5:1 そこで、あなたがたのうちの長老たちに勧める。わたしも、長老のひとりで、キリストの苦難についての証人であり、また、やがて現れようとする栄光にあずかる者である。
5:2 あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。
5:3 また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで、むしろ、群れの模範となるべきである。
5:4 そうすれば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。
5:5 同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。また、みな互に謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである。日本聖書協会『口語訳聖書』ペテロの第一の手紙 5章1~5節
ただいま長老任職・就職式が執り行われましたが、そこで読まれた聖書にこうありました。
5:1 そこで、あなたがたのうちの長老たちに勧める。…
5:2 あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。…
本論Ⅰ 「神の羊の群れ」
■「神の羊の群れ」の成り立ち
「神の羊の群れ」は、どのようにして生まれてきたのでしょうか。その成り立ちについて、次の様に聖書にあります。
エゼキエル 34:11-12 主なる神はこう言われる、見よ、わたしは、わたしみずからわが羊を尋ねて、これを捜し出す。/牧者がその羊の散り去った時、その羊の群れを捜し出すように、わたしはわが羊を捜し出し、雲と暗やみの日に散った、すべての所からこれを救う。
また、イエス・キリストは言われましたた。
ヨハネ10:11 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。
この様に、神自ら計画し、ご自分の羊を尋ねて捜し出し、一人ひとりを救いへと招いて下さったことで、「神の羊の群れ」、教会が誕生したのです。
ですから、ここに集う一人ひとりは、神に尋ねられ捜し出され、救いへと招かれたのです。しかも私たちが神のものとされる為に、神の御子は私たちの罪を贖って十字架上で死んで下さったのです。これが聖書が私たちに告げることです。
■「神の羊の群れ」、教会
ですから、
-教会は、神のご計画、神の御業によって立てられて存在します。
-教会、すなわち「神の羊の群れ」は、滅び行くこの世から、信仰によって救われ、聖別された人々の群れです。すなわち、神のものとして取り分けられた人々の集いであって、単に信仰を同じくする人々の集いではありません。
-教会を教会たらしめるものは、人の目に見えるところによらず、“神のものとされていること”です。
■神は「神の羊の群れ」を長老に委ねられた
このようにして誕生した教会は、どの様に牧されるのでしょうか。
5:1-2 …長老たちに勧める。…/あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。…
すなわち、羊飼いが羊に食物を与えて世話をする如く、長老が神のものとされた一人ひとりを養い、群れを治めることを良しとされました。牧師もその長老たちの一人です。
そして、このことはイエス・キリストが再臨される終わりの日に、「ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となる」(ヨハネ10:16)まで、委託されています。
このように長老は、「終わりの日まで」世代を超えて受け継がれます。ですから、次の世代を担う信徒が成長して主のご用を受け継ぐこと、そのことを教会は祈ります。その意味で、今日は真に喜ばしく感謝な日です。
■信徒の役割と責任
その長老は選挙(投票)という手段で選ばれ信任されます。つまり長老選挙とは、神の御心を具体化し、御業を担う手段です。その選挙の場である会員総会の大切さを皆さまに覚えていて戴きたいのです。
本論Ⅱ 長老への奨励 ~このように神の羊の群れを牧しなさい
5:2 …しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。
5:3 また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで、むしろ、群れの模範となるべきである。
さて、2節の後半からは、「このように神の羊の群れを牧しなさい」との、長老に向けた奨励です。
■...せずに
「しいられてするのではなく…恥ずべき利得のためではなく…権力をふるうことをしないで」とあります。
この奨励は、私たち罪人の生まれつきの性質を見事に見抜いています。人は、無意識のうちに教会で家庭や会社の延長のように振る舞ったり、家庭や会社では満たせない欲求を教会で満たそうとする誘惑に弱いのです。
■むしろ...
ですので、御言葉は私たちを励まします。「神に従って自ら進んでなし...本心から...群れの模範とな」りなさいと。この奨励を聞いて、出来る出来ると安請け合いをする人はまずいないでしょう。むしろ自分のようなものが、出来るだろうか、と誰でも心配になると思うのです。
しかし、模範になるというのは、特別なことをすることではありません。では、どうすれば良いのでしょうか?
■群れを養う人が、まず養われること
群れを養う人自身が、率先して養われることです。では、何に養われれば良いのでしょうか。
一般に言う心を養う糧は書店等でも見いだせます。それによって人は人間味ある人になれるでしょうが、神の羊に、また神の羊を養う者に相応しくなれるとは限りません。
人間は食物の影響を大きく受けます。時に最近は食と健康が非常に注目され、健康食品の市場規模は目を見張るほどです。また、和食がユネスコの世界無形文化遺産になっています。それくらい国が変われば、食物も大きく異なっています。
肉体の糧においてもこうですから、ましてや霊的国籍を天の御国に持つ神の羊に相応しい食物があること、必要なことは当然です。聖書はこう教えています。
Ⅰペテロ2:2 今生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。それによっておい育ち、救に入るようになるためである。
と書いてあります。「混じりけのない霊の乳」とは、いうまでもなく、聖書の言葉、福音のことです。人間は、御言葉によってのみ、神の羊として、御国を受け継ぐ者に相応しく成長できるのです。
ここで、しっかり覚えて戴きたいこと、それは御言葉を、実際に、自分の、日々の、糧とすることです。
人間の魂にとって神の言葉ほど豊かな食物はありません。この糧を受けて人間の魂は真に成長します。
ですから、長老は、自分の言葉や自分の力で、この群を養おうと考える必要はありません。
長老自ら率先して御言葉に養われて「神の羊の群れを牧す」れば良いのです。
詩篇23篇に次の様にあります。
詩篇23:1-2 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。/主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
礼拝は、この御言葉の具体的な現れです。だから牧師は礼拝厳守を口を酸っぱくして促します。
また、私たちの教会では長老の方々が率先する形で聖書輪読会やいずみ会が持たれ、またお誘いの声を掛けて下さっています。それに応えて下さる方々が増えてきています。
また、聖書に加えて教理の学びの必要性についても提案して下さっています。これこそ「神の羊の群れを牧する」ことであり、実に感謝な事です。
結論 キリストへの愛があるところ、そこはまごころと信頼の場、まことの教会
今日は、まず「神の羊の群れ」についてお話しし、次いで長老はどう神の羊の群れを牧するかについてお話ししました。最後に、「神の羊の群れを牧する」うえで、その根底に無くてはならないものについてです。よみがえりの主イエス・キリストは、初代教会の長老に召されたペテロに、念には念を押すようにして言われました。
ヨハネ 21:17 イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。
「神の羊の群れを牧する」うえで無くてはならないものは、この「キリストを愛すること」です。
これがあるので教会は、この世には無いような「まごころと信頼」の場であり続けるのです。そして、「神の羊」である私たちは、
5:4 …大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。
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