新しい歌を歌おう
4:13 「私は信じています。それゆえに語ります」と書かれているとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語ります。
4:14 主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださることを知っているからです。
4:15 すべてのことは、あなたがたのためであり、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためなのです。
4:16 ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
4:17 私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。
4:18 私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。
日本聖書協会『口語訳聖書』コリント人への第二の手紙 4章13-18節
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■はじめに
新年をこうして皆さまと共に迎えられますこと、感謝です。心を新たに抱負を抱き新年をお迎えの事でしょうが、年を重ねるとは老いる事なので、手放しでは喜べない一面がありますね。
でも聖書は、私たちの老いは希望の歩みですよ、と励ましてくれます。
① Ⅱコリント4:16-18
4:16 …私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
4:17 私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。
4:18 私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。
ここでは、〈外なる人〉と〈内なる人〉を三通りに対比させ、〈内なる人〉が日々新たにされる素晴らしさが論証されています。
(16) 外なる人は衰え ⇔ 内なる人は日々新たに
(17) 一時の軽い苦難 ⇔ 重い(直訳:物凄い)永遠の栄光
(18) 見えるものは一時的 ⇔ 見えないものは永遠に続く
〈外なる人〉は老いとうとも、〈内なる人〉は日々新たにされ永遠の栄光に向かっていますので、私たちキリスト者の老いは希望の歩みですよ、と神は言われます。
■1.新しい歌を歌うのは、聖霊によって新しく生まれたゆえ
私たちがどの様にして〈日々新たにされ〉るのか不思議と言えば不思議ですが、聖霊の働きに拠ることを主イエスは、当時の宗教的指導者・教師ニコデモにこう話されました。
② ヨハネ3:5-8
3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。
3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
3:8 風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」
イエス様は三度も〈御霊によって生まれ〉と繰り返し、〈わたしが言ったことを不思議に思ってはなりません〉と言われたほどの神秘・不思議です。ですので、私たちが直ぐには理解出来ないのも無理からぬ事です。
では、三週間前にお祝いしたクリスマスでの出来事を思い出して下さい。
私たちは、使徒信条を「主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ」と白しました。主イエスは、人によらず聖霊の超自然的な業により処女マリヤから生れた、神が人になられたことをお祝いました。
私たちの神はこのようなことが出来るお方です。
③ Ⅱコリント5:17
5:17 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
イエスを御霊により生まれさせられたお方が、御霊の働きにより私たちを新しく生まれさせられない筈が無いのです。〈内なる人〉が〈日々新たにされる〉ことに疑いの余地は無い、何の不思議もありません。
■2.讃美は日々新たにされることの〈しるし〉
讃美は「日々新たにされていることの〈しるし〉」であることをお話しします。
創世記には、〈神である【主】は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。〉(創2:7)と書かれています。
また、〈聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です〉(Ⅱテモテ3:16)ともあります。
同様に、讃美は聖霊により〈内なる人が日々新たにされている〉私たちに相応しいのです。
④ 詩篇33:1-3
33:1 正しい者たち【主】を喜び歌え。賛美は直ぐな人たちにふさわしい。
33:2 竪琴に合わせて【主】に感謝せよ。十弦の琴に合わせてほめ歌を歌え。
33:3 新しい歌を主に歌え。喜びの叫びとともに巧みに弦をかき鳴らせ。
〈正しい者たち〉〈直ぐな人たち〉とは、神の御前に謙って御言葉に聴従する私たちのことです。神は、御霊によって日々新たにされている私たち々に向かって呼ばわり、「新しい歌を主に歌え」と招いておられます。
これは新作の讃美歌を歌うことではなく、「内なる人が日々新たにされているあなたに相応しく賛美しょう!」との招きです。
主イエスもこう言われました。
⑤ ヨハネ7:38-39
7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」
イエスが約束された御霊を頂いている私たちだからこそ「心の奥底から、生ける水の川が流れ出るように」主を喜び歌えるのです。
また、ふと讃美歌を耳にして新鮮な感動がふつふつと湧き上がってきた体験をきっと皆さまされたことがあるでしょう。イエス様は言われました。
⑥ ヨハネ14:26
14:26 …助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
讃美歌を耳にした時の新鮮な感動、これも聖霊なる神様の賜物です。
■3.新しい歌を歌い継ごう
⑦ 詩篇96:1-2
96:1 新しい歌を【主】に歌え。全地よ【主】に歌え。
96:2 【主】に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと御救いの良い知らせを告げよ。
〈全地よ〉〈日から日へと〉、〈御名をほめたたえよ〉〈御救いの良い知らせを告げよ〉と書かれていますが、
世界で最初の讃美はいつ歌われたと思われますか。
じつは、創世記1章です。創世記1章は,宇宙的広がりを持った天地万物創造の御業を誉め讃えた賛美なのです。
旧新全66巻の聖書記者が神の御心のままに霊感され、自分が生きた時代を背景に神の言葉を聖書に記しました。これと全く同じ事が讃美についても言えます。讃美歌作者も、御言葉を通して霊感を受け、彼らが生きた時代を背景にして新しい歌を歌い神を誉め讃えたのです。
讃美は御言葉と、あたかも車軸の両輪の如く一対になっているからこそ、創世記から後、モーセの時代へ、ダビデの時代へと下ると共に神の新しい御業と啓示がなされると、それを誉め讃える「新しい歌」が次々と生まれ歌い継がれ、詩篇で旧約聖書における賛美が集大成されました。
そして新約の時代に入ると、マリア、ザカリヤ、御使いたちの賛歌で始まり(ルカ1-2章)、中世と宗教改革の時代を経て現代に至り、その間じつに多くの讃美歌が御言葉の霊感を受けて誕生し歌い継がれてきました。
そのような讃美歌が、心が折れて弱り果てた人々の耳に届くことで、どれ程多くの人々が立ち上がる勇気を与えられたことか、どれ程多くの方々が救いへと導かれた事でしょう。讃美歌にはこの様な不思議があります。
私たちも御言葉の解き明かしに導かれて新しい歌を歌い、神がどんな良きことを私たちに為さったか、そして何を為さろうとされているか、子や孫といった次の世代へと歌い継ぎます。
そして、私たちの讃美は、黙示録が記す新天新地の到来により完成します。
⑩ 黙示録14:1-3
14:1 また私は見た。すると見よ、子羊がシオンの山の上に立っていた。また、子羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には子羊の名と、子羊の父の名が記されていた。
14:2 また、私は天からの声を聞いた。それは大水のとどろきのようであり、激しい雷鳴のようでもあった。しかも、私が聞いたその声は、竪琴を弾く人たちが竪琴に合わせて歌う声のようであった。
14:3 彼らは御座の前と、四つの生き物および長老たちの前で、新しい歌を歌った。しかし、地上から贖われた十四万四千人のほかは、この歌を学ぶことができなかった。
本来この3節は1節から5節を通してお話ししたいのですが今日は時間的制約上別の機会に譲り、二点だけお話します。
(1)3節の〈地上から贖われた十四万四千人〉ですが、イエス・キリストにより贖われた無数の人々を象徴的に表します。(参考:黙示録7:1-9)
(2)新天新地で、それ以前の地上では歌われたことがない「新しい」讃美が歌われることと、そこに私たちキリスト者が居るのです。
■4.老いてもなお“新しい歌を歌える”さいわい
今日、最初の御言葉に戻ります。
① Ⅱコリント4:16 ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
この御言葉の真実さは私たちが老いた時によりハッキリしてきます。
私たちの外なる人の衰えは、日増しに日常生活の広範囲で現れてきます。このことは讃美でもそうで、歌える音域が徐々に狭くなり、声はかすれしわがれて来ます。私は学生時代トップテナーを歌ってましたが、今では上の「ド」の音がやっとこさです。老いることはⅡコリント4:17にあるように一時で軽いとはいえ辛いです。
しかし、そこにも聖霊なる神が働いて下さることは確かです。〈内なる人〉は、日々新たにされ、比類無き永遠の栄光に向かっているのは事実です。私の現役牧師時代、召されるのが近い兄姉を私たち夫婦で病床を尋ねたことが幾度もありました。会話も満足に出来なかったのが讃美をするうちに讃美歌を思い出してソラで歌われた兄姉がおられました。また、讃美を聞いておられる内に、唇が僅かに動き乾ききった瞳が潤み瞳が輝きはじめ表情も生き生きとして来た、こんなこともありました。
直接的には讃美ではなく祈りについてですが、こう書かれています。
⑧ ローマ8:26-27
8:26 同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。
8:27 人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。
この聖句からインスピレーションを受けた讃美歌308番はこう歌います。
1.いのりは口より いでこずとも
まことの思いの ひらめくなり
いのりは心の 底にひそみ
隠るるほのおの 燃え立つなり
4.いのりは御民の いのちを得る
きよけき御霊の 風にぞある
いまわの時には 父のいえの
み門のひらくる あいことばぞ
歌詞にある「いのり」を「さんび」に置き換えてみましょう。如何ですか。
聖霊なる神は、私たちの記憶の遙か彼方の讃美歌を、「新しい歌」として蘇らせ喜びにあふれて歌わせて下さります。たとえ声に出せずとも、祈りと同様、御霊が弱い私たちを〈内なる人〉を助けて下さり、神は受けて下さります。音楽の世界では、美しい声、歌唱力、演奏力が重視されます。しかし神の御前にあっては、上手下手など問題外です。
■結び
主イエスはこう言われました。
⑨ ヨハネ14:3
14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。
主イエスが私たちを迎えに来て下さることで、この地上では歌うことも、想像すらできなかった新しい歌を歌わせて下さります。どんな讃美なのか楽しみです。
待ち望みつつ、今年も日々新しい歌を歌ってまいりましょう!
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