新しい賛美を歌おう (シンシナティ日本語教会 主日礼拝)
5:6 また私は、御座と四つの生き物の真ん中、長老たちの真ん中に、屠られた姿で子羊が立っているのを見た。それは七つの角と七つの目を持っていた。その目は、全地に遣わされた神の七つの御霊であった。
5:7 子羊は来て、御座に着いておられる方の右の手から巻物を受け取った。
5:8 巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老たちは子羊の前にひれ伏した。彼らはそれぞれ、竪琴と、香に満ちた金の鉢を持っていた。香は聖徒たちの祈りであった。
5:9 彼らは新しい歌を歌った。「あなたは、巻物を受け取り、封印を解くのにふさわしい方です。あなたは屠られて、すべての部族、言語、民族、国民の中から、あなたの血によって人々を神のために贖い、
5:10 私たちの神のために、彼らを王国とし、祭司とされました。彼らは地を治めるのです。」
5:11 また私は見た。そして御座と生き物と長老たちの周りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。
5:12 彼らは大声で言った。「屠られた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方です。」
5:13 また私は、天と地と地の下と海にいるすべての造られたもの、それらの中にあるすべてのものがこう言うのを聞いた。「御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が世々限りなくあるように。」
5:14 すると、四つの生き物は「アーメン」と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した。日本聖書協会『口語訳聖書』ヨハネの黙示録 5章6-14節
「新しい賛美を歌おう」
黙示録は難解だとよく言われますが、ひとことで言えば艱難の時代にある教会と信徒への励ましです。
今日は、「キリストへの礼拝」と呼ばれる5章の御言葉に聞き、
・神は,黙示録に示された幻の通り救いの御業を成し遂げてくださること
・神は私たちを、幻で示された天上における賛美に与らせてくださること
この希望と救いの確信へと導かれたいと願っています。
1.主イエスの御姿
黙示録の冒頭1-3章では、7つの教会、すなわち世々の全教会に宛てられた主イエスのメッセージが記され、4章では門が開かれた天の御座の様子が記されます。
そして5章に進むと、
(1)天の御座の前に現れた主イエスの御姿と、
(2)そのキリストへの、天上の大聖歌隊の賛美と礼拝の様子が記されます。
今日はその5章6節以下からお話します。
5:6 また私は、御座と四つの生き物の真ん中、長老たちの真ん中に、屠られた姿で子羊が立っているのを見た。それは七つの角と七つの目を持っていた。その目は、全地に遣わされた神の七つの御霊であった。
(1)〈屠られた姿で子羊が…〉とあるように、御座に現れたお方こそ、人間の罪を贖うために傷なき犠牲として十字架に架かられ蘇られた神の子羊イエス・キリストです。
なので、十字架上で受けた傷を身に帯びておられるのです。
(2)しかもこのお方は〈七つの角と七つの目を持つ〉全知全能の神です。
〈その目は、全地に遣わされた神の七つの御霊〉であるが故に、全てをご覧になっておられ、神の目を避けて隠れておられるモノは無いということです。
それ故、私たちが闇黒の谷を通り、神から見放されたように感じることがあっても、私たちには望みがあります。
その望みについて聖書にこう書かれてます。
Ⅰペテロ1:3 私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。
1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。
1:24 「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
1:25 しかし、主のことばは永遠に立つ」とあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。
これは主の言葉です。
そして7節。
5:7 子羊は来て、御座に着いておられる方の右の手から巻物を受け取った。
主イエスが〈巻物を受け取った〉とは、「主イエスは神のご計画を完成すべく実行に移すよう、御座に着いておられる父なる神から一切を託された」と言うことです。
2.天上に於ける第一の賛美 〈贖いの歌〉
主イエスが巻物を受け取った時、天上に第一の賛美が沸き起こりました。(8-10節)
5:8 巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老たちは子羊の前にひれ伏した。彼らはそれぞれ、竪琴と、香に満ちた金の鉢を持っていた。香は聖徒たちの祈りであった。
5:9 彼らは新しい歌を歌った。「あなたは、巻物を受け取り、封印を解くのにふさわしい方です。あなたは屠られて、すべての部族、言語、民族、国民の中から、あなたの血によって人々を神のために贖い、
5:10 私たちの神のために、彼らを王国とし、祭司とされました。彼らは地を治めるのです。」
黙示録5:9-10、四つの生き物と二十四人の長老たちは新しい歌を歌いました。
その歌の内容は、「主イエスは救いの計画を実行に移し完成させるのにふさわしい方です」等々と言うことですが、この〈新しさ〉こそ今日の説教のキーワードですので少し時間を掛けてお話します。
(1)聖書における〈新しさ〉
旧約聖書には、〈新しい歌を主に歌え〉と繰り返し出てきます。二、三ご紹介しますと、
詩 40:3 主はこの口に授けてくださった。新しい歌を私たちの神への賛美を。多くの者は見て恐れ【主】に信頼するだろう。
この3節、不思議に感じませんか?
新しい歌で私たちが神を賛美すると、なぜ「多くの者は見て恐れ【主】に信頼する」のでしょう?
その理由を98:1が歌っています。
詩 98:1 新しい歌を【主】に歌え。主は奇しいみわざを行われた。主の右の御手聖なる御腕が主に勝利をもたらしたのだ。
文字通り読むと、新しい歌は、主が行われた過去の御業に対して歌われるように感じますが違います。
「主は奇しいみわざを行われた」と過去形で表現されてますが、旧約聖書独特の表現で、「将来必ず起こる未来のことを、あたかも起こってしまった過去のこと」として言うのです。
だから、
新しい歌で私たちが神を賛美すると、「(歌われた事柄の成就を)見て恐れ【主】に信頼する」のです。
預言者イザヤの言葉からも新しい歌を歌うことの意味が判ります。
イザヤ42:9 初めのことは、見よ、すでに起こった。新しいことを、わたしは告げる。それが起こる前にあなたがたに聞かせる。」
イザヤは、9節前半でこう言ってます。
〈初めのこと〉、即ち「これまでに神が預言されたこと」は全部現実になった。
そして9節後半では、「新しいことを、わたしは告げる。それが起こる前にあなたがたに聞かせる。」
ですから、
イザヤ42:10 新しい歌を【主】に歌え。その栄誉を、地の果てから。海に下る者、そこを渡るすべての者、島々とそこに住む者よ。
なのです。
これでお分かりかと思います。黙示録5:9の〈新しい歌〉の新しさはこれらと同じです。
すなわち聖書の〈新しさ〉とは時間的な新しさではなく、それ迄この世に存在せず、
聖書の〈新しさ〉とは、神の御業によって初めてもたらされる質的な新しさを言います。
事実、主イエスは、その〈新しさ〉を私たちに与えてくださっています。その一つとして、
ヨハネ13:34 わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
「主イエスが私たちを愛してくださったように、私たちも互いに愛し合う」アガペーの愛、自己犠牲の愛です。
この愛は、キリストを知らなかった私が今まで知ることができなかった愛です。
キリストを知らなかったなら将来も決して知ることができなかった愛です。
十字架上の贖いで現されたキリストの愛を知って初めて、私の心の内に〈新しい〉愛がもたらされたのです。
そればかりではありません、神は、新しくされた人のさらなる新しさ与えて続けて下さります。
そのことが聖書にこう記されています。
Ⅱコリント4:16 ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
Ⅱコリント5:17 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
イエス・キリストは私たちに、永遠のいのちに生きる全く新しい人生を下さったので、私たちには、永遠の若さ永遠の喜びがあるのです。
時間的に新しいものは、時間が経過すれば全て古くなります。
しかし聖書の〈新しさ〉は、いつ、どんな時代、いかなる状態や境遇においても変わることがなく、とこしえに新しいのです。
私たちキリスト者はこの新しさに与っているからこそ、神の恵みへの応答として常に喜びと感謝とをもって〈新しい歌〉を歌えます。
(2)黙示録に記された〈新しさ〉
黙示録に戻ります。黙示録は〈新しさ〉で満ちています。
「新しい名」 (黙 2:17、黙 3:12)、
黙示録2:17 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者には、わたしは隠されているマナを与える。また、白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が記されている。』
「新しいエルサレム」 (黙 3:12 、黙 21:2 )、
黙示録3:12 …わたしは彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書き記す。
「新しい天と新しい地」の完成 (黙 21:1 )。
黙示録21:1 また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
黙示録21:5 すると、御座に座っておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」
この様に、主イエスが行われる〈新しい〉御業は、私たち一人ひとりに、そして全教会、全世界・全宇宙にまで及ぶのです。
以上、第一の賛美、〈新しい歌〉に関してお話しましたが、主イエスが巻物を受け取り、ついに新しい御業が始まる、そのタイミングで天上に沸き起こった賛美が、この第一の賛美のです。
次いで第二の賛美へと進んで参ります。
3.天上に於ける第二の賛美 〈御使いたちによる子羊賛歌〉
第一の賛美に無数の御使いたちが加わって第二の賛美、壮大な天上の聖歌隊による子羊賛美がなされます。
5:11 また私は見た。そして御座と生き物と長老たちの周りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。
5:12 彼らは大声で言った。「屠られた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方です。」
4.第三の賛美 〈すべて造られたものの歌〉
次いで13節、
5:13 また私は、天と地と地の下と海にいるすべての造られたもの、それらの中にあるすべてのものがこう言うのを聞いた。「御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が世々限りなくあるように。」
第一の賛美に無数の御使いたちが加わった第二の賛美に、全被造物が加わり、子羊への賛美はクライマックスに達します。
ここでちょっと立ち止まって、贖われた人々ばかりか全被造物も賛美の合唱に加わるのか考えてみましょう。
実は5:13に記された賛美こそ、創世記から黙示録、旧新約聖書全66巻全体の一貫性の証言であり、また救済史、救いの歴史の完結を告げています。
どういうことか、救いの歴史が始まった時点に立ち帰って順序立ててお話しいたします。
聖書の冒頭、創世記には、アダムとエバが自らの意思で神に背を向け罪の支配に陥って以来、人間は肉体的にも霊的にも死ぬべき存在となってしまった出来事が記されています。
しかしながら、
創世記3:15 わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」
ここでの〈おまえ〉とはサタンのことで、神は旧約聖書の初めからメシヤ(救い主)による救いを約束されました。
この約束に、旧約時代の信仰者は望みを掛けていたのです。
また同時に、人間以外の被造物に関する神の言葉も記されています。
創世記3:17 また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。
3:18 大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。
全被造物が、自分の意志からではなく神の意志によって虚無に服従させられたのです。
しかし、自分の意志ではなく神の意志によって虚無に服従させられた被造物は創造主を知っており、彼らにも望みがあったのです。そのことがこう書かれています。
ヨブ12:7 しかし獣に尋ねてみよ。あなたに教えてくれるだろう。空の鳥にも。あなたに告げてくれるだろう。
12:8 あるいは地に話しかけよ。教えてくれるだろう。海の魚も語るだろう。
12:9 これらすべてのうちで、【主】の御手がこれをなしたことを知らない者があるだろうか。
12:10 すべての生き物のいのちと、すべての肉なる人の息は、その御手のうちにある
獣も空の鳥も、海の魚も自分たちが神によって造られたことを知っているんだ、と。
また、ハレルヤ詩篇では、全被造物が共に主を賛美するようにと呼びかけが為されています。
詩篇148:1 ハレルヤ。天において【主】をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ。
148:2 主をほめたたえよすべての御使いよ。主をほめたたえよ主の万軍よ。
148:3 日よ月よ主をほめたたえよ。主をほめたたえよすべての輝く星よ。
148:4 天の天よ主をほめたたえよ。天の上にある水よ。
148:5 【主】の御名をほめたたえよ。主が命じてそれらは創造されたのだ。
148:6 主はそれらを世々限りなく立てられた。主は去りゆくことのない定めを置かれた。
148:7 地において【主】をほめたたえよ。海の巨獣よすべての淵よ。
148:8 火よ雹よ雪よ煙よ。みことばを行う激しい風よ。
148:9 山々よすべての丘よ。実のなる木よすべての杉よ。
148:10 獣よすべての家畜よ。這うものよ翼のある鳥よ。
148:11 地の王たちよすべての国民よ。君主たちよ地をさばくすべての者たちよ。
148:12 若い男よ若い女よ。年老いた者と幼い者よ。
148:13 【主】の御名をほめたたえよ。主の御名だけがあがめられる。その威光が地と天の上で。
148:14 主は御民の角を上げられた。主にある敬虔な者すべての賛美を主の近くにいる民イスラエルの子らの賛美を。ハレルヤ。
そしてキリスト者が神の子供として全き栄光を受ける時のこと、すなわち主の再臨の時のことが、ロマ書にこう書かれています。
ローマ 8:19 被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。
8:20 被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。
8:21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。
ですから、黙示録5:13
5:13 また私は、天と地と地の下と海にいるすべての造られたもの、それらの中にあるすべてのものがこう言うのを聞いた。「御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が世々限りなくあるように。」
この賛美は、主の再臨により、救いの計画全てが完成することへの賛美です。
だからこそ、子羊への賛美は、これ以上有り得ないクライマックスに達しているのです。
結び ~私たちへの奨励
この一連の賛美の幻は、
5:14 すると、四つの生き物は「アーメン」と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した。
「四つの生き物」、すなわち、被造物全体の代表である御使いたちによって、「アーメン」「確かにその通り」と唱和されて賛美が終わります。
そしていよいよ6章からは、子羊により巻物の封印が一つずつ解かれ、完成を目指して救いの計画が実行されて行きます。
そして全てが新しくされ(黙示21:5)新天新地(Ⅱペテロ3:13)が到来します。
黙示録に記された幻は、単なる出来事の予告にとどまりません。
艱難のうちにある教会、キリスト者一人ひとりに、希望を与え励ましてくれます。そして、
・私たちは、創世記から黙示録、聖書に記された神の御言葉は一貫して真実であること
・創世記に始まった神の啓示は、イエス・キリストにおいて完結します。
救いのご計画は大きなスケールのものです。
・イエス・キリストに繋がる私たちは、神の恵みによって日々「新しく」されています。
ここでもう一つ、私たちが銘記すべきことがあります。
この黙示録に記された賛美にあなたも招かれており、あなたもその賛美に加わることになっている!
ということです。アーメン
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