■ 届かなかった『質問への返答』

■ 届かなかった『質問への返答』

主に寄り頼むは人にたよるよりも良い。日本聖書協会『口語訳聖書』詩編 118編8節


T.K. 様

質問をいただいてから二週間も過ぎてしまい、遅くなり申し訳ありません。
文章に綴られたこと以外には、貴女のことは何一つ判りませんので、具体的なお返事が大変難しいことを予めご了承下さい。

全体的な結論を先に申し上げると、「人が貴女にあれこれ言うこと以上に、イエス様の言葉に耳と心を向けてみませんか」と言うことです。また、「迫害」という言葉を二度お使いですが、「人の言葉で傷つけられること」と理解して話をさせていただきます。

> 私はクリスチャンでありながら、離婚をし、日常の上でも罪深き者です。

まず、少々大胆な言い方ですが、「離婚をし、日常の上でも罪深き者」については、いったん横に置いておきましょう。

“罪深い”女性たちに向き合われたイエス様を思い出して下さい。ルカ8:2ではマグダラのマリヤが、ヨハネ4章ではサマリヤの女性が登場します。彼女たちはイエス様と出会う前からも、救われた後も、きっと周囲から蔑視の視線と汚い言葉を浴びせかけられたことでしょう。しかし、この女性たちにイエス様がどう向き合われ、彼女たちがイエス様にどう応答していったかを、是非聖書から読み取って頂きたいのです。イエス様は、貴女に対しても彼女たちと同様に真実であられます。

> 人間関係で同い頃から悩み苦しんでいます。その人間関係は、母、夫、子、知人、職場、友人、他人…全ての方から受けます。自分にも落ち度はあると思いますが、正論を口にしてもしなくても、迫害を受け続けています。辛くて仕方がありません。死を迎えられたらどんなに楽だろうと思う毎日です。

貴女の存在意義は、自分自身でも周囲の人々が決めるのでも無く、貴女の主でいてくださる神様が良くご存じです。
「死を迎えられたらどんなに楽だろう」との気持ちは、私も抱いたことがありますので良くわかります。しかし死後ホントに楽かどうかは誰にも判らないのですから、「死...楽だろう」はある意味、サタンの誘惑です。神様の側から天に召して下さる時がその人にとって最善の時、安息の時です。

> 祈る事も弱くなり、主を意識する毎日も弱くなってます。
> 教会にも今はいけてません。

このような事の事例は枚挙にいとまがありません。誰にでも起こる“季節の変わり目”のようなことです。ですから怖れることはありません。ただ、「イエス様に繋がっていたい」との希望だけは、諦めない様にしましょう。この望みにイエス様は必ず報いてくださります。

> それは、教会の牧師の奥様からも傷つけられたからです。偽善者の様な事を言われ責め立てられただけで、気持ちを分かってもらえなかったからです。
> それが一番悲しかったです。

まことに悲しむべき、残念なことですが、その様なことは何処の教会でも起こりえます。それに、「自分が判って欲しいと願う様に自分を判ってくれる方」は、まずいません。誰にでも理解の限界があります。
こう諭す聖書の言葉があります。

 「主に寄り頼むは人にたよるよりも良い。」 (詩篇118:8)

また、私が大好きな讃美歌をご紹介します、かなり歌唱に個性がありますが。

 https://www.worldfolksong.com/songbook/spiritual/nobody-knows-the-trouble.html

 https://www.youtube.com/watch?v=2ixrlUpd4Ek

> いつまで苦しむのでしょうか?
> 肉の時代であっても幸せになりたいです。
> 私は生きている意味はあるのでしょうか?
> もう人の言葉で傷つきたくありません。
> どの様にしていれば、迫害を受けずに済みますか?

人は、雑踏の中の会話の如く、聞こえてくる色んな音の中から自分が聞こうとする音を選択的に聞き分ける能力があります。同様に、いろんな“音”(人が発することば、生活音、雑音)が溢れかえっている社会の中で、イエス様の声を聞き分けること、これが秘訣です。ただ、一朝一夕には出来ません、ある程度訓練が要りますが。

> 教会へ行き祈り賛美する事は分かってます。一般的に、具体的に教えて下さい。

確かに、「教会へ行き祈り賛美する事」は大事な事ですし、豊かな恵みに与れます。と言うか、教会へ行けて祈り賛美できる事はとても幸いなことです。
ただ、そこで留意すべき事があると思います。まず、祈りはどんなに拙くともイエス様は喜んで聞いて下さります。また、教会に行くと言うことは、聖書の解き明かしを「自分に向けられたイエス様のメッセージはなんだろう」と聞くこと、讃美をする時は雰囲気に浸ること以上に「歌詞に込められている福音」を聞き取ることだと思います。そこから、自ずと、“我ならぬ我の祈り”が湧きあがってきます。

最後になりますが、一口で(正統的な)キリスト教会と言っても、千差万別の“個性”があります。
ですので、継続的に対面での礼拝(会堂に集って)に与れることは大きな恵みですが、今しばらくの間は教会探訪をしたり、ホームページ上の説教を読んで、これぞと感じられた教会のオンライン礼拝に集ってみるのも有益かと思います、如何でしょうか。

以上です、祈りに覚えつつ。

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2024年 メッセージ一覧

■ 届かなかった『質問への返答』

2024年1月12日に、一人の方からホームページの[問い合わせ]欄経由で質問を頂きました。その時は取り急ぎ「即答できない事情」をメールでお伝えし、二週間ほど後に返答を送信したところ、メルアドが削除されたようで存在せず不達になってしまいました。きっと何か事情があったのでしょう。そこで、その内容をショートメッセージとして掲載いたします。